21 不審者

「観光かな」

 笑顔を浮かべた青年が癖のないフランス語で尋ねる。

「まぁ、そんなものです」

 地方領主の子息のふりをして、ジェルメーヌは愛想良く答えた。

 この青年がどこの誰だかはわからないが、礼儀正しく振る舞っておくに越したことはない。

「ニュルンベルクは気に入った?」

「はい。とても活気があって良いところですね。もっとあちらこちら見て回りたいと思っています」

「そう。でも、この教会より南には行かない方がいいよ。君のような綺麗な子は、すぐ攫われてしまうからね」

 ジェルメーヌの白い肌と蜂蜜色の髪を眺めながら、青年は目を細めて微笑んだ。

「……ご忠告、感謝します」

 どうやら自分は世間知らずだとからかわれたようだ、と判断し、ジェルメーヌは青年の横を通り抜け、出入り口の重い扉を自分で押し開けた。

 教会内の重厚な空気に耐えきれなくなってきたのだ。

 教会前の階段には、たくさんの鳩が石畳の上に落ちたパン屑をついばんでいる。

 三人ほどの労働者風の身なりの男たちが、鳩のそばに座って煙草を吹かしているのが見えた。

 目の前のケーニヒ通りには、二頭立ての辻馬車が一台停まっている。

 随分と古びた馬車だ、とジェルメーヌがぼんやりと考えたときだった。

「ひとりで教会から出るとは、不用心だね」

 背後からさきほどの青年の低い声が投げかけられたかと思うと、階段に座っていた男たちがそれを合図に一斉に立ち上がった。

 ジェルメーヌが振り返ると、さきほど告解室の前に立っていた青年が、薄ら笑いを浮かべつつ、腕組みをしながら見下ろしていた。

「この教会より南には行かない方がいい、とせっかく教えてあげたのに、なぜ君は不用心にもひとりで出てしまったのかな?」

 青年はジェルメーヌに近づくと、くつくつと喉を鳴らして笑った。

「君は、自分がどれほど目立っているのかわからないのかな? こんな綺麗な姿をしているのに」

 ジェルメーヌの髪に手を伸ばした青年は、髪の一房を指で掬い上げる。

 その仕草に、ジェルメーヌは背筋が寒くなるのを感じた。どうやら自分は本当にただの世間知らずだった、と心の中で叫ぶ。

「……なにか御用ですか」

 教会内の空気に耐えきれなくなってもコランタンから離れるべきではなかった、とジェルメーヌは悔やみつつ、相手を睨み付ける。

 青年の脅しに恐怖を感じないわけではないが、そう簡単に屈するわけにはいかない。

 それに彼は、ただの人攫いではなさそうだ。

「別に命まで取ろうってわけじゃないんだ。ただ、君を私の屋敷に招待したくてね」

 青年は慇懃な態度でジェルメーヌにお辞儀をする。

「せっかくですが、お断りします。わたしの予定はこの先一ヶ月後までびっしりと詰まっているんです」

 青年の腕を振り払うと、ジェルメーヌは教会の中に戻ろうとした。

 建物の中に入ってしまっては袋の鼠だが、コランタンに助けを求めるべきだと判断したのだ。

「君は断れないよ」

 青年が強い口調で宣言した途端、労働者風の男たちはジェルメーヌの両腕を掴んだ。

「離してくださいっ!」

 男たちに強く手首を掴まれ、ジェルメーヌは悲鳴を上げる。

 教会の前を通りがかった人々がなにごとかと立ち止まるが、男たちの風体を見ると、巻き込まれまいとしてそそくさと目をそらして歩き出す。

(まさか、わたしがロレーヌ公国の者だってことを知っているんじゃないでしょうね!?)

 青年と男たちは、ただ綺麗な子供を拐かそうとしているだけには見えない。

(もしわたしをロレーヌ公子だって知って狙ってきたのなら、どうあっても女であることをばれないようにしなくちゃ!)

 男装がばれた場合、フランソワ公子が実は女であるなどという間違った噂を流される可能性もある。そんなことになっては、ロレーヌ公家の醜聞にしかならない。ステファーヌかフランソワと入れ替わるまでは、なんとしても自分が女であることを知られないようにしなければならない。

「離せっ!」

 手足をばたつかせ、ジェルメーヌは喚いた。

 こうなったら恥も外聞もない。

「この人攫いっ!」

 ジェルメーヌは必死に叫んだが、男たちは軽々とジェルメーヌを持ち上げると、辻馬車まで運んでいった。

「では、はお屋敷まで運んでおきますよ」

 辻馬車の中にジェルメーヌを放り込むと、扉に外から鍵を掛けながら男たちは青年に告げる。どうやら青年は、一緒に馬車に乗って移動するわけではないらしい。

 男たちはふたりが御者台に座り、ひとりは青年と一緒に残った。

 ジェルメーヌが辻馬車の窓に掛けられた幕を持ち上げて外を見たときには、馬車は走り出していた。

 教会前にたたずむ青年は、楽しげに馬車に向かって手を振っている。

「誘拐犯っ! どうせならお前も一緒に来なさいっ!」

 馬車の中で地団駄を踏みながらジェルメーヌは怒鳴った。

 扉の取っ手はいくら引っ張っても押しても動かない。

 御者台に向かってジェルメーヌが呼び掛けても、車輪の音に紛れてか、わざと無視しているのか、男たちは振り向こうともしない。

 馬車は通りを南へ向かっている。

 町のどこへ連れて行かれようとしているのかはわからないが、司祭館に連れ戻してくれるわけではないことだけは確かだ。

(まさかトロッケン男爵の手先ってことはないわよね)

