時系列的には第百九十六話、クリスティナとシンクレアの模擬戦以降、第二百二十八話より以前のお話です。
一応シルベリア公国に向かう前の準備期間の間と思っていただけると幸いです。
「なあに? 贈り物? へぇ、帝都の商人も意外とセンスいい物贈って来るじゃない」
執務室での作業中。
突然肩に枝垂れ掛かって来たかと思えば、机の上に置かれた品物を興味深そうに眺めるのはシンクレア。
紅色の髪を優雅に垂らした彼女は机の上に放置されていた贈り物が気になったらしい。
最近増えて来た貴族や商人からの探りの手紙や友好を示す打算混じりの贈り物。
その中に混じっていたとある一品。
執事長のユルゲン曰く、帝都でも高級品だというチェス盤と駒のセットは、鏡面のように磨かれた丁寧な木彫りの品物であり、見る者を魅了する繊細な作り。
素人目に見てもいい品だが、どうやら吸血鬼として長い年月を過ごして来たシンクレアから見ても貴重なもののようで、彼女は僕の返答を待つでもなく興味深そうに観察していた。
「ねぇせっかくだし、一勝負どうかしら?」
「そんな暇はない。見て分からないか? 僕はいま忙しい」
「そうはいっても今日はずっと執務室に籠ってばかりじゃない。たまには息抜きも必要だと思わない?」
なんだかんだ自分がやりたいだけなのだろうな。
クリスティナでも誘えばいいものを暇人め。
「……そもそもルールはわかるのか?」
「失礼ね! 吸血鬼の里で一時期流行っていたから私もそれなりにやったことぐらいあるわよ」
艷やかな髪を掻き上げながら自信満々に胸を張るシンクレア。
うむ、この世界、料理やそれに使用する食材もそうだが、元が小説なだけあって変なところで娯楽とか充実しているんだよな。
チェスもその一つで、それなりに大きな大会が開かれる程度には浸透しているらしい。
まあ不便を感じないぶんにはいいのだが。
「それと、せっかくだから敗者には罰ゲームをして貰う、なんてのはどうかしら?」
「こんなお遊びでか?」
「遊びだからよ。何事にも張り合いは必要でしょ?」
一理ある。
あるが……爛々と輝く黄金の瞳から察するに、結局はシンクレア自身刺激が欲しいのだろう。
クリスティナとの模擬戦でもそうだったが……困ったやつだ。
とはいえ罰ゲームか……。
特にシンクレアに何かして欲しいことはこれといってないんだがな。
そんな消極的な雰囲気が伝わったのか、シンクレアはいいことを思いついたとばかりにとある提案をする。
「じゃあこういうのはどう? 私が負けたらその見るからに面倒な事務作業を手伝ってあげてもいいわよ。毎日のように送られてくる手紙の処理に困っているのでしょう? クリスティナやユルゲン、屋敷のメイドたちにも多少は手伝わせているみたいだけど、彼女たちは助言こそ出来ても最終判断はヴァニタス、アナタがするしかない。だからこうして悪戦苦闘している。でしょ?」
最近の僕の活躍? を知ったのか、帝都にあるリンドブルム侯爵家には連日数多くの親書が届けられていた。
勿論それらすべてが純粋に僕と友好関係を築きたいものばかりではない。
話題の人物に探りを入れるため、あるいは自分の勢力に利用するため、あわよくば手駒とするためなど思惑は様々。
とはいえ、父上の下で長年事務作業を続けていたユルゲンに丸投げでも構わないのだが、中には有用な情報が書かれていることもある。
それに、敵味方をはっきりさせる意味でも僕自身が対応するメリットはそれなりにあった。
このチェスのセットのようにこちらの興味を多少なりとも引くものもあるしな。
普段暇している、何だったら暇過ぎて余計なことも企んでいそうなシンクレアが作業を手伝う、か。
まあ悪くはないな。
「僕が負けたら?」
「そうねぇ……フフ、ワンちゃんの物真似でもしてもらおうかしら。普段生意気なアナタが負け犬のように媚びる姿……クスクス、是非見てみたいわ」
「……いい趣味じゃないな」
「心配しないで? たとえ惨めな負け犬になっても、ううん、負け犬だからこそ可愛がってア・ゲ・ル・か・ら」
「はぁ……いいだろう。後悔するなよ」
「フフ、そっちこそ、いまから逃げようとしても遅いわよ。こう見えて私、吸血鬼の里では負け無しだったのよ。クスクス、手加減は期待しないでね」
そうして何故か一触即発の空気の中、僕たちの遊戯《チェス》対決は始まった。
始まったのだが……。
「…………」
「ねぇ、ちょっと、話ぐらいしないの? これじゃあ壁とやってるのと変わらないじゃない」
「そうか? 真剣勝負がお望みだろ? 言葉は不要だと思うが」
「もうっ、つれないわね。つまらないから無言はなしよ」
「ふぅ、わかった」
「ほら、そっちの番だ」
「…………中々やるようね。でもここからが本番よ。ビショップでナイトを取るわ。さ、次はアナタの番。よく考えて動かすことね。でないとすぐに敗れることになるわよ」
「そうか」
「さあ追い詰めたわよ。ヴァニタス! これで私の……!」
「いや逆だ。僕が追い詰めた。……チェックだ」
「チェッ、チェック……!? いつの間に……? いいえ、まだよ……! まだここから挽回を……!」
「ああ時間はある。よく考えることだ。後悔しないようにな」
「く、調子に乗らないで!」
そんなこんなで一時間後。
あれだけ大言を吐いていたシンクレアはというと……。
青い顔をして齧りつくようにチェス盤を眺めていた。
「じゅ、十三連敗……? こ、この私がこんなにも無様に負けるなんて……。も、もう一度よ! もう一度!」
「いやもうこれ時間の無駄だろ」
弱過ぎる。
はっきり言って相手にするレベルではない。
どういう訳だ?
