第5話 サヨナラ勝ちの余韻と、終わらないパシリ

 サヨナラ勝ちに沸くみずほPayPayドーム福岡。

 グラウンドではお立ち台が設置され、勝利の立役者が大音量のスピーカーを通じてヒーローインタビューに応じている。数万人の観客が地鳴りのような拍手でそれに応える映像が、渚のサブモニタにも映し出されていた。


 だが、その華やかな喧騒は、高度三千メートルを旋回するE―767改「カササギ」の機内にいる柳美緒にとって、鼓膜を逆撫でする「因果のノイズ」でしかないようだった。渚がそっとミュートを解除した通信回線から、柳の気怠いクレームが流れ込んでくる。


『……あー。一ノ瀬さん。報告。地上の勝利の雄叫び、私の脳内演算器(OS)、さっきからハウリング起こして不快。……あと、……地上。ドームの駐車場。百田さんが地下で暴れすぎて、ドームの地盤、三ミリ沈みましたよ。これ、九電工の金山さん、あとで泣きながら修復作業させられる案件ですね。……かわいそう。……報告。……私も、脳みそが三ミリくらい沈んだ気がします。不快……』


 柳が『トラキチ君』を力なく齧るカサカサという咀嚼音と、バナナチョコの甘い香りが、電子ノイズ混じりに渚の耳にも届くような気がした。

 渚は、頬杖をつきながらマイクのスイッチを入れた。


「三ミリ? 柳っち、それ誤差でしょw。てか、金山さんに修復させればいいじゃん。あの人、電気工事士のくせに影とか土木とか、なんでも屋でしょ。……それより、お礼のアイス、当たり棒じゃなくてハーゲンダッツの新作ね。……え、今トラキチ君食ってんの? 柳っち、味覚まで陸自のままなんだけどw」


 軽口を叩きながら、渚は熱を持った自分の指先をパタパタと振った。

 ドームの数万人の命を救ったのは、間違いなく柳の眼と、自分の放った「漂白(デリート)」だ。だが、地上の誰もその事実を知らない。ヒーローインタビューを受けている選手たちも、歓喜の涙を流すファンたちも、自分たちがどれだけ薄氷の上を歩いていたかに気づいていない。


『柳さーーーん! 地下のゴミ、全部場外ホームランにしておきましたよ! 今から基地まで走って帰りまーす!』

 地上の百田遊里から、プロテインの匂いがしそうなほど過剰に快活な報告が届く。


「……あはっ、百田さんマジ元気すぎ。……でもさ、柳っち」

 渚は、誰も自分たちを褒めてくれないこの理不尽な世界で、唯一「真実」を共有している空の上の戦友に、ぽつりとこぼした。

「……アタシら、何やってんだろね。こんなに頑張ったのに、誰も『ありがとう』なんて言ってくれないじゃん」


 渚の言葉に、柳がどう返そうとしたのかは分からない。

 その直後、運用管理官である野上陽子三佐の、凍りつくような冷徹な声が通信に割り込んできたからだ。


『三等空佐から報告。百田二士、任務完了を確認。……だが柳三曹、アイスを噛むのを止めなさい。ドーム上空からパージされた虹色の粒子……。あれ、完全に消滅したわけじゃないわ。海風に乗って、志賀島(しかのしま)方向へ拡散中。……その粒子の「核」が、海上で不自然な収束を見せている。追跡なさい』


「……は?」

 渚の指が、デコられたマウスを激しく滑らせる。

 野上の言う通りだった。ドーム上空からパージしたはずの汚染粒子が、霧散することなく、海上で最悪の化学反応を起こしていたのだ。先ほど地下で百田が叩き潰した「鷹宮の装置」から漏れ出した残骸データと、ドームを覆っていた虹色の残滓が、禁忌の融合を果たしている。


「……ちょっと、待って。……ただのバグじゃない。……あー、マジでありえない。何これ、テクスチャがバグりすぎて……『透明なムカデ』みたいになってんじゃん。……つーか、これ、アタシのファイアウォールを『食べて』ない?」

 渚の瞳に、再びAMDI(演算核)の冷たい光が宿る。既存の物理法則では解析不能な高次方程式で構成された、生きている「錆」。


『……一時の方向。海の上。拡散した粒子が、さっき百田さんに壊された鷹宮の装置の残骸と合体して、新しい「嘘」を吐き始めてます。……あれ……、……ただのバグじゃない。……空腹の……巨大な……「透明な……ムカデ」……に化けてますよ……。……不快指数……、……計測不能……なんですけど……』


 柳の絶望に満ちた声が、通信越しに響く。

 サヨナラ勝ちの余韻など、初めから存在しなかったのだ。大人たちの尻拭いのために、不自由な空の女王と、檻の中の魔女は、休む間もなく次なる死地へと向かわなければならない。


 深夜の玄界灘。

 終わらない夜の、最も不毛で過酷な「パシリ(観測)」が始まろうとしていた。

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