第6話 シャワー

「久しぶりの熱いシャワー、格別だったよ。何回シャンプー使っても泡立たなくて自分の汚さにギョッとしたね。アンジェリカ、着替えなんだけど……何してるの?」


 身体に湯気を纏い、ラグエルはバスルームから出てきた。快感から表情はどことなく柔らかく、精神的にも先ほどの昂りは姿を見せていない。


 一方、アンジェリカはベッドの足元から枕に向かってカメラを向けて写真を撮っていた。


 枕には手のひらに収まるほどの小さなぬいぐるみが置かれている。


「私の趣味だ。旅をしている間、この子を色んなところに置いて撮影をしているんだ。この子が旅をしているみたいに見えるようにね」


「犯罪組織のボスが、自分の足跡を残すのは軽率なんじゃないかな」


「ああ、いや別にSNSにアップしたりはしないよ。私の姿は写さない。この子が私の代わりとして思い出になるんだ。私はスマートフォンすら持たないくらいアナログ派だ。これもフィルム式」


「へえ、そういう趣味もあるんだね。つまりは君の分身か。それ……その子はなんてキャラ?」


「姉が持っていた日本のアニメのキャラなんだが、私はそのアニメを知らないし、名前も分からない。少しな姉でね。君は、日本のアニメに詳しいか?」


「いや、分からないな」


「じゃあ黒髪で目が金色だから、この子はこれからリトル・ラグエルと呼ぼう」


「え〜……まあ、いいけどさ。それより、僕の服」


「ああ、あのまま部屋に置いていたら、部屋全体が悪臭で包まれるから捨ててきた。バスローブがあるからひとまず、これを着てくれ」


 アンジェリカは椅子にかけられたバスローブをラグエルに渡す。


「今部下が買い出しに行ってる。ピザとコーラを持ってきてくれたぞ。本のページよりはご馳走だろう、さあ食べよう」


「そう……ありがとう。バスローブって着たことないな」


 ラグエルはバスローブの感触を確かめながら、腰に巻いたバスタオルを地面に落とす。当然ながら全裸。


 アンジェリカはそこで初めてラグエルの身体を見た。青ざめた表情で固まってしまった。


「あ、ごめん。配慮足りなかったね」


「私の方だ、配慮が足りないのは。君のその傷……犯行を繰り返して出来たものじゃないだろう。長年、幼い頃から虐待を受けていたとしか思えない」


「え? まあそうだけど……配慮って?」


「私はさっき、傷だらけの自分の身体が醜いと言った。これは、私自身の選択によるものだから仕方ない。が、君の傷は君の選択によるものではない」


「そりゃ好き好んで、殴られたりタバコ押し付けられてはいないけどさ」


「傷のある身体を醜いと言ってしまえば、それは君もまた醜いと言ってしまったことになる。ラグエル、すまなかった」


 ラグエルはポカンとしていた。まさかそんなことで謝られるとは思いもしなかった。


「……アンジェリカは綺麗だよ。顔や傷だらけの身体も、何より心がね。気にしなくていいから、ピザを食べよう。いい匂いだ」


「君と会話していると調子が狂うな」


 二人はサラミ、トマトソース、チーズのたっぷり乗ったピザを食べた。ディープディッシュというシカゴ独特のクラストの縁が高いピザだ。


「シカゴに来たならこれは食べておかないとな。どこでも食べられはするが、本場という言葉が私は好きだ」


「結構ミーハーなんだね」


「斜に構えるより、夢中で楽しんだ方が人生は豊かになると思う。夢中で思い出したがラグエル、今夜は交代で寝よう」


「一人は見張りか。まあ基本だね。君のような生活をしていたら、無防備に寝ると言うのは避けたいだろうし。それでも今日会ったばかりの僕に任せる辺り、なかなか図太い神経をしている」


「違うよ、そうじゃない。これから私たちは悪夢を見るのだろう。なら、うなされれば手を握るなり、安心出来るようなことをして、互いの負担を減らそうということだ」


「…………は?」


 ラグエルに衝撃走る。混乱のあまり言葉が出ない。いつもなら中東の油田が如く、気の利いた滑らかなセリフが湧き出す。

 が、今は錆びた歯車。ぎこちなく音を鳴らし、油を差さねば舌が回らない。


 ラグエルは堪らず、飲み干す。潤滑油という名のコーラ……。


「嫌でなければ、だがな。悪夢も起こしてくれる人間がいれば、いくらかは怖くない。と、私は思う。子供の頃、悪夢で目を覚ました時、私の母は温かいミルクを入れて、絵本を読んでくれた」