あんなに自信満々だったのに何故こんなにも弱い?
勝敗も力量差も明らかなのだが、当のシンクレアは認めたくないのか食い下がらない。
もう一戦、もう一戦、とせがむ彼女をなんとか宥める。
「はぁ、いい加減諦めたらどうだ? このまま続けても勝てるビジョンすら見えないのは自分でもわかるだろ?」
「ぐっ……でも駄目よ。この私が負けたままなんて許さない!」
場面が違えばかっこいい台詞だったのだろうけどな……。
手も足も出ないこの状況では響くものはない。
「そもそもなんでこんなに弱いんだ?」
「わ、私だってわからないわよ。吸血鬼の里では連戦連勝で負けたことなんて一度もなかったのに……なんでこんなにあっさり……」
「……それ、接待だったんじゃないのか?」
「はぁ? そ、そんな馬鹿なこと……あの子たちが手加減していたとでもいうの?」
あり得なくはないだろう。
シンクレアの話では彼らにとって彼女は恩人中の恩人。
その大恩ある相手にたとえ遊戯の上の勝負だとしても強くは出れないのが普通だ。
勿論単にからかわれていた可能性も無きにしもあらずだが……。
「うっ……じゃああの娘たちが『……シンクレア様、もし賭け事をすることがあっても遊戯関係、特にチェスだけは避けて下さいね。絶対に重要なことは賭けないで下さい!』と念押ししていたのは……? あの時はなんでそんなに真剣なのか不思議だったけど……」
真相は定かではないがシンクレアにも思い当たる節があるらしい。
とはいえ……。
「さて、思い出に浸るのもいいがそこまでだ。確か、負けた方が罰ゲームを受けるんだったな?」
「ま、待って! ……私が負けたのは理解したわ。でもその……もう一回だけ対戦しない? ね?」
「うむ、別にしてもいいといえばいいのだが……それならそれで相応しい頼み方があるんじゃないか?」
「くっ……わかったわよ。……その……もう一度対戦お願いします」
「? 聞こえないな」
羞恥心からか真っ赤に染まるシンクレア。
だが僕に犬の真似をさせようとしたんだ。
簡単に許すのもな。
そもそも罰ゲームだっていまのいままで保留中だし。
「ぐぐぐっ……ヴァニタス・リンドブルム様、何卒もう一度対戦よろしくお願いします。この卑しい敗北者であるシンクレアともう一戦遊戯対決をお願いします。これでいいでしょ!」
「駄目だ」
「なっ……!?」
「このままではな。そもそも敗者は罰ゲームのはずなのに、いまのいままで罰を保留にしていたんだ。それだけでも甘い裁定だと思わないか?」
「そ、それはそうだけど……」
「だから追加の罰ゲームだ。シンクレア、お前が次負けたら一週間の間、語尾に『にゃん』をつけるのはどうだ? ああ、そうだ。わかりやすく猫耳をつけるのもいいな」
「こ、この私に猫の真似をしろというのかしら?」
負け犬ならぬ負け猫。
悪くないアイデアだろ?
「……確認したいのだけど、それはヴァニタス、アナタの前だけのことよね。他では普通に接して構わない、そうよね?」
恐る恐る尋ねてくるシンクレア。
だがそんな甘いはずはない。
「そんなはずないだろ? いついかなる時もだ」
「ぐっ、私にも威厳というものがあるのだけど……」
「関係ないな。嫌ならこの勝負は無しだ」
「ぐ、ぐぐ……い、いいわよ。やってやろうじゃない! その提案、絶対に後悔させてあげるわ!」
そうして繰り広げられる最後の対戦。
シンクレアは今度こそ勝者になるべく奮闘する。
それこそかつてないほどの集中力は目を見張るものがあった、あったのだが……。
結果は大方の予想通り。
「うむ、経験の違いというやつか。中々に捗るな。シンクレア、そっちの書類を分類別に振り分けてくれ」
「わかったわよ……」
「わかった『わよ』?」
「……わかったにゃん」
「そうか、では頼むぞ」
「うむ、シンクレア、この言い回しの真意はなんだと思う? どうやら自家のパーティに招きたいようだが……交換会? それに物品を必ず用意するようにとは、どうにも不自然だな」
「……これは出席者の数が家の規模に釣り合っていないにゃ。明らかに多過ぎるにゃ。交換会なんて謳っているにゃけど、恐らく自分は安物を渡して相手には高い物を出させるつもりにゃ。……多分借金でもしてるんじゃにゃいかしら。面倒なことになるから避けるのが無難にゃ」
「ほう、なるほどな。流石だな」
「フン、これぐらい普通よ。……普通にゃん」
「そうだ。少し肩が凝ったな。良かったら揉んでくれないか?」
「なんで私が……! 罰ゲームは手伝いだけで……!」
「駄目か? うむ、確か誰かさんは無様に十四連敗したんだよな。もしこのことが屋敷で噂になれば……」
「ぐっ……わかったにゃん。ほぐさせていただくにゃん」
「そうか、ありがとう。それと紅茶も欲しいんだが……」
「持ってくるにゃん! そこで少し待つにゃん!」
「ヴァニタス、絶対許さないにゃん! 次は絶対、絶対負けないにゃん!!」