31 旅籠

 あまり大勢で押し掛けるわけにはいかないので、ジェルメーヌはピュッチュナー男爵とコランタンだけを連れて出かけた。

 再びフラモント伯爵が宿泊している旅籠に現れたジェルメーヌらを、宿の主人はうやうやしく出迎えた。ブラモント伯爵の知人ということになっているので、身分を明かさずとも扱いが丁重だ。

 帳場の横にある木の階段を上り、三階へと向かった。

 よく磨かれた板張りの廊下を歩き、一番奥の部屋へと進む。

 この旅籠で一番上等な部屋に、ブラモント伯爵とその従者たちが泊まっている。

 ピュッチュナー男爵が扉を叩くと、十代前半らしき少年が顔を覗かせた。

 ジェルメーヌは知らない顔だが、フランソワの従者すべての顔を覚えているわけではない。リュネヴィル城を出る際の従卒たちの顔ぶれも聞いていなかったことを、今更ながらに気付いた。

 従者の顔はピュッチュナー男爵も見知ったものではなかったらしい。男爵は軽く眉を上げ、まじまじと少年の顔を凝視する。

「お待ちしていました」

 ピュッチュナー男爵から視線をそらした従僕は、ジェルメーヌの顔を確認すると扉を大きく開けた。彼も男爵の顔は知らないようだ。

 ジェルメーヌを先頭にして三人が中に入る。

 部屋の中は夕暮れ時ということもあり、薄暗かった。居間の円卓の上には三つ叉の燭台が置かれているが、部屋全体を照らすほどではない。

「待たせて悪かったね、ジェルメーヌ」

 居間の奥の長椅子に、旅装姿の少女が座っている。きゃしゃな体格は少女と見紛うほどだ。その蜂蜜色の髪が蝋燭の炎できらきらと輝いている。

「あなた、その格好は――――」

 ブラモント伯爵として帰国するジェルメーヌのために、男装でこの旅籠には入る予定だったはずだが、なぜか女装だ。

 同じ顔の少年がふたり入れ替わるよりも、少年と少女が入れ替わった方が旅籠の主人たちの目は誤魔化しやすいので、悪い考えではない。

(――あぁ、そうではないわ)

 目の前のブラモント伯爵の姿を穴の開く程見詰めながら、ジェルメーヌはため息をついた。

「無事のご到着、安堵いたしました」

 恭しく腰を折ったピュッチュナー男爵が公子に近づこうとするが、女装したブラモント伯爵は白い手袋をはめた手を振って挨拶を中断させた。

「急がせて悪いけれど、すぐに服を交換してもらえるかな。あまりぐずぐるしている時間はないのだろう?」

 先日、リュネヴィル城で会ったときよりも低い声で、公子はジェルメーヌに告げる。

「はい、左様にございます。公子様におかれましては、一刻も早く皇帝陛下の元へ向かっていただかなければなりません」

 公子との再会に感慨を覚えていたピュッチュナー男爵は、使命を思い出し、大きく頷く。

 彼は、ジェルメーヌに口を開く隙を与えなかった。

「旅の支度は調っております」

「では、急ごう。さぁ、ジェルメーヌ。着替えは隣の寝室で」

「わかった」

 公子が指した部屋の扉に目を遣り、ジェルメーヌは足を踏み出す。

「すぐに出発されるのですか? では、僕は下で飲み物を貰ってきます」

 コランタンが部屋を出て行こうとすると、ピュッチュナー男爵が止めた。

「お前は殿下の着替えをお手伝いしなさい」

「いや、手伝いは不要だ。飲み物を持ってきてくれるか?」

 椅子から立ち上がった公子は慣れた口調でコランタンに命じると、ジェルメーヌに続いて寝室へと向かった。

「――どういうこと?」

 公子と一緒に寝室に入るなり、扉を閉めたジェルメーヌは勢いよく弟の襟首を掴んだ。

「てっきりフランソワが到着したものだとばかり思っていたのに、どうやってフランソワと入れ替わったの!?」

 噛み付かんばかりの勢いでジェルメーヌが問い詰めると、女装したブラモント伯爵――ステファーヌは慌てて姉の口を手で押さえた。

 寝室には侍女のミネットと、護衛のクロイゼルが控えている。

「しっ。静かに。ピュッチュナー男爵に気付かれてしまうよ」

「だって、あなたは《三羽の駝鳥》ってところにいるものだとばかり……」

「《三羽の駝鳥》? なに、それ」

 ステファーヌはジェルメーヌの顔をまじまじと見つめながら首を傾げた。

 先日とは打って変わって、顔色は良く、頬にも元のようにふっくらと肉が付いている。

「この旅籠にブラモント伯爵って名前でフランソワが泊まるって情報をクロイゼルが掴んだのは、ほんの少し前のことなんだ。クロイゼルはトロッケン男爵の命令で、ずっとジェルメーヌの尾行をしていたんだけど、昼過ぎに君はピュッチュナー男爵らとこの旅籠を訪ねただろう?」

 ジェルメーヌがクロイゼルに視線を向けると、彼は軽く眉を動かした。

 大柄なクロイゼルの気配にまったく気づかなかったことに、ジェルメーヌは驚くしかなかった。

「その際、あなたたちがブラモント伯爵という名を出したのを彼は聞いていたんだ。それで、フランソワがブラモント伯爵という偽名で泊まるんだろうと予想して、わたしたちは先にブラモント伯爵一行として宿に入ったんだ」

「そうだったのね」

 ジェルメーヌは目を丸くするしかなかった。

 余計なことを喋って、居間で待つピュッチュナー男爵に気付かれてはいけないし、悠長に再会を喜んでいる暇もない。

「どうやら皇帝はプラハにはいないらしいね」

 ステファーヌの問いに、ジェルメーヌが答える。

「えぇ、いらっしゃらないわ。だからクラオン侯爵は、公子は戴冠式の前に皇帝のところへ向かい、えっけんするべきだと考えているの。皇帝がどこで過ごされていようと、皇帝がいらっしゃるところが宮廷なのだから、臣下はそこへ出向かなければならないというのが侯爵の考えよ」

「じゃあ、また旅をしなければならないわけ?」

「フランソワ公子が、ね」

 旅に疲れた様子のステファーヌは苦笑いを浮かべたが、ニュルンベルクで会ったときのような陰は一切消えていた。表情は明るく、瞳にも輝きが戻っている。

「行くしかないようだね」

 肩を竦めたステファーヌは、手早くドレスを脱ぎ始めた。

 慌ててクロイゼルは奥の化粧室に姿を消す。

「わたしはあなたと入れ替わって、フランソワ公子になる。それで、ピュッチュナー男爵らと一緒に皇帝に会いに行くよ」

 声を潜めてステファーヌは告げる。

「もし男爵らが途中でわたしがフランソワでないことに気付いても、まさかフランソワを待つためプラハまで戻ってくる余裕はないはずだからね。あなたは、後から到着するフランソワに、一足遅かったと告げてくれないかな」

「いいわよ。どうせ、遅れてきたフランソワが悪いんですもの」

 ジェルメーヌも服を脱ぐと、ミネットがすぐさまステファーヌが着ていたドレスを掻き集め、ジェルメーヌに着替えさせる。

 ステファーヌは慣れているのか、ジェルメーヌが差し出した男物の服を自分で着始めた。

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