「それを僕にしてくれるって言うのかい」


「ああ、少なくとも4週間。君が望むなら、それくらいはさせて欲しい」


「ハハッ……大き過ぎるな……」


 ラグエルはアンジェリカの顔が見れず、視線を落とした。図らずもそれは誤解を招く。


「また胸の話か? 君は命の恩人だし、触って安心するというのなら構わないが、興奮されると困るからな」


「そうじゃなくて、君の存在がだよ。ありがとう、初めて眠るのが怖くないと思えた。先に寝ていいかい、今日は疲れたんだ。3時間後に起こしてくれると助かる」


 ラグエルはベッドに倒れ込むように枕に頭を預けた。痩せてはいるが、背は高く、足は少しはみ出しかけている。


「分かった。眠りにつく間に私は軽くシャワーを浴びて……よほど疲れていたのか。どうか彼に束の間の安息を」


 ふと、ラグエルの顔を見ると既に寝息を立てて眠っていた。その顔は年相応のあどけなさが残る。


 彼のような子供を少しでも減らす為に、アンジェリカは犯罪者になった。この寝顔を守る為にやっている。


 自分がこの道を選ばなければ、何も知らぬままラグエルは牢獄で飢え死にしていただろう。彼もまた、不幸な子供に過ぎない。44人の大人を犯罪者を殺したと言えど子供。


 その事実だけでも、犯罪社会で生き抜くモチベーションを保てる。続けて良かったと、改めて確信する。


 しかし彼女もまた16歳の子供。そんな彼女を守るとラグエルは心に誓い、命を預けた。信頼と決意の睡眠である。


「大丈夫か」


「ハァハァ……慣れててもやっぱキツいね」


 90分ほど眠り、ラグエルはうなされ始めた。アンジェリカは頭を撫でると、目を覚ます。


 額には汗をかき、息は荒い。しかし、今夜は違う。アンジェリカがいる。ラグエルは目を開けた瞬間、柔らかい笑みを見せる。


「悪いんだけど……その、頼めるかな。もう少しだけでいい。そばにいてくれないか」


「ああ、構わない。私はここにいる、夢は所詮夢だ。眠ってくれ」


 アンジェリカはラグエルのベッドの中に入る。ラグエルの背中から抱きついて、声をかけた。


「初めて知ったよ……誰かと寝るってこんなに良いものなんだね。それにやっぱり君の匂いは落ち着く」


「君と同じシャンプーを今日は使ったんだがな」


「だから余計にかな。僕との違いが際立つ」


「もういいから、眠れ。でないと私も眠れない」


「ああ……」


 ラグエルはまた眠りにつく。そして90分後多少息は荒いながらも、最初よりは落ち着いて目を覚ました。


 今度はアンジェリカが眠る。そしてほとんどパニックになりながら飛び起きた。


「……こ、これが1週間……正直、今まで受けた拷問を遥かに超えてキツいな……痛みの感覚が消えない……」


 アンジェリカの身体は震えている。ラグエルは無言で背中をさすった。


「もう少し眠る……か。眠れるか分からないが……」


「大丈夫。睡魔自体はやってくるから。だからこそキツいんだけどねこれ」


「なんてことだ……次は腸がこぼれ落ちても病院へ行くぞ」


「怪我しないのが一番なんだけどね」


 夜はまだ長い。二人は交代をしながらなんとか夜を乗り越えた。


 ***


「一体何を考えてるんだあいつは」


 翌朝、アンジェリカの部下の一人が車内でハンドルを指で叩き、苛立っていた。


「俺たちはアンジェリカに頼まれた通り仕事をする、それだけだ。今は彼を信じて待つことだな」


「けっ、助けられたからって早速肩を持つのか、マルキス」


「俺は彼の今を見る。過去に何をしてきたか、それを言い出したら俺たちも偉そうなことは言えない。俺とアンジェリカを助け、ヘンドリクセンを殺した。昨日のMVPは彼だ」


 マルキスはすっかり回復していた。まだ本調子ではないが、仕事に支障はない。腕を組み、ラグエルに批判的な仲間の気持ちも理解しつつ、判断は公平。


 そういう気質だからこそ、アンジェリカの信頼も厚く、右腕である。


「それに、お前たちは分かっていないから、そんな軽口を叩ける」


「はあ?」


「回復の恩寵、あの代償となる悪夢は最悪だった。金をもらったとはいえ、彼は俺の4倍、が終わらない。その上で了承し、助けてくれた。この恩、そして意味は大きい。彼のおかげで、俺は家族とクリスマスを過ごせる」


