第29話 剣聖の覚悟

 翌朝、大吉は一人で訓練場に向かった。

 キオには「ちょっと出てくる」とだけ言った。キオは何も聞かなかった。ただ大吉の背中を見ていた。

 訓練場にはすでにベルグがいた。木剣を手に素振りをしていた。七十近い体とは思えない速さだった。

 大吉が入ってくるのを見て素振りを止めた。


「来たか」

「相談があります」

「聞こう」


 大吉は木刀を握り直した。


「鉱山で人間と戦いました」

「聞いた」

「手こずりました。魔物相手なら躊躇わない。でも人間を前にすると、どこかで手が止まる」


 ベルグは黙って聞いていた。


「木刀で人を本気で打てば、死ぬかもしれない。それがわかってるから、どこかで力が抜ける。だから負けそうになった」


 言葉にすると単純だった。でもずっと胸に引っかかっていたことだった。


「それだけか」

「それだけです」


 ベルグはしばらく空を見た。


「お前は優しいな」

「そうですかね」

「優しいのは悪いことじゃない。ただ」


 ベルグが大吉を見た。


「中途半端な覚悟が一番危ない。自分も死ぬ、相手も死なせない、そんな都合のいい剣は存在しない」


 大吉は黙って聞いた。


「かつて俺も同じことで迷った」

「師匠も」

「ああ」


 ベルグは木剣を地面につけた。遠い目をした。


「剣聖などと呼ばれていたが、その前に俺はただの剣士だった。守りたいものがあって剣を取った。でも守るためには、時に斬らなければならない場面がある」

「どう折り合いをつけたんですか」


 ベルグは少し黙った。


「折り合いなど、つけていない」

「え」

「今でも斬るたびに重い。慣れたことは一度もない。ただ」


 立ち上がった。


「それでも剣を振ると決めた。守りたいものの前に立つと決めた。覚悟というのはそういうもんだ。迷いが消えることじゃない。迷ったまま、それでも前に出ることだ」


 大吉はしばらくその言葉を咀嚼した。


「…剣聖と呼ばれるくらいですから、相当な数を」

「まあ」


 ベルグが短く答えた。


「1000人くらいは」

「…そうですか」


 大吉はさらっと流した。ベルグもさらっと言った。二人の間に静かな空気が流れた。


「それ以上は聞くな」

「聞きません」

   *

「手合わせするか」


 ベルグが唐突に言った。


「俺とですか」

「嫌か」

「いえ」

「本気で来い」

「師匠も本気ですか」


 ベルグは訓練場の隅に歩いていった。壁に立てかけてあった布をめくった。

 剣が現れた。

 鞘に収まっていても只者ではない雰囲気が漂っていた。白銀の鞘。柄に細かい細工が施されている。


「師匠、それは」

「聖剣エクスカリバー」


 大吉は目を細めた。


「それ本物ですか」

「本物だ。長いこと使っていなかったが」


 ベルグがゆっくりと鞘から抜いた。刃が朝の光を受けて輝いた。


「お前の木刀が本物なら、こちらも本物で向かえるのが礼儀というものだ」


 大吉は木刀を構えた。


「…加減してください」

「しない」

「ですよね」

   *

 最初の一合で、大吉は師匠の本気を理解した。

 速かった。七十近い体のどこにその速さがあるのか。踏み込みが鋭い。間合いの取り方が違う。

 木刀で受けた。腕に衝撃が走った。

 二合目、三合目。

 大吉は弾かれながらも食らいついた。ベルグに叩き込まれた重心移動、間合いの読み方、足運び、全部総動員した。

 ベルグの目が変わっていた。

 孫バカおじいちゃんの顔ではなかった。かつて剣聖と呼ばれた男の目だった。

 四合目。

 大吉が踏み込んだ。珍しく攻めに出た。

 ベルグが受けた。エクスカリバーと木刀がぶつかった。

 五合目。六合目。

 激しく打ち合った。訓練場に乾いた音が響いた。

 七合目。

 大吉が渾身の力で振り下ろした。

 ベルグが受けた。


 パキ。

「あ」


 二人同時に声が出た。

 エクスカリバーの刃に、くっきりと刃こぼれができていた。

 沈黙だった。


 ベルグがエクスカリバーをゆっくりと持ち上げた。刃こぼれを眺めた。

 目が潤んでいた。


「…師匠」

「なんでもない」

「あの」

「なんでもないと言っている」


 大吉は木刀を見た。木刀は何ともなかった。傷一つなかった。


「…弁償できますか」

「できるか」

「ですよね」


 長い沈黙が続いた。

 ベルグがエクスカリバーをゆっくりと鞘に収めた。

 それから大吉を見た。


「…及第点だ」

「え、今の状況で?」

「覚悟の話をした。お前は迷わず踏み込んできた。それでいい」


 大吉は少し考えた。


「迷ってましたよ、内心」

「それでも来た。それが覚悟だ」


 ベルグはエクスカリバーを壁に戻した。布をかけた。

 それからもう一度だけ布の上からしんみりと手を当てた。

 大吉はそれを黙って見ていた。


「師匠」

「なんだ」

「ありがとうございました」


 ベルグは振り返らなかった。


「次からは手加減しろ」

「しません」

「わかってる」

   *

 訓練場を出ると、キオが入り口の脇に座って待っていた。花柄リュックを抱えて。


「待ってたのか」

「うん」

「なんで言わなかった」

「大吉、ひとりで来たかったと思って」


 大吉はキオの頭を軽く撫でた。


「賢いな」

「えへ」


 二人で歩き出した。


「どうだった?」

「まあ、色々あった」

「師匠、泣いてた」

「泣いてない。目が潤んでただけだ」

「おんなじ」

「違う」


 キオがくすっと笑った。

 大吉は空を見上げた。

 迷ったまま、それでも前に出る。

 簡単じゃないな、と思った。

 でもまあ、なんとかなるだろ。

 いつも通り、そう思うことにした

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