 男爵の手先であれば、まだましだ。なんとか話を聞いて貰えるだろうし、自分が女であることがばれても支障は無い。

 問題は、男爵の手先ではなかった場合だ。

(もしプロイセン王の手の者だったら……)

 にわかにピュッチュナー男爵が今日馬車の中で話していた、プロイセン王の名が頭に浮かんだ。

(女だってばれるのはまずいわ)

 ぐっと歯を食い縛り、思考を巡らせる。

(プロイセンでなかったとしても、わたしがロレーヌ公国の公子の身代わりだとばれないとも限らないわ)

 身分を証明するような物は一切持っていないが、この顔を知らない者がまったくいないとも限らない。フランソワはロレーヌ公国の宮廷でそう目立つ存在ではなかったが、影が薄かったわけでもない。

(とにかく、なんとかしてここから逃げなくては!)

 馬車は大通りを駆け抜け、やがて人通りが少ない寂れた方角へと向かっていた。

 通りの両側には石造りの建物が並んでいるが、歩く人々の服装から貧民層が多く暮らしている地域なのだとわかる。道端には塵が散乱し、野良犬が走り回っている。胴にあばらが浮かんだ驢馬が荷車を引き、背中が曲がった老人が痩せ細った身体に鞭打つようにして大きな荷物を背負い運んでいる。

 世間知らずなジェルメーヌにも、この地区が危険であることは感じ取れた。

(いかにも人攫いのそうくつがありそうな場所じゃないの)

 自分を攫おうとした首謀者が誰であるにせよ、このままではろくな目に遭わないことだけは明らかだ。

 馬車の扉をなんとかしてこじ開けようと、ジェルメーヌは扉の取っ手を押したり引いたり、扉を蹴ったりした。その度に車体は大きく揺れ、椅子の上や床に身体を打ち付ける羽目になり、酷い痛みに涙ぐんだ。

(コランタン、わたしがいなくなっていることに気付いてくれているかしら)

 教会内部の素描に集中していたから、もしかしたらまだ気付いていないかもしれない。

「あぁ、もうっ!」

 腹立ち紛れに扉の窓を蹴ろうとしたときだった。

 急に馬車の速度が遅くなり、馬たちの足並みが乱れる。

「――え?」

 振り上げた足を下ろしたジェルメーヌは、窓の外に視線を向けた。

 馬車はどこをどう走ったのか、貧民窟を抜け、古びた小さな教会の前を少しずつ速度を落としながら駆けていた。

 教会裏の墓地が見える辺りで、馬車はぴたりと停まった。

 同時に、どさりと大きな荷物が地面に落とされる音が響く。

(ここがあの男たちの目的地?)

 教会を悪巧みの舞台に利用するのが流行っているのだろうか。だとすれば、神をも恐れぬ所業だ。

 ジェルメーヌが身を固くして警戒していると、扉の外でがたがたと錠を外すような音がした。

(逃げ出すなら、扉が開いた瞬間ね)

 相手の意表を突いて体当たりをすれば、運が良ければ逃げ出せるかもしれない。

 窓の幕は下りているため、外にいる相手からは中の様子を伺い知ることはできない。

 ジェルメーヌがかたを飲んでいると、がちゃり、とあれほど動かなかった取っ手が動き、扉が開いた。

(よしっ!)

 扉が全開したところでジェルメーヌは馬車から飛び出した。

 が、体当たりをしたところですぐに黒い帽子を目深にかぶった黒ずくめの男に抱え上げられる。

「おい。随分と威勢が良いな」

 ジェルメーヌを捕まえた男は、呆れた様子でぼやく。

「離せっ! この人攫いどもっ!」

 大声を上げたところで、教会の聖職者の耳に届くかどうかは疑わしかったが、ジェルメーヌは金切り声を上げた。

「人攫い? 心外だが、まぁ似たようなものだな」

 男はため息をつきながらも、手足をばたつかせるジェルメーヌを器用に抱える。

「離せ――っ!」

 暴れながら大声を上げたので、ジェルメーヌは呼吸困難に陥りかけた。ぜいぜいと肩で息をしつつ、ふと視線を地面に向けると、さきほど御者台の上に座っていたはずの男たちがふたり、石畳の上で意識を失って伸びていた。

「――どういうことだ?」

 この男たちは、さきほどの青年の手下、もしくは金で雇われて自分を攫ったはずだ。なのに、こんなところで仲間割れをしたのだろうか。

「お前、いったいどういうつもりで……」

 自分を捕らえている男の顔を見ようと、ジェルメーヌは身体を捻った。

 易々と持ち上げられていることは気に入らなかったが、小柄で武器も持たない自分が逃げ出すためには、まずは落ち着いて相手が油断した隙を狙うしかない。

 呼吸を整え、ジェルメーヌが男の顔に視線を向けた瞬間――。

「クロイゼル!?」

 見覚えのある顔の耳元で、ジェルメーヌはかんだかい声を上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る