「…………」


「肩を持つ? そんな軽い話ではない。分かったら黙ってろ」


「チッ、分かったよ」


 車内にはタバコの煙と険悪な空気が澱む。そんな時、ラグエルは駆け足で戻ってきた。


「一体何をしていた?」


「やっぱり寝不足みたいだね」


「おかげさまでな。それで、わざわざヘンドリクセンの自宅に侵入した意味をそろそろ説明してくれないか」


 マルキスは後部座席に乗り込んだラグエルにミラー越しから話しかける。


「アンジェリカの為になることだよ。それより見つかっちゃったからGOGOッ!」


 ラグエルはニッと笑い、何かが入った袋を見せ、後部から迫る車を指差した。


「チッ! だからやめとこうって俺は言ったんだ!」


 一人が騒ぎ立てる。名前はヘンリー、アジア系の神経質な男だ。


 運転をするのはニック。ラグエルに躊躇なく発砲した男。彼は隠すことなくラグエルを嫌っている。クソガキめと叫びながらサイドブレーキを下げた。


「パソコンのハードディスクやメモリ、キャッシュカード、通帳、メモ、そんなところか?」


「おい嘘だろ。シャンプー、香水、下着……リスク犯して収穫がこれかよ!? クソッ、ただの変態だ。やっぱ、イカれたサイコだコイツ!」


 ラグエルの袋をひったくり、仲間の一人が中を確認して叫んだ。これにはマルキスもフォローする言葉が思い浮かばない。


 明らかにリスクに見合っていない収穫。ニックはだから言ったんだと言わんばかりに鼻を鳴らす。


 猛スピードで発進し、交差点に立つアンジェリカを回収する為、急停止。


「追われてるッ!」


「やれやれ朝から騒がしいな。ほら皆、朝食だ。ラグエル、用事は済んだのか?」


 アンジェリカが抱えた袋からパンを取り出し車に乗り込んでくる。だが、彼女は慌てない。


「アンジェリカッ! コイツくだらねえものを泥棒しただけだ! 見ろよこれ!」


「本当に欲しかったのか。わざわざ彼の家をナビで割り出してまで……」


「ああ、僕ってさ匂いフェチなんだよ。殺した相手の匂いを構成するものは集めて保管してる。一般的に言う、トロフィーコレクタータイプのシリアルキラーだよ」


 車内は静寂に包まれる。ドン引き、困惑、恐怖。感情が織り混ざり、視線はラグエルへ集まる。


 その時、ドリフトで素早く曲がったことで横にGがかかる。袋の中身がフワリと浮き、車内に散らばった。


「あーあー」


 ラグエルはそれがまるで袋を奪ったヘンリーのミスだと言いたそうな声を上げる。


「素人が。あり得ないだろ……! 自分が犯人だって証拠を保管してどうすんだ。くだらねえ趣味でアンジェリカを危険に晒すな」


 一人が怒る。そして全員が同意する。アンジェリカを守ること。それが彼らの仕事。


 不要なリスクは排除しなくてはならない。どれだけ恩人であろうと、かなりの綱渡り的な奇行。


「確かに……あまり褒められた行為ではない。だが君のことだ、収穫が単なる自己満足で終わるとは思えないが?」


「これを収穫と見るか、僕の自己満足と見るか、それは君が判断することだ。アンジェリカ、この住所へ僕を連れて行ってくれ。ついたら説明する」


「ロサンゼルス……マルキス、ジェットの準備だ。ニック、なんとか撒きながらミッドウェー空港へ向かってくれ」


 現在地はイリノイ州のシカゴ。目的地のロサンゼルスからは約2800kmの距離。かなり遠い。


 皆、冗談だろと言いたげだったが、アンジェリカの命令は絶対。彼女が行くと言ったら行く。


「それは朝出発する前に共有出来ただろうが! クソガキがッ!」


 また急カーブ。床に転がった収穫物が反対方向へ転がっていく。


「マルキス、電話」


 マルキスの持つ二つ折りの古いタイプの携帯電話を、アンジェリカは奪い取り、どこかに電話をかける。


 彼女が言うよりも先に携帯電話を持ち、取るのを待っていたといった方が正確だった。まさに阿吽の呼吸。


「ああ、私だ。アンジェリカ・オルブライト。朝から申し訳ない、署長。今ウィッカーパーク付近からミッドウェー空港に向かおうとしてるんだが、追われてるんだ。黒のベンツでSUV、ナンバーは……」


「フォックス、ビクター、ワン、ファイブ、セブン、セブン、ツー!」


「聞こえたかッ!? 後はよろしく頼む署長。いやいや、スタンフォードに行けたのはお孫さんの実力だよ。私は知り合いにちょっと推薦しただけの話だ。また何かあったらよろしく頼む」


 追ってくる先頭車両のナンバーは『FV-15772』。アンジェリカが後ろを覗き込む前に、ラグエルはフォネティックコードを使い、間違えのないよう伝える。


 携帯電話を閉じてアンジェリカは香ばしい匂いのするクロワッサンを食べ始める。もう解決したかのような堂々たる態度だ。


「署長って警察のだろ。君顔が広いんだね」


「この世界は持ちつ持たれつだ。恩は売れるだけ売っておく。こういう時の為にな。ほら、聞こえてきた」


 パトカーのサイレン。それは法定速度を無視した自分たちを追う音ではない。

 自分たちを追う者へ鳴らす音だ。


 まるでトラブルなどなかったかのように、危機を脱する。一行はそのまま無事にミッドウェー空港へ到着し、その足でジェットへ乗り込んだ。

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