かつて読んだ本の中に、「未来の人間とは取引ができないのだから、地球は大切にしなければならない」といった趣旨の一節があった。正確な文言も、書名も、今となっては覚えていない。ただその言葉だけが、妙に長く胸に残っていた。
未来は交渉の場に現れない。
だからこそ、未来のために何かを差し出すという行為は、常に一方的で、報われる保証のないものになる。
本作は、その不公平さから生まれた物語である。
道徳的な言葉に触発されながら、なぜこれほど救いのない結末を書いたのかと問われれば、理由は二つある。一つは単純に、私自身がバッドエンドの物語を好むという嗜好だ。だがそれだけではない。
私が高校生だった頃、「SDGs」という言葉が社会に広まり始めた。ある日、物理の授業の合間に、教師がそれについて雑談を始めたことがある。進学パンフレットに掲載されるらしい、という実務的な理由からだったと思う。
その教師は、理想を語るよりも現実を直視することを好む人だった。教師を辞めるために毎月宝くじを買っている、などと冗談めかして話すような人物でもあった。
彼はSDGsに懐疑的だった。実現するはずがない、と。
そして、こんな問いを投げかけた。
「自分の子どもが飢えるとしたら、それでも他国の子どもを助けるか?」
教室に明確な答えは返らなかった。
その沈黙こそが、私には強く印象に残った。
本作に登場する来訪者は、善意を求めてやって来る。しかし人類は、彼の痛みそのものではなく、自分たちの不安と損得を先に計算してしまう。そこに悪意はない。ただ、選択があるだけだ。
「助けない」という選択。
あるいは、「考えない」という選択。
この物語は、未来を救う話ではない。
未来を救えなかった理由を描いた話である。