第20話:引退冒険者の再就職支援

◇◆◇◆◇


【視点:リリアン・ヴェール】


 4月も最終日。

 新人たちの熱狂が去り、ギルドには「現実」という名の重苦しい空気が戻ってくる時期だ。

 

 私の前に、1人の男が立っていた。

 かつては「烈風の双剣」と謳われた銀級の冒険者、ガリック。だが今の彼の右足は、先月の不慮の事故により、杖なしでは歩くこともままならない。


「……もう、潮時だ。リリアン。こんな体じゃ、ゴブリン一匹まともに相手にできねえ。今まで世話になったな。……これは返してやる」


 ガリックが、傷だらけの銀色のライセンスをカウンターに叩きつけた。

 その目には、未来を失った者特有の、絶望と投げやりな怒りが宿っている。


「ひっ……!」

 背後でエリスが小さく悲鳴を上げた。新人受付嬢たちは、誇り高き戦士が折れる瞬間に立ち会い、どう声をかけていいか分からず、ただおろおろと視線を泳がせている。


 私は、そのライセンスに一瞥(いちべつ)もくれなかった。

 

「ガリックさん。ギルド規約第102条、およびライセンス返納規定に基づき、あなたの申請は一時保留します」


「なんだと? 俺は引退するって言ってんだ!」


「逃げるのは勝手ですが、精算は済ませていただかなければ困ります。私の『冒険者カタログ』によれば、あなたは昨年度の武器更新に伴うギルドローン、およびポーション代金の未払い分として、合計720ゴールドの負債があります」


「な……っ、そんな大金、今すぐ払えるわけねえだろ!」


「承知しています。ですから、ギルドはその債務を『役務』によって返済することを提案します。……現在のあなたの身体状況から算出される、最適な返済プランがこちらです」


 私は1枚の契約書を、氷のような手際で彼の前に滑り込ませた。

 

「……設備管理兼、新人実技指導員。ギルド宿舎の警備と、あの騒々しい新人たちの靴紐の結び方を教える仕事よ。月給120ゴールド。これなら6ヶ月で完済できます。……文句があるなら、完済してから死になさい」


 エリスたちが息を呑むのが分かった。あまりにも冷酷な追い打ち。だが、ガリックの瞳に、わずかな「火」が灯るのを私は見逃さなかった。


◇◆◇◆◇

【視点:マルサ・ヘイワード】


 2階の簡易宿泊所は、私のテリトリー。

 ここで数十年間、冒険者たちの寝顔を見守ってきた私には、リリアンのあの「鉄の仮面」の下にある魂の形が、手に取るように分かる。


「――おやおや。不貞腐れた顔だね、ガリック。あんたに教わる新人が怯えてるよ。ほら、この廊下の電灯の修理も、あんたの仕事さ」


「……っ。マルサの婆さんまで。あいつ、リリアンの野郎……俺が惨めに這いつくばって働くのを楽しんでやがる」


 ガリックは忌々しげに言いながらも、手際よく脚立に登り、電灯の魔石を交換した。杖が必要なのは足だけ。その広い肩幅も、分厚い手のひらも、数々の死線を越えてきた「プロ」の財産だ。


 私はふふ、と笑って、彼に1冊の分厚い台帳を渡した。

「これを見な。リリアンがあんたに渡せって言ってきた、『宿舎管理ログ』さ」


 ガリックが不審そうにそれを開き、数秒で言葉を失った。そこには、昨年度からの彼の詳細な健康状態と、事故後のリハビリ経過が、執念深いほど精密に記録されていた。

 

(3月15日:右膝の腱損傷。歩行機能に30パーセントの障害。武器の握力には変化なし。

 4月10日:宿舎管理・指導員としての再雇用シミュレーション。要求される身体負荷は現状の20パーセント以下。生存と尊厳の維持を優先する……)


「あいつ……事故の直後から、俺の『次』を計算してやがったのか」


「それだけではないわよ、ガリック」


 廊下の向こうから、凛とした声が響いた。

 深紅の髪を揺らし、優雅に紅茶のカップを手にした女性――受付主任のクラウディアさんだ。彼女は完璧な微笑みを浮かべたまま、ガリックを見つめた。


「リリアンの今日の対応、上司の私から見ても100点……いえ、120点だわ。彼女はね、あなたの『プライド』という一番厄介な負債を、事務処理という名の冷徹さで強引に肩代わりしたのよ。あなたが引退の惨めさを感じる暇もないくらい、鮮やかにね」


 クラウディアさんは一口紅茶を啜り、かつて戦場を制圧していた頃の鋭い眼差しを一瞬だけ覗かせた。

「あの子がそこまで動くのは、あなたがまだこのギルドに必要だと、数字が証明しているからよ。……幸せ者ね、あなたは。あんなに不器用で、けれど情の深い後輩を持って」


 クラウディアさんが優雅に去った後、ガリックは長い沈黙の後、深く、深くため息をついた。そして、ボロボロになった自分の手のひらを見つめ、力なく笑った。


「……参ったな。さすがはリリアンだ。あの鉄の女には、俺の絶望なんて最初から計算の『端数』でしかなかったってわけか。……全く、敵わねえよ」


 ガリックの言葉には、もはや怒りはなかった。あるのは、自分をプロとして繋ぎ止めてくれた後輩への、深い感嘆と信頼だった。


 1階の窓口では、リリアンが今日も相変わらずの冷徹さで、震える新人に「0.8パーセント」の生存率を告げている。

 彼女が守っているのは、ギルドの秩序だけじゃない。形を変えながらも続いていく、冒険者たちの「明日」そのものなのだ。


【リリアンのプロな流儀】

「キャリアの断絶を恐れる必要はない。プロとは、形を変えても『価値』を提供し続けられる者のことだ。最前線を退くことは敗北ではない。新たな場所で自らの知見を次代へ繋ぐことこそが、真の熟練者にのみ許された高潔な責務である」


(第20話:完)

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