神父の日常
こまつな
第1話 消える被害者
夜の西区で、またひとつ奇妙な事件が起きた。通報を受けて駆けつけた桐生(きりゅう)刑事は、路地裏に立ち込める冷たい空気を吸い込みながら、現場を見渡した。
「……血痕が、ない?」
鑑識が首を振る。
「はい。撃たれた形跡はあるんですが、血は一滴も。被害者も消えています」
「消えた?」
「ええ。通報者が“胸を撃たれた女性が光になって消えた”と」
桐生は眉をひそめた。冗談にしては悪質だ。だが、現場には確かに不可解な痕跡が残っていた。
白い粉のようなものが、風に舞っている。羽毛のようにも見えるが、鳥の羽とは違う。鑑識が袋に詰めながら言った。
「これ、繊維の一種みたいですが……人工物でも動物でもない。正体不明です」
桐生はその粉を指先でつまみ、じっと見つめた。どこかで見たことがあるような、しかし思い出せない。
「……また、あいつか」
桐生の脳裏に、数日前の光景がよみがえる。
ビルの屋上。夜風に揺れる黒いコート。そして、月光を受けて光る長い銃身。
狙撃手──いや、“神父”だった。
教会の神父が、心臓を一発で撃ち抜くスナイパー。そんな馬鹿げた噂を、桐生は最初は信じていなかった。だが、あの夜、自分の目で見てしまった。
銃声。胸を押さえて倒れる青年。そして──光の粒となって消える姿。
あれは幻覚だったのか。それとも、本当に……?
桐生は頭を振った。刑事として、説明できない現象をそのままにしておくわけにはいかない。
「被害者の身元は?」
「西区在住の女性。最近、重い病気で入退院を繰り返していたようです」
「病気……?」
桐生の胸に、鈍い痛みが走った。
──病気で恋人を失った。──守れなかった。
そんな記憶が、胸の奥で疼く。
「桐生さん?」
鑑識の声で我に返る。
「いや……なんでもない。家族に連絡を取ってくれ」
桐生は現場を離れ、夜の街を歩きながら考えた。
撃たれた者は死なない。むしろ、数日後には“恋人と幸せそうに歩いている”という報告がいくつもある。
死体がない。血もない。消える。
これは殺人事件なのか?それとも──。
桐生は、ある教会の前で足を止めた。
古い石造りの教会。夜でも灯りがついている。扉を開けると、静かな祈りの声が響いていた。
「……桐生刑事。こんな夜更けにどうされました?」
振り返ったのは、ガブリエル神父。白い法衣に、穏やかな微笑み。とても人を撃つような男には見えない。
「神父さん。少し話がある」
「ええ、どうぞ」
ガブリエルは席を勧め、温かい紅茶を差し出した。その仕草は優雅で、どこか人間離れした雰囲気すらある。
「最近、この街で奇妙な事件が続いている。心臓を撃たれたはずの人間が、血も流さず消える」
「……そうですか」
「“そうですか”じゃない。あなた、何か知っているんじゃないのか?」
ガブリエルは微笑んだまま、紅茶を口に運んだ。
「刑事さん。私はただ、人々の悩みを聞き、祈りを捧げるだけの存在です」
「祈り、ね……」
桐生は神父の目を見つめた。その瞳は深く、底が見えない。
「あなたは……人を撃ったことがあるか?」
ガブリエルは一瞬だけ目を伏せた。その沈黙が、桐生の胸をざわつかせる。
「……人を救うために、必要なことをするだけです」
「救う? 撃っておいて?」
「撃つとは限りませんよ」
ガブリエルは静かに笑った。
「人は皆、迷いを抱えています。恋に、人生に、未来に。その迷いを断ち切るには、時に“痛み”が必要なのです」
桐生は拳を握りしめた。
「……あなたは何者なんだ」
「ただの神父ですよ」
その瞬間、教会の扉が勢いよく開いた。
「神父さん! 助けてください!」
若い男性が駆け込んできた。顔は涙で濡れ、息が荒い。
「彼女が……彼女が病院で……! もう時間がないって……!」
ガブリエルは立ち上がり、優しく肩に手を置いた。
「大丈夫。あなたの想いは、必ず届きます」
「で、でも……!」
「信じなさい」
ガブリエルは微笑み、教会の奥へと消えた。
桐生はその背中を見つめながら、胸の奥に不気味な感覚を覚えた。
──あの神父は、何かを知っている。──いや、何か“できる”のかもしれない。
その夜、桐生は教会の外で張り込みを続けた。
深夜2時。ガブリエルが教会の裏口から姿を現した。黒いコートに身を包み、長いケースを肩にかけている。
「……やっぱり、そういうことか」
桐生は距離を取りながら尾行した。
ガブリエルはビルの屋上に上がり、ケースを開く。そこには、あの長い狙撃銃があった。
「やめろ……!」
桐生が叫ぶより早く、ガブリエルは銃を構えた。
狙いは──病院の窓。そこには、先ほどの青年の恋人がいた。
「撃つな!!」
桐生が駆け出した瞬間、銃声が夜空に響いた。
弾丸は一直線に飛び、女性の胸を貫いた。だが──血は流れない。
女性の体は光に包まれ、ゆっくりと消えていった。
桐生は呆然と立ち尽くした。
「な……なんだ、これは……」
ガブリエルは銃を下ろし、桐生に背を向けた。
「刑事さん。あなたも、いつか理解しますよ」
「理解……? 何を……!」
ガブリエルは振り返らず、夜の闇に消えた。
その足元には、ひらりと白い羽が落ちていた。
桐生は震える手でそれを拾い上げる。
「……あいつは……一体……」
その時、背後から低い声がした。
「神父を追うのは……やめておけ」
振り返ると、闇の中にひとりの男が立っていた。顔は見えない。だが、その声には深い憎悪が滲んでいた。
「奴は……人の心を壊す怪物だ」
桐生は息を呑んだ。
「お前は……誰だ」
男は答えず、闇に溶けるように消えた。
残された桐生の手には、白い羽がひとつ。
そして胸の奥には、忘れたはずの痛みが再び疼いていた。
──婚約者を失った、あの日の痛みが。
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