また雨が降っています。 外はもうずいぶん寒いのに、部屋の中にいると、どうにも気持ちが落ち着きません。
いったん手を止めて、少しだけ自分のために時間を取ることにしました。 最近、ずっと答えが出ないままのことを考えるために。
——今の私は、大人になったのか。それとも、気概を失ってしまったのか。
3月14日、胸を高鳴らせながら初めて投稿ボタンを押した日のことを、今でも覚えています。 あの瞬間、長いあいだ抱いてきた「夢」が、ようやく現実になりました。
あの頃は、どうすればPVを増やせるのかと悩むたびに、自分に言い聞かせていました。 ——「何のために書き始めたのか、忘れないように。」
その言葉に、何度も救われました。 でも今は、だんだん分からなくなってきて……。
私はその言葉で初心を守っているのか。 それとも、思うようにいかない結果から目をそらしているだけなのか。
振り返れば、昔の私は確かに未熟でした。
自分には「勇気がある」と思って、見ず知らずの読者さんにメッセージを送り、作品を読んで感想をもらえないかとお願いしていました。
自分は「謙虚」だと思い、作品をもっとよくしたくて、助言を求めていました。 そのくせ心のどこかでは、もう十分よく書けている、ただまだ見つけてもらえていないだけだ、とも思っていました。
自分を「天才」だと思っていたことさえあります。 自分の描いた登場人物に酔いしれ、一つひとつの展開が緻密につながる、見事な物語を組み立てたつもりでいました。
今思い返すと、やはり恥ずかしくなります。 でも、それが分かったからといって、今の私は以前より大人になったと言えるのでしょうか。
昔の自分は無鉄砲だったと批判し、ようやく分別がついたと思う一方で、人に感想を求めることが、ますます怖くなっています。 「分別がついた」というのは、臆病になった自分に、聞こえのいい言い訳をしているだけなのかもしれない。
昔の謙虚さなんて、ただ格好をつけていただけだと冷笑する。 けれど、そうやって過去の自分を見透かしたつもりになることにも、あの頃と同じ思い上がりがある気がします。
もう、軽々しく「才能」を口にすることはなくなりました。 自分も、ごく普通の書き手の一人なのかもしれない。そう受け入れ始めてもいます。
でも、平凡な自分を受け入れたのか、それとも、何かをつかもうとすること自体を諦めてしまったのか。それが分かりません。
——自分は天才ではないと思うようになっても、普通の自分とどう付き合えばいいのかまで、分かるわけではないんだな。
今も書いています。書きたい物語もあります。 ただ、ときどき懐かしくなるんです。 初めて投稿ボタンを押した、あの期待に満ちていた自分が。
あの思い上がりに戻りたくはありません。 それでも、そこに混じっていた情熱まで手放したくはない。
私がまだ答えを出せずにいるのは、きっとこのことなのだと思います。
——手放すべきものと、残しておきたいもの。その二つを、どうすれば分けられるんだろう。
雨は、まだ降っています。
P.S. でも、昔の自分のこんなやり取りを見返すと、なんだか元気が出ますね~。
(画像のメッセージ「この一歩を踏み出せば、小説家だ!」)