第4話 久我家の呪詛と、最初の“生存者”

◆ 久我家・北の離れ ◆

久我家の屋敷は、夜の闇に沈んでいた。

灯明はすべて落とされ、

まるで屋敷全体が“息を潜めている”。


晴明が掲げた式盤の幾何学模様が、

かつてないほど激しく明滅した。


「……ここです。

 呪詛歌の波形が、もはや“音”ではなく──

 叫びになっています」


道長が門を押し開けた瞬間、

冷気が刃のように肌を切った。


「“言葉の死臭”だな」


清少納言が眉をひそめる。


「こんな空気……初めて感じるわ」


道長は静かに告げた。


「呪詛歌を“聞かされた”者がいる。

 だが──まだ死んでいない。

 不完全な解体だ」


◆ 北の離れ・空蝉の男 ◆

襖を開けると、

一人の男が座り込んでいた。


目は虚ろ。

呼吸は浅く、

口元からは一定のリズムで音が漏れている。


「あ……う……あ……う……」


だが、その音は均一ではない。

微妙に揺れ、震え、

まるで“何かを刻んでいる”。


晴明が息を呑む。


「母音の反復……意識が破壊されています」


清少納言は、男の指に握られた料紙を抜き取った。


あまねくも

うつろふ風の

あはれかな

うらみの声は

あめに消ゆとも


「……全三十一文字のうち、

 母音が“あ・う”の二音だけ……?」


道長は頷いた。


「始まり(あ)と終わり(う)だけを残し、

 中身を殺す。

 精神のデッドロック(停滞)だ」


道長は男の前に膝をつき、

その「あ……う……」の間隔を聴いた。


そして、扇を静かに閉じた。


「……納言、晴明。

 これは後遺症じゃない」


清少納言が目を見開く。


「じゃあ、何なの?」


「メトロノームだ。

 この男は、壊れたふりをしながら──

 呼吸で“設計者のID”を刻んでいる」


晴明が震える声で言う。


「ID……?」


道長は料紙を裏返さず、

あえて表の“墨の掠れ”を指でなぞった。


「この歌、特定の文字だけが不自然に太い。

 『ま』『の』『す』──」


清少納言が息を呑む。


「……ま・の・す……?」


「繋げれば、

 “真ノ守(まのかみ)”」


晴明の顔が真っ青になった。


「……真ノ守。

 私の直属の部下です……!」


道長は立ち上がり、扇を鋭く閉じた。


「久我家は“実験場”にすぎない。

 呪詛歌の設計者は──

 陰陽寮の内部だ」


清少納言は震える声で言った。


「……陰陽寮が、都を……?」


道長は静かに言った。


「言葉で人を壊す者は、

 必ず自分の言葉に“署名”を残す。

 それが、言葉の宿命だ」


晴明の式盤が激しく明滅した。


「道長様……

 陰陽寮の内部に、敵が……?」


道長は扇を開いた。


「晴明、案内しろ。

 都を腐らせている“毒の源泉”へ」


月光が三人の影を長く伸ばし、

平安京の闇は、ついにその“心臓部”へと潜り始めた。

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