こんにちは、はる❀です。
最近は暑くて少々夏バテ気味ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。
歴史ファンタジーが完結致しましたので、ノートの方に少しずつ武将さんを紹介していこうと思います。
『記憶と神巡る『平安』物語』は初っ端壇ノ浦の戦で平家が滅びるところから始まりますが、その視点は『平知盛』という武将視点で語られます。
が!
歴史の教科書的にも、知盛って本当に出番が少ないんですよね。もしかしたら知盛って誰だっけ?という方も多いのではないかと思います。
源平合戦といえば……
源の~……頼朝!だったり、
平の~……清盛!というイメージって結構大きいんじゃないかと思うんですよね。
『1185(いいはこ)つくろう鎌倉幕府』な頼朝さんや、『平清盛1167(いいむなげ)』な武士で初の太政大臣、というのは、結構学校とかでも覚えた語呂合わせなのではと思います。
じゃあ知盛って一体誰?というのを、私なりの解釈を踏まえてまとめておこうと思います。
◆ そもそも源平合戦って何?⇩
https://kakuyomu.jp/users/Haru_AveMaria/news/16818622176491346696◆ 歴史ファンタジー『記憶と神巡る『平安』物語』はこちら⇩
https://kakuyomu.jp/works/16818622173314309809- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
✿ 平知盛とは
平知盛は、あの有名な清盛の4男です。
彼は『入道相国(平清盛の出家後の名)最愛の息子』と言われる程、清盛からも厚い期待を寄せられていたとも言われています。
じゃあ、お兄ちゃんたちはどんな人たちだったんでしょう。
長男・重盛はとても穏やかな方で、それこそ清盛の後継者としても高い期待をされていた方でしたが、残念なことに病で清盛よりも先に他界してしてしまいます。次男の基盛も、かなり若くして病で亡くなってしまうんですよね。
そして3男・宗盛、4男・知盛と続きます。
源平合戦が始まったのが1180年とされていますが、その翌年、1181年には清盛は熱病の為に亡くなってしまいます(重盛・基盛はそれより前に逝去されています)。
そのため、清盛を継いで棟梁になったのが3男の宗盛だったわけですが、それを支えたのが、4男の知盛。平家の軍を指揮するなどの大役を任されます。(実質上の総大将だったとも言われています)
そんな知盛の有名な逸話といえば一の谷の合戦における、最愛の息子・知章との話や、壇ノ浦の合戦での一族の最期の話でしょうか。
そんな彼に纏わる逸話を紹介したいと思います。
◆一の谷の合戦
この時知盛は息子・知章たちと共に東側の生田口を守っていましたが、なんといっても一の谷の合戦は所謂、義経が馬で崖を駆け下りて奇襲を成功させる『鵯越の逆落とし』が有名。この時、義経により西側の本陣が破られると、知盛率いる東側も総崩れとなります。
そのために知盛たちは船のある海へ退却するのですが、源氏も簡単には逃がしてしてくれません。源氏も、指揮官である知盛の首は狙いたいですよね。
そこで囮となって知盛を逃がしたのが、息子・知章でした。
知章「私が囮になります!父上はお逃げください!!」
知章の活躍により、知盛は無事に船まで逃げ切ることができたのですが、知章自身は敵陣に討ち取られます。享年十六歳。
知盛は息子の最期の姿に、袖を顔に押し当ててさめざめと泣いた、と記されています。(平家物語第九巻)
◆ 壇ノ浦の合戦
最終決戦・壇ノ浦の合戦でも、知盛は軍の指揮官を任されます。
いよいよ源平双方が陣を向かい合わせる段取りとなると、知盛の下知によって平家側の士気は高まります。
知盛「戦は今日が最後だ! 誰しも己の武士としての名誉だけは守り、一歩も退くな! この期に及んで命を惜しむな! 行くぞ!」
ここからもう彼の武士としての在り方が垣間見えるようでもあります。まさに知将かつ猛将。ですがこの時の彼には少々気がかりがあるようでした。
それが、四国の水軍『阿波民部重能《あわのみんぶかげよし》』。重能は厚く平家に仕える家ではありましたが、一の谷の合戦で敗れてからというもの、やや翳りが見られます。
知盛「兄上(宗盛殿)。阿波民部重能は一の谷の合戦で敗戦を喫してからというもの、心変わりしたようにも思われます。今ここで首をはねるべきではないかと」
宗盛「大した理由もなく首をはねるなどと言ってはならぬ」
こうして阿波民部重能を呼び出して意気込みを確認するものの、それだけにとどまりそれ以上追及しませんでした。ですがのちに阿波民部重能は知盛の危惧していた通り、裏切ることとなります。
知盛(だからあの時首をはねていれば……!)
結果、平家側に味方していた陣は少しずつ源氏側に寝返り、陸と海からは源氏に攻められ、平家は陥落していきます。とはいえ、首をはねていたからと言ってそれだけで形成が逆転していたとは正直考えにくいです。それほどまでに、この時には既に源氏と平家には大きな戦力差がありました。ですがやっぱり戦闘中に味方に裏切られるというのは、心境的にも辛いですよね。
そして最終局面に差し掛かります。
二位尼は幼い安徳天皇を抱いて入水、三種の神器も海へ沈みゆくのを見届けた知盛は、最後まで戦う者や次々に入水する者を全て見守った後に自身も入水します。
知盛「見るべき程の事は見つ、今は自害せん」
(見届けるべきことはすべて見届けた。 このあと、何を期待することがあろうか。今は自害しよう)
こうして鎧二枚を羽織り、乳兄弟である家長と手を取り合って入水します。享年三十三でした。