鋼鉄の共犯者
帝都ヴァルムを覆っていた祝祭の残骸と,聖女ルミナが遺した「虚無」の残響。それらが朝霧に溶け,冷徹な陽光が石畳を照らし出す頃,アセリオン・ファクティスは再び皇帝ガイウスと対峙していた。
場所は地下の禁忌施設ではない。皇宮の最上階,帝都を一望できる展望回廊。そこには,吹き抜ける風の冷たさと,広大な大陸の地平線だけがあった。
「聖女を葬ったか。……それも,ただ殺すのではなく,彼女の『存在の欠落』をその身に引き受けてな」
皇帝ガイウスは,手摺に手をかけ,眼下の焦土と化した広場を見つめていた。その横顔には,計画通りの結末を喜ぶというより,予想を超えた進化を遂げた「作品」に対する,深い充足感が漂っている。
アセリオンは,包帯を巻いた右手を静かに見つめた。
ルミナを絞め殺した掌には,未だに彼女の涙の温度と,彼女が抱えていた無限の孤独が,
「……陛下。俺は,貴方の言う『杭』になることを決めた」
アセリオンの言葉は,短く,しかし鋼のような硬度を持って響いた。
皇帝は,ゆっくりと彼の方を振り向く。
「ほう。あれほど嫌悪していた駒の役割を,自ら受け入れるというのか?」
「駒ではない。……共犯者だ」
アセリオンは,皇帝の瞳を真っ向から射抜いた。
「俺一人の力で神に抗おうなどという傲慢な計算は,聖女の死と共に捨てた。あいつを縛っていたのは,一人の人間が背負えるような小さな呪いじゃない。世界そのものが,あいつを犠牲にして成り立っていたんだ」
アセリオンは一歩,皇帝へと歩み寄った。
「神の脚本を書き換えるには,個人の憤怒だけでは足りない。……帝国の軍事力,機械技術,そして貴方が隠し持っている『真実』。それらすべてを俺の盾として,俺の剣として利用させてもらう。……俺たちが勝つためには,それが最も『勝率の高い』選択だ」
皇帝ガイウスは,一瞬の沈黙の後,雷鳴のような哄笑を上げた。
「素晴らしい!己を英雄と過信するのではなく,己を『最強の兵器』として客観的に配置し直したか。……よろしい。貴公に,ヴァルディア帝国がこれまで蓄えてきた,あらゆる禁忌を解放しよう」
皇帝は傍らの侍従に合図を送り,一枚の重厚な軍令状をアセリオンに差し出した。
「本日を以て,貴公を皇帝直属特務旅団『ファクティス』の旅団長に任命する。構成員は,貴公が自ら選べ。北部戦線で生き残った手練れ,教国を捨てた亡命者,そして……地下に眠る
数日後。帝都外縁の広大な演習場には,異様な熱気と,それ以上に深い「影」が渦巻いていた。
アセリオンの呼びかけに応じ,集まった兵士たちは,およそ正規軍とは思えぬ顔ぶれだった。
最前列に立つのは,全身を包帯とギプスで固定しながらも,不敵な笑みを絶やさないボリス・ゾトフ。彼は教国の秘術を応用した帝国の再生技術によって,文字通り「死の淵」から這い上がってきた。
その後ろには,聖女ルミナの消滅を目撃し,神の沈黙に絶望して帝国へと下った元・神罰代行者たちが,白銀の甲冑を黒く塗り潰して控えている。
さらに,地下施設から引き上げられた,アセリオンと同じ顔を持つ「未完成の模造兵」たちが,感情のない瞳で
「……壮観だな,アセリオン」
ボリスが,掠れた声で話しかけてきた。
「世界から見放されたゴミ溜めかと思えば,どいつもこいつも,神様に一太刀浴びせてやりそうな
「……ああ。俺たちは,神の脚本に記述されなかった『余白』の集まりだ」
アセリオンは,漆黒の旅団旗を掲げた。
旗には,折れた剣と,それを繋ぎ止める無骨な鎖が描かれている。
アセリオンは,集まった兵士たちの前に立った。
かつての彼なら,ここで士気を高めるための完璧な演説を計算して披露しただろう。だが,今の彼が必要としたのは,虚飾のない,剥き出しの真実だけだった。
「俺たちは,欠陥品だ」
アセリオンの声は,演習場に静かに,しかし重く浸透していった。
「神が定めた運命にそぐわず,理不尽な死を強要され,あるいは存在そのものを否定された者たちだ。……ここにいる誰もが,一度は世界に殺された。……俺も,そうだ」
アセリオンは,自らの胸元に手を当てた。
「だが,帝国はこの欠陥を『力』だと呼んだ。……俺も,そう信じることに決めた。神が作ったこの世界が,俺たちを異物として排除しようとするなら,その異物の毒で,世界そのものを変質させてやればいい」
アセリオンは,空を指差した。
「俺たちの目的地は,聖都エリュシオンだ。……そこには,俺たちの仲間を,聖女を,そして無数の命を消費して成り立っている『偽りの調和』がある。……帝国という鉄の槌を使い,あの真っ白な祭壇を,俺たちの泥まみれの軍靴で踏み荒らすぞ!」
「おおおおおおおッ!」
数千の兵士たちの咆哮が,大気を震わせた。
それは,単なる戦意の向上ではない。これまで「運命」という不条理に押し潰されてきた者たちが,初めて自分自身の足で立ち上がった,魂の反逆の産声だった。
アセリオンは,その喧騒の中で,独り自嘲気味に呟いた。
(……陛下。貴方の言う通りだ。協力して,利用し合って,最後には神の喉元に食らいつく。……これが,俺の導き出した,最も効率的で,最も血生臭い『勝利への計算』だ)
アセリオンの瞳の奥には,ルミナから受け継いだ虚無の輝きが,青い炎となって揺らめいている。
彼が歩く場所では,もはや「奇跡」も「法則」も意味をなさない。
彼自身の存在が,世界のルールを書き換える
皇帝ガイウスは,遠く皇宮のバルコニーから,その光景を満足げに見下ろしていた。
「ゆけ,わが分身,わが最愛の反逆者よ。……神の沈黙を破り,その醜悪な顔を地上に晒すまで。……鉄と血の行進で,この箱庭を焼き尽くすがいい」
特務旅団『ファクティス』。
その不吉な名は,瞬く間に大陸全土へ広がり,教国の司祭たちを震え上がらせることになる。
アセリオンという一個の種火は,今や帝国の威信という燃料を得て,世界を焼き尽くす業火へと成長を遂げた。
軍靴の音が,重く,規則正しく響き始める。
聖都への進軍。それは,人類史上最も不敬で,最も切実な,神への挑戦状であった。
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