海外に住む友人と新年の挨拶と彼女の「ハッピーバースデー!」を
LINEでやりとりしていたときのことだった。
ふと、彼女がいった。
「ところで……お誕生日のカード、まだ届いてないみたいね。遅くなってごめんね」
あ、と思った。
毎年、彼女は誕生日カードを送ってくれるやさしい人だ。
私は出さないのに。
年明けすぐが彼女の誕生日で、月は違えど私と誕生日が近い。
私がカードの話題を出さなかったから、
もし届いていたとしても気を悪くさせないように、先に謝ってくれたのだろう。
ここにも彼女のやさしさが、にじみ出る。
けれど、残念ながら届いていなかった。
「そうかぁ。でも、そのうち届くよ。うん」
その日は、それで終わった。
しかし、数日経っても、一ヶ月経っても、カードは姿を見せない。
今までこんなことは一度もなかった。
私たちは半ば冗談まじりに、
「どこかのポータルに吸い込まれたのかも」
「バミューダトライアングル……ワームホール……」
などと笑い合った。
そんなやりとりも忘れかけていた、この三月。
仕事から帰ると、机の上にエアメールの封筒が置いてあった。
まさか。
——届いた。 あの誕生日カードが。
くたびれた封筒を手にした瞬間、「こいつを必ず届けるんだ」
そんな声が聞こえてきそうなほど、強い何かを感じた。
誰かが仕分けをして、誰かが運んで。
きっと、いつもより多くの人の手を渡って、
見えないどこかを通って、遠回りしながら
ようやく私のもとへ辿り着いたのだろう。
「ちゃんと届けよう」とした力が、
最後まで途切れなかったから、ここにあるんだと。
ぼくのこころに
いつも うさぎさんの ばしょがあります。
これからも ずっと ありがとう。
おたんじょうび おめでとう。
物語のこの文は、カードの中の、彼女の言葉そのままだ。
この出来事がなければ、
『ねずみさんの きいろい ふうとう』は生まれなかった。
誕生の祝福。
助け合うこと。
それぞれの得意が重なり合うこと。
あきらめずに届けようとすること。
そして、世界は見えない道でつながっているということ。
気持ちは、ときに届かない。
伝えたかったのに、伝わらないこともある。
勇気を出しても、受け取ってもらえないこともある。
それでも、「届けたい」と願う気持ちそのものが、
大事な力なのだと、 三ヶ月遅れのカードが教えてくれた。
人生は、ときどき思いがけない贈り物をくれる。
この物語は、そのひとつだ。
ねずみさんの きいろい ふうとう
https://kakuyomu.jp/works/2912051596473054070