異変
ミラが五歳になった。
小さな手が、俺の指を握る。朝、保育園に送っていく時の習慣だった。ミラの手は温かくて、握力が強い。五歳の子供としては——いや、五歳の子供として普通なのかもしれない。俺には比較対象がなかった。自分が五歳の時の握力など覚えていない。
ただ、時々思った。この子の握力は、少し強すぎないか、と。
「お父さん、今日ね、かけっこで一番だったの」
「そうか」
「しゅんくんが二番で、あいちゃんが三番。しゅんくんが『ミラちゃんはやい』って言ってた」
「速いのはいいことだ」
ミラは嬉しそうに笑った。五歳の笑顔。無邪気で、まっすぐで、何も知らない顔。かけっこで一番になったことが純粋に嬉しい。それだけのことだ。
だが俺の目は、ミラの走り方を記録していた。ミラが走る時のフォームは、五歳にしては完成度が高い。重心の移動、足の着地角度、腕の振り——偶然ではない効率の良さがあった。教えた覚えはない。ミラの身体が、自然にそのフォームを選んでいる。
子供は丈夫なものだ。そう自分に言い聞かせた。
工場でも、同じことを感じていた。
俺が働いている金属加工工場は、従業員の平均年齢が高い。四十代から五十代が中心で、六十代も数人いる。重い部品を運び、プレス機を操作し、油と金属粉にまみれる仕事だ。体力がいる。だが最近、誰も疲労を訴えなくなっていた。
五十八歳の田端さんが、以前は腰が痛いと言って休憩を取っていた。今は一日中立ち仕事をしても平気だ。四十三歳の若林は、老眼が始まっていたはずなのに、図面の細かい数字を裸眼で読んでいる。誰も不思議がらない。「最近調子いいんだよな」で済ませている。
俺だけが、その「調子いい」の正体を知っていた。知っていて、昼休みの雑談に相槌を打っていた。
ミラが公園のジャングルジムの天辺から飛び降りた時も、同じことを言い聞かせた。二メートル近い高さだ。俺は思わず駆け寄りかけた。だがミラは両足で着地し、膝を曲げて衝撃を吸収し、何事もなかったように立ち上がった。膝を擦りむいてもいない。
「お父さん、見て!」
ミラは誇らしげに振り返った。俺は笑顔を作った。作らなければならなかった。
他の保護者が見ていた。若い母親が「あら、すごいわね。怖くないの?」とミラに声をかけた。ミラは首を傾げた。「ぜんぜん」。怖くないのだ。この子にとっては二メートルの高さから飛び降りることに恐怖がない。身体がそうできているから。
俺の身体と、同じように。
六歳の誕生日に、ミラにローラースケートを買った。公園で練習させた。転ぶだろうと思っていた。子供はそうやって覚えるものだ。だがミラは初日で滑れるようになった。バランス感覚が異常に良い。三回転んで、四回目からはもう転ばなかった。体幹の安定、足首の微調整、重心の制御——全てが、教えていないのに身についている。
公園の別のベンチで、同年代の子供の母親が俺に話しかけてきた。
「うちの子もなんです。自転車、補助輪なしで初日に乗れたの。主人の血筋かしらって笑ってたんですけど」
血筋ではない。だがそう思っていたほうが幸せだろう。俺は曖昧に頷いた。
この町だけではないはずだ。全国で、世界中で、同じことが起きている。子供たちが丈夫になり、回復が早くなり、身体能力が上がっている。少しずつ。静かに。誰にも気づかれないように。
いや——気づかれていないのではない。気づいていても、それを「良いこと」として受け入れているだけだ。子供が健康になった。平均寿命が伸びた。病気が減った。喜ばしいことだ。その原因を疑う人間は少ない。
ミラが六歳の秋、保育園の運動会があった。
ミラは徒競走で一位になった。二位の男の子に五メートル以上の差をつけて。ゴールテープを切ったミラは、息一つ乱れていなかった。隣で見ていた保護者の一人が「あら、すごい子ね」と言った。別の母親が「うちの子も最近速くなったのよ。毎日走ってるからかしら」と返した。和やかな会話だった。子供の成長を喜ぶ親たちの、ごく普通の会話。
だが俺の目は、ミラのタイムを計っていた。強化された体内時計は正確だ。ミラの五十メートルのタイムは、六歳女子の全国平均を二秒以上上回っている。二秒。陸上の世界では絶望的な差だ。
運動会の帰り道、ミラが「お父さん、一番だったよ」と何度も言った。嬉しくて仕方がないのだ。俺はミラの頭を撫でた。「すごかったな」。それだけ言った。それ以上は言えなかった。
町も変わっていた。駅前に新しいドラッグストアが開店し、棚の一角に「ナノサプリ」と書かれた商品が並んでいた。手書きのポップには「体の中から元気に!」とある。中身がナノマシンなのかどうかはわからない。だが名前にナノとつけるだけで売れる時代になっていた。
公園の遊具が新しくなった。以前より高く、以前より複雑な構造のジャングルジムが設置された。「子供の体力向上に対応した新型遊具」と自治体の案内板に書いてあった。対応。向上に対応。つまり、以前の遊具では子供たちに物足りなくなったということだ。
七歳になったミラを連れて、スーパーに買い物に行った。
魚売り場の前で立ち止まった。
鮭が大きい。パックの中に並んだ切り身が、以前より明らかに厚い。隣のパックのブリも同様だった。一尾売りの鯛に至っては、俺が子供の頃に見た記憶のどの鯛よりも体格が良い。
