日本を動かした嘘

Algo Lighter アルゴライター

​プロローグ:墨と血の記憶

​私たちはみな、何かしらの「物語」を食べて生きている。


映画の主人公の生き様に涙し、アニメの台詞に背中を押され、人生の岐路を選ぶことがある。


「たかが作り話だ」と笑う冷笑主義者たちには見えていない真実がある。


​「人が自らの命を懸けるとき、その引き金となるのは、無機質な事実ではなく、血の通った虚構である」


という歴史の真実だ。


​嘉永六年(1853年)、夏。


相模国・浦賀の海は、吐き気を催すような鉛色に沈んでいた。沖合に黒々と浮かぶ四隻の異形の鉄塊。


空を焦がす石炭の黒煙と、腹の底を震わせる空砲の轟音。


二百五十年の泰平を貪ってきた江戸幕府は、未知の圧倒的な暴力の前に腰を抜かし、右往左往するばかりだった。


​だが、海岸からその黒船を血の滲むような思いで睨みつける若き下級武士たちの瞳には、絶望ではなく、ある種の「狂気」が宿っていた。


彼らの手は、腰の刀の柄を白くなるほど固く握りしめられている。


その脳裏に去来していたのは、眼前の巨大な蒸気船への冷徹な分析ではない。


彼らは皆、一つの「幻影」を見ていた。


​——五百年も昔。


勝ち目のない戦場へ、ただ一途な忠義だけを胸に、静かに笑って向かっていった一人の武将の背中を。


​なぜ、彼らは死地に赴く五百年前の亡霊に憑りつかれていたのか。


すべての発端は、十四世紀の薄暗い寺の一室で流された、一滴の墨に遡る。

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