春ですね。三月の光は切なくて、花粉がいっぱい飛んでいて涙が出ます。数日前、私の高校二年生が終わりました。
人生への諦めと希望、絶望が乱雑に交差していて、それを全部小説のような何かにできたらいいのですが、そんな技量があるはずもなく。諦めを知ってしまったから苦しくて、だけど生きていくしかないのでこんなものを書いています。
真っ暗な高校一年生を過ごした私にとって、今年は本当に素晴らしい一年でした。高二になってから入った部活で、美しい青春を知りました。特に夏は、彩度の高い思い出ばかりです。
もう卒業してしまったけれど、好きな人がいました。本当に優しい人でした。中途半端に救われてしまったから、鮮烈な苦しみや死にたさが薄れてしまって。それで、小説が書けなくなりました。
小説とは関係のないコンテストのようなもので、自分の持てるもの全てを注ぎ込んで頑張ったことがいくつかありました。一つも報われなかったです。生まれてから自分にうっすらあり続けたプライドやアイデンティティのような何かが、綺麗に崩れていくのがわかりました。その経験はきっと未来で役に立つよ、とか今はそういうのいらなくて、自傷のような絶望はただただ気持ちがいいなぁ、と思います。
美しい青春は知ったけれど、けれどと思います。そういう人生だったね、と諦めのような何かを、何度も何度も。才能がない。魅力がない。努力が足りない。もっと不幸になれば美しい文章が書けるだろうかと、小さく思ってみたりします。ギターが弾きたかった。天才シンガーソングライターになりたかった。08や09のK-POPアイドルを見るたびに死にたくなります。
怖いです。世界とか、そういうものの全てがぼんやりと。それはきっと、至極当たり前のことなのだと思います。空や音楽は美しいけれど、人、や世界、を信じられなくなって、生きていくことや世界の全てに明るいものを見出せない。絶対的なものはないのだと知ってしまったことが、諦めを知ったまま生きていく未来が、怖いです。季節は移り変わらないでほしいし、戦争なんてしないでほしいし、全ての人が平等に愛されてほしい。届かないことばかりを願ってしまいます。
悲しみを少しだけ脚色して、そうやって小説にするような誰かになれたらよかった。そうじゃないなら幸せになりたかったし、普通に愛されたかったです。文章を書くには苦しみが足りない。笑って生きるには幸せが足りない。高校三年生になんてなりたくないです。
大人になるとは、死にたいと簡単に言えなくなることで。大人になるとは、詩が書けなくなるということなのではないかと、今はぼんやり思っています。
この変なペンネームで何かを出すのは、一応高校卒業までのつもりでいます。小説が好きで、文章が好きで、熱量を持って創作をしている人を、私は心から尊敬しています。私はそういう人間では、なかったから。
どうせ生きるなら、幸せになることを、明るい方へ行くことを第一に生きていきたい。最近はそう思っています。幸せなら小説なんて書かなくてもいいんだと、やっと気づくことができました。
死のっか、みたいなテンションで生きよっか、何もわからないけど、何も知らないけれど、生きていくしかないのなら、焦燥に駆られずに生きていたい。美しい桜が見たい。明るい光が見たい。幸せに、なりたいです。