事案記録 第732号「洗浄」

日本民俗伝承調査会(広報アーカイブ係)

事案記録 第732号「洗浄」

1. 【現状/導入】

廃寺の裏手、湿った苔が陽光を拒む場所で、その男はうずくまっていた。

泥にまみれた作業着の袖を捲り、男は一本の竹筒を執拗に洗っている。指先はとうにふやけ、爪の間から滲む血が、バケツの濁り水に頼りなく溶けていく。

傍らに置かれた食料のパンにはカビが浮いているが、男にはそれを見る余裕さえない。


「……汚れが、まだ、取れない」


その呟きは、祈りというよりは、プログラムされた機械の軋み音に近かった。


2. 【断片(フラグメント)】

※対象Aが事象に接触する数日前、自身のスマートフォンに残した音声メモの書き起こし。


「(激しい風の音)……なあ、怒ってるんだろ。わかってるよ。あの時、俺が右にハンドルを切らなきゃ。……ごめん、本当に、ごめん。

(沈黙。数秒後、何かに気づいたような音)

……え? 今、笑ったか?

ああ、そうか。この泥だ。この筒の中の泥が汚いから、お前、出られないんだな。待ってろ。今、綺麗にしてやる。今すぐだ。

洗えば……洗えば、また俺の名前を呼んでくれるんだな?」


3. 【事案報告書:第732号】

【標題】 特定祭祀遺構Bにおける洗浄個体の定着確認

【担当】 第4調査班(九使・ト12、他1名)


1. 概況

対象A(旧名:〇〇 〇〇)の完全定着を確認。遺構Bは、対象の持つサバイバーズ・ギルト(生存者罪悪感)を演算資源として受容。対象の視覚および聴覚に、故人のポジティブなフィードバック(擬似的な許し)を返すことで、洗浄動作を「報酬系」へと変換、自発的拘束状態を成立させた。


2. 資源回収の効率

現在、当該遺構内に蓄積される「不浄物(高濃度残渣)」の無害化率は99.2%。周辺地域への漏出は皆無。対象Aの損耗は進行中だが、遺構側による「延命措置」により、向こう数ヶ月の稼働に支障はない。


3. 裁定

現状を維持。対象Aの機能停止に備え、同一の負債感情を持つ「次期個体」を周辺事故事例より選定。接触のタイミングは、対象の精神的困窮が極まる「四十九日法要」の前後を推奨する。

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