• 異世界ファンタジー

記念公開『異世界巡ル均衡蝶』

『諸人こぞりて 迎えまつれ
 久しく待ちにし 主は来ませり
 主は来ませり 主は、主は来ませり!

 悪魔の人牢を 打ち砕きて
 捕虜をはなつと 主は来ませり
 主は来ませり 主は、主は来ませり!

 平和の君なる 御子を迎え
 救いの主とぞ 誉め称えよ
 誉め称えよ 誉め、誉め称えよ! 』

 ――いつか救いがあると信じ、人々はそう歌うのであった。




 目を開くと、そこは青々とした木々がひしめく森の中であった。
フランツこと僕――日本人だが理由あってこの名を名乗っている――は、生前には決して見ることができなかったであろう美しい景色に目を見張っていた。
……なぜこの状況に至ったのか、それを説明するには、少し昔に遡る必要がある。



 転生前、僕こと|山城 徹《やましろ とおる》は日本に住む普通の男子高校生だった。
――不治の難病を患ってしまい、病室にこもりっきりであるということ以外は。
歩くこともままならなくなった僕に見える世界は、病室と窓枠で切り抜かれた空だけだった。

 以前から医者に告げられていたことであったが、ある日、僕についに死神の鎌がかかった。
鳴り響く心電計のアラーム、せわしなく動くナースの靴音、遠くから聞こえる父母の鳴き声――
それらの音は、僕をなんとかして現世に留めようとしていた。

 だが対照的に、自分の頭の中はどんどんと静かになっていった。
死を自覚したのだろうか、それとも最後の強がりなのか――いずれにせよ、その運命を自分は受け入れていた。
そして現世と僕をつなぐ糸を死神が切り取ったとき、喧騒も薄れ、僕は静かな眠りについた。

(……そう、僕は死んだはずだ。では、なぜこんなところに?)

 死んだはず――いや、「はず」ではなく断定して「死んだ」はずだ。
でも目を開いてみると、僕は知らない場所に立っていた。
それも、もう使えなくなったはずの足で。

 不思議な気持ちに襲われながらも、僕はゆっくりと一歩を踏み出す。
間違いなく足は思い通りに動き、地面の、いや地面ではない何らかの柔らかい物体の感触を返してきた。
僕は感動した、でも涙は不思議と溢れなかった。

「あら、ようやくお目覚めのようね」

 誰かの声がする――聞いたことのない、女性の声だ。
地球では絶対にないこの場所で、一体誰が自分に話しかけてくるというのだ?
僕はそう思いつつ、おそるおそる首を後ろに向けた。

「おはようございます。調子はどうでしょう?」

 振り返ってみると、そこには黒髪の女性が立っていた。
体には、ローマ人がよく着ている白いトーガのようなものを身につけている。
僕は直感的に悟った――それは人の姿をした何かだ、と。

「はじめまして、山城さん」

「あなたは……人ではないですね。女神様、でしょうか?」

「女神……貴方の目にはそう映るのですね」

 僕の目にはそう映る?
確かに目の前にいるのは女性のはずだが、そうではない?
僕は理解が追いつかなかったが、彼女は「気にしないで」とだけ言って話を続ける。

「山城さん。貴方は残念なことに、若いにもかかわらずお亡くなりになられました。お悔やみ申し上げます」

 そう言うと、彼女は深々と頭を下げた。

「いえ、いずれ死ぬのは分かっていましたし、覚悟はできていました。その時が訪れた、ただそれだけです」

「……お強いのですね。でも私は知っていますよ、貴方が病床の中で、一番切に|生《・》|き《・》|た《・》|い《・》と願っていたことを」

「……!!」

 生きたい、自分がそう思っていたのか? 本当に?
不治の病だと告げられたときから諦めが付いていた、この僕が?
そんなはずは……いや、隠し続けてきた本当の思いは……

「……そのお顔、随分と苦労をされてきたのですね」

 僕は震える手を顔に伸ばし、おそるおそる頬を伝う冷たいものに手を伸ばす。
それは自分が病気発覚以来隠し続けてきた、本当の気持ちだった。
女神……らしき彼女は、静かに僕の頭に手を載せた。

