2026年3月4日 14:10
第6話審判の日への応援コメント
瓶の中の小さな忌まわしいものさん【偽KAC20261】にご参加いただきありがとうございます!めちゃくちゃ面白かったです! 思いの丈はレビューに書きました。レアンドとのバトルで、「余燼(エミキ)」が使われるシーンには興奮しました。アンダーソン教授の存在感もいいですね。この度は、すばらしい作品をありがとうございました!
作者からの返信
馬村様、丁寧なレビューをいただき本当にありがとうございます。細部まで読み込んでくださり、「胼胝(たこ)」という言葉に込めた肉体的な質感を拾い上げていただけたこと、作者としてこれ以上の喜びはありません。タイトルの「棄冕」についてですが、当初は「卒業できなかった少年」という単純な結末から始まりました。しかし書き進めるうちに、これは「選択」の物語なのだと気づきました。世間が良しとする価値観に流されるのではなく、己の天性に従い、自らの長所を見出し、それを研ぎ澄ます。その意志を描きたかったのです。正直、あの至近距離の一撃でさえ、学園の防護結界が高度であれば仕留められなかったかもしれません。あるいは弾丸が急所を外れていた可能性もある。しかし、「それで本当にいいのか?」と自問しました。私の長編(『死して八年、デスナイトとして蘇る。』)にも通じることですが、人間という枠組みを外せば、生き物としての本質は「獣」に近いのかもしれません。暴力や蹂躙は、本来自然界では「悪」ではなく「現象」に過ぎない。善悪や好悪という概念は、人間が作り上げた「ルール」によって後天的に定義されたものです。作中で書いた通り、エルフたちの「勝利」は彼らが作ったルールの内側にしかありません。真の勝利とは、自らがルールの創設者(ルールメイカー)になることだと信じています。ホモ・サピエンスとして誕生してから約三十万年。その果てしない進化の過程で、私たちは「善悪」という概念を内面化してきました。だというのに、なぜ未だにスクールカーストや虐げ、権力による蹂躙が絶えないのでしょうか。ホモ・サピエンスは本質的に好戦的なのか。それとも、あまりに多くの者が牙と爪を抜かれ、去勢されるように「馴致(じゅんち)」されてしまったのか。もし法というルールが罪を裁けぬのであれば、「悪をもって悪を制す」ことも一つの手段ではないか。「批判という武器は、武器による批判に取って代わることはできない」。『棄冕者』の物語はここで完结し、ポールという一人の少年の戦いも一旦の終止符を打ちました。彼が未来において真の「ルールの創設者」になれるかは分かりませんが、私は彼の成功を願っています。たとえ世界がどれほど残酷であっても、私たちはこの場所で、生きていかなければならないのですから。素晴らしい対話のきっかけをいただき、心より感謝申し上げます。
第6話審判の日への応援コメント
瓶の中の小さな忌まわしいものさん
【偽KAC20261】にご参加いただきありがとうございます!
めちゃくちゃ面白かったです! 思いの丈はレビューに書きました。
レアンドとのバトルで、「余燼(エミキ)」が使われるシーンには興奮しました。アンダーソン教授の存在感もいいですね。
この度は、すばらしい作品をありがとうございました!
作者からの返信
馬村様、丁寧なレビューをいただき本当にありがとうございます。
細部まで読み込んでくださり、「胼胝(たこ)」という言葉に込めた肉体的な質感を拾い上げていただけたこと、作者としてこれ以上の喜びはありません。
タイトルの「棄冕」についてですが、当初は「卒業できなかった少年」という単純な結末から始まりました。しかし書き進めるうちに、これは「選択」の物語なのだと気づきました。世間が良しとする価値観に流されるのではなく、己の天性に従い、自らの長所を見出し、それを研ぎ澄ます。その意志を描きたかったのです。
正直、あの至近距離の一撃でさえ、学園の防護結界が高度であれば仕留められなかったかもしれません。あるいは弾丸が急所を外れていた可能性もある。しかし、「それで本当にいいのか?」と自問しました。
私の長編(『死して八年、デスナイトとして蘇る。』)にも通じることですが、人間という枠組みを外せば、生き物としての本質は「獣」に近いのかもしれません。暴力や蹂躙は、本来自然界では「悪」ではなく「現象」に過ぎない。善悪や好悪という概念は、人間が作り上げた「ルール」によって後天的に定義されたものです。作中で書いた通り、エルフたちの「勝利」は彼らが作ったルールの内側にしかありません。真の勝利とは、自らがルールの創設者(ルールメイカー)になることだと信じています。
ホモ・サピエンスとして誕生してから約三十万年。その果てしない進化の過程で、私たちは「善悪」という概念を内面化してきました。だというのに、なぜ未だにスクールカーストや虐げ、権力による蹂躙が絶えないのでしょうか。
ホモ・サピエンスは本質的に好戦的なのか。それとも、あまりに多くの者が牙と爪を抜かれ、去勢されるように「馴致(じゅんち)」されてしまったのか。
もし法というルールが罪を裁けぬのであれば、「悪をもって悪を制す」ことも一つの手段ではないか。「批判という武器は、武器による批判に取って代わることはできない」。
『棄冕者』の物語はここで完结し、ポールという一人の少年の戦いも一旦の終止符を打ちました。彼が未来において真の「ルールの創設者」になれるかは分かりませんが、私は彼の成功を願っています。
たとえ世界がどれほど残酷であっても、私たちはこの場所で、生きていかなければならないのですから。
素晴らしい対話のきっかけをいただき、心より感謝申し上げます。