最近巷で「最近のワンピースがつまらない、面白くない」という意見がよく見られる。面白いか面白くないかは主観に依るので、それは各々が自由に判断すればいいと思う。しかし、新世界編以降のワンピースとそれ以前のワンピースとで、一体何が違うのだろうか。ストーリーとか設定とか伏線とかの良し悪しではなく、データの推移から考えてみようと思った。
よく耳にする意見では「ストーリーが冗長になった」というもの。つまり、新世界編以降では物語の進行が極端に遅くなった、というのだ。
しかし、それは本当なのだろうか。と言うのも、そもそもワンピースは、新世界編以前から、週刊連載漫画としてはストーリーが壮大な漫画として知られていたからだ
例えば、所謂「ウォーターセブン」と呼ばれる島を舞台としたストーリーは、『第323話「水の都」ウォーターセブン』で島に入国してから、『第439話 三人目と七人目 』で島を出るまでに、単純計算で116話も要していることになる。これは大変な長編である。何故なら一つの章の物語が完結するのに2年程かかっていることになるからだ。
ちなみに、ドラゴンボールの「フリーザ編」は、第245話 ナメック星行き発進!! から 第327話ナメック星消ゆ まで82話かかっている。これにしたってジャンプでは相当な長編なのだ(と言うよりこれが長編指向の走りだともいえる)。そして、それ以降もだいたいこれくらいの規模感でストーリーが進行していくこととなる。「セル編」「魔人ブウ編」と、増えることも減ることもなく、最終章であるの魔人ブウ編も、 第430話 ドラゴンチーム集合!! から 第517話 大団円 そして… まで87話くらいである。
ワンピースは新世界編以前から既に、ストーリーの長い漫画だったのだ。
では、新世界編以降は、もっとストーリーが長くなってしまっているのだろうか。調べてみよう。
まず、ワンピースの新世界編以前の長編をまとめる。
東の海編
第三話~第7話 海賊狩りのゾロ 全5話
第8話~第21話 道化のバギー 全13話
第23話~第41話 百計のクロ 全18話
第43話~第68話 海上レストラン 全25話
第69話~第95話 アーロンパーク 全26話
アラバスタ編
130話~153話 ヒルルクの桜 全23話
154話~216話 アラバスタ 全62話
236話~302話 空島 全66話
323話~439話 ウォーターセブン 全116話
443話~489話 スリラーパーク 全46話
525話~597話 頂上決戦 全72話
新世界編以降
608話~647話 魚人島 全39話
655話~695話 パンクハザード 全40話
701話~791話 ドレスローザ 全90話
802話~823話 ゾウ 全21話
832話~900話 ホールケーキアイランド 全68話
910話~1051話 ワノ国 全141話
1061話~1121話 エッグヘッド 全60話
? エルバフ ?
……どうだろう?
新世界編と比べて、極端に冗長になっているのだろうか?
確かに、東の国編のように、最初期の短い話が連続している章と比べると、規模は倍近くに膨れ上がっていると見て良い。しかし、アラバスタ編など、評価の高い章と比べて、極端にストーリーが長くなっているのかと問われれば、それほど違いが無いことが見て取れる。せいぜいが、ワノ国編が少し長引いた程度である。
そもそも新世界編は600話からスタートした。つまり、これだけの長期連載でありながら、実は新世界編よりも、まだ新世界編以前の方が長いのだ。
ということはだ。新世界編がスタートした時点で、少なくとも1200話以上の、前代未聞の大作に仕上げることを、作者や編集者は初めから想定していたと考えても不自然ではないし、読者側もそれを覚悟していなければならなかった。
少なくとも、「ストーリーの冗長性」に限って言えば、世間で言われるほど問題ではないと私は思う。批判が強まった原因はもっと他にあると見て良い。
私は、新世界編以前のワンピースと以降のワンピースを比較して、極端に作風が変化したとも、魅力がなくなったとも思わない。ワンピースの面白さは未だ健在だと思う。問題は、それ以外の部分が異様に増えているところにある。
癖の強いギャグや、不自然な言動、あまりに過多な設定、話の脱線、ワンパターンなストーリー。世間で取り沙汰されているこれらの問題は、そもそも連載当初から既に指摘されていた、ワンピースの欠点である。当たり前だが、ワンピースとは決して完璧な物語ではないのだ。様々な要素が複雑に絡み合い、それらが一つなぎの精密な歯車のようにうまくかみ合っていたがために、ワンピースは奇跡的な面白さを実現していたのだ。
商業的な作品というのは、主に三種の人間によって構成されている。作者、編集者(出版社、放送局など所謂パトロン)、そして読者の三種である。これらが相互に上手く作用することによって、傑作が生まれるのである。
今、ワンピースはこれら三種のバランスが崩れつつあるのだろう。ただそれだけのことであり、作品の表面上の変化は、それほど問題ではない。だから、ワンピースの批判は、作者のせいでもなければ、編集者や出版社のせいでもない。そして読者のせいでもない。
おそらくこれはもっと深刻な崩壊の兆候なのである。