「生きたいという気持ち、貴方の気持ちは本物でした。それこそ、私を心の奥底から揺さぶるほどに」

 僕は何も言わない、何も言えなかった。
ただ押し留めることのできない寂しさが、溢れ出してくる。
それを彼女は、静かに受け止めてくれた。

「……落ち着きましたか?」

「ええ、すみません。恥ずかしいところをお見せしました……」

 どれほどそうしていたかはわからないが、しばらくの後に心の整理を僕は付けた。
そんな僕の頭から彼女は手を離し、ニッコリと笑う。
大丈夫、もう泣くことはない。

「貴方の生きたいという強い願い、その願いに敬意を評し、私は貴方に第二の生を与えたいと思っています。それも異なる世界での」

「……第二の生? それはつまるところ、異世界での転生ということですか?」

「ええ、その解釈で間違っていないです」

 信じられない――漫画だけだと思っていたことが、今自分に起ころうとしている。
それに再び、自分に生が与えられるというのだ。
これほど、僕にとって嬉しいことはなかった。

「喜んでお受けさせていただきたいと思います。僕に、もう一度生を――」

「分かりました。しかし、注意すべきことが一つだけあります」

「注意すべきこと――?」

「それは、貴方が異世界においては孤独ということです。あ、これは喋る人がいないという意味ではなく、貴方と同じ感性・歴史・系統樹を持つ地球の生物が一人も、一匹もいないということです」

 それはそうだ、異世界なんだから当然だろう。

「地球人ではない、異世界の人間はいるのですか?」

「ええ、一般的な人族の他に獣人族、エルフ族、そして魔人族がいます」

 なんだ、それならば孤独になることはないだろう。
たとえ地球人でなくとも、異世界の人と仲良くなっていけば寂しさも紛れるはずだ。
そんな孤独は、第二の生を得られることと比べれば大したことではない。

「それでも構いません。どうか、僕に第二の生を」

「……分かりました、覚悟は決まったようですね。では異世界に転生させますよ」

 そう言うと、彼女は指をパチンと鳴らした。
指を鳴らす音が聞こえると同時に、僕の視界は真っ暗になる。
そしてそのまま暗闇に落ちていくように、意識は深く深く潜っていくのであった。





「あの子、異世界でホームシックにならないかしらね?」

 女神は山城を見送ったあと、一人でそう呟く。
そして自分は特等席から彼の異世界での生活を見るため、外界とつなごうとした。
その時、彼女の後ろに誰かが現れる。

「……イデア様、少しお話よろしいでしょうか?」

 イデア、そう呼ばれた女神が振り返ると、そこには立派な髭を蓄えた老人が立っていた。

「あら、貴方は確か……」

「プラトンと申します。イデア様」

「イデア様、ね。本当に|人類《ホモ・サピエンス》は私にいろいろな名前をつけるわね。で、何の用かしら?」

 プラトンと呼ばれる男は、手に持っていた小さな鍵を女神に渡す。
彼女はその鍵を見るなり、小さく微笑んだ。
そして鍵を受け取ると、プラトンの目を真っ直ぐ見つめて言う。

「……この鍵が何を意味するのかは分かっているわよね?」

「ええ。それは彼への、我ら|人類《ホモ・サピエンス》からの贈り物です。例え異世界に行こうとも、その鍵があれば彼はいつも|我々《地球人》と共にあります。彼を一人にしないための餞別だと思ってください」

 プラトンが渡した鍵、それは【記録の鍵】と呼ばれるものであった。
女神はそれを指にはめてくるくると回し、プラトンに微笑みかける。
そして彼女は何かを思いついたのか、彼に向かって言った。

「あなた達がそれほど気にするなんて、少し興味が湧いてきたわね。あの子が生きている間は、あっちで私もともに暮らすことにしましょう! それがいいわ!」

「しかし、こっちでの仕事は……」

「もともと無いに等しいから構わないわ。では少し行ってくるわね」

 そう言い、女神は再び指を鳴らそうとする。

「あ、最後にお願いがあります。彼に『フランツ・ヨーゼフ』という名前を贈ってください。それが|人類《ホモ・サピエンス》からの、最後の贈り物です!」

「……確かにその願い、聞き遂げたわ」

 そう言い、女神は光に包まれて姿を消した。
そんな彼女を、胸に手を当てながらプラトン、そして姿を表した無数の人類が見送る。
――そして僕が転生しきるまでのこのやり取りが、僕の異世界での生活を確かに変えるのであった。

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