俺の記憶は正確だ。強化された脳は、過去の視覚情報を高精度で保持している。五年前にこの店で買った鮭の切り身の厚さを、俺は覚えている。今日の切り身は、あの時より一・五倍は厚い。
隣に立っていた主婦が、鮭のパックを手に取りながら言った。
「最近いい魚が入るわよね。海がきれいになったのかしら」
俺は何も答えなかった。答える言葉がなかった。
海がきれいになったのではない。海の中にいる生き物が変わっているのだ。魚の体内にも、ナノマシンが蓄積している。食物連鎖を通じて、プランクトンから小魚へ、小魚から大魚へ。ナノマシンが魚の細胞を修復し、成長を促進し、身体を最適化している。結果として魚は大きくなり、肉質が良くなり、漁獲量が増える。
十年連続の豊漁。ニュースで見た数字だ。あの数字の裏にあるものを、俺は知っている。知っていて、鮭の切り身を買い物かごに入れた。ミラの夕飯にする。ナノマシンを含んだ魚を、ナノマシンを持った娘に食べさせる。もはや避けようがない。水にも、空気にも、食物にも、ナノマシンは入り込んでいる。有機栽培も天然ものも関係ない。地球の循環系そのものが変わっている。雨に混じり、土壌に沈み、根から吸い上げられ、実に蓄積される。あの施術台の上で俺の体内に注入されたものが、十五年をかけて地球の隅々まで行き渡っている。
ミラが隣で「お父さん、今日はお魚?」と聞いた。
「ああ。鮭にしよう」
「やった! 鮭すき」
ミラの笑顔が眩しかった。この子は何も知らない。知る必要がないのかもしれない。だが「知る必要がない」と判断しているのは俺だ。それは保護なのか、隠蔽なのか。
エマにも言わなかった。エマには三ヶ月に一度、電話をしている。
「お兄ちゃん元気? ミラちゃんは?」
「元気だ。ミラも元気だ」
「ミラちゃんに会いたいなあ。今度遊びに来てよ。タクヤさんも会いたがってたよ」
タクヤはエマの夫だ。穏やかな男で、エマを大切にしている。エマの声は明るかった。結婚二年目の幸福が声に満ちている。
「ねえ、お兄ちゃん。最近すごく体調いいの。風邪もひかないし、肌の調子もいいし。タクヤさんもそうなんだけど、周りのみんなもなんだって。なんだろうね」
「……さあ。いいことじゃないか」
「うん、いいことだよね。お兄ちゃんのおかげだよ、あの時治療受けさせてくれたから」
おかげ。
その言葉が、以前とは違う重さで胸に落ちた。エマは今も感謝している。俺がナノマシンプログラムに参加したおかげで、自分は歩けるようになったと信じている。それは事実だ。だが今のエマの健康は、俺の犠牲だけでは説明がつかない。環境中のナノマシンが、エマの身体を更に強化し続けている。エマの「おかげだよ」は、もう俺だけに向けられたものではない。
だがそれを言う言葉を、俺は持っていなかった。
「元気でな、エマ」
「うん。お兄ちゃんも無理しないでね」
電話を切った後、しばらく受話器を持ったまま立っていた。
俺が守ったものは、もう守る必要がなくなっている。エマは俺がいなくても大丈夫だ。世界中の全員が、エマと同じ恩恵を受け始めている。俺が身体を差し出して守ったものが、空気のように当たり前になっている。
トーラとの電話で、一度だけ聞いたことがある。
「お前は気づいてるか。周りの人間が変わってきてること」
長い沈黙があった。
「……気づいてる」
トーラの声は低かった。以前よりさらに低い。何かを確認している声だった。
「カイ。俺は少し調べてる。まだ話せない。だが——気をつけろ」
「気をつけるって、何に」
「……全部にだ。お前の娘にも。誰が見ているかわからない」
それだけ言って、電話が切れた。トーラが「まだ話せない」と言う時、それは話す内容がないのではなく、話すべき内容が多すぎるということだ。六年間同じ部隊にいた俺にはわかる。トーラは何かを掴みかけている。そしてそれは、俺が日常の中で感じている「異変」と繋がっている。
日曜日。公園でミラを遊ばせた。
七歳のミラは活発だった。走るのが速い。ジャングルジムの天辺まで一気に登る。ブランコで信じられない高さまで漕ぐ。他の子供たちが「すごーい」と歓声を上げる。ミラは得意そうだった。
砂場で遊んでいた男の子が転んで膝を擦りむいた。血が出た。母親が駆け寄る前に、男の子は自分で立ち上がっていた。膝を見た。血は既に止まりかけていた。母親が「大丈夫?」と聞くと、男の子は「へいき」と言って砂場に戻った。以前なら泣いていただろう。以前なら血はもっと長く出ていただろう。だが今の子供たちは、傷が早く治る。痛みへの耐性も高い。
俺はベンチに座って、公園の子供たちを観察していた。軍にいた頃の癖だ。視界に入る人間の身体能力を、無意識に査定してしまう。部隊にいた頃は仲間の状態を把握するためだった。今は、別の理由で目が動く。
十人ほどの子供が遊んでいる。年齢は五歳から八歳くらい。全員が、どこかおかしかった。
おかしい、という表現は正確ではない。「以前の子供より少し優れている」が正しい。走る速度。反応速度。転んだ時の受け身の取り方。怪我の治りの速さ。一つ一つは微差だ。個体差の範囲と言われれば、そうかもしれない。だが全員が同じ方向に、同じだけ優れている。個体差なら、劣る子供も同数いるはずだ。そうではなかった。底上げされているのだ。全体が。
テレビでニュースを見た。「七歳児が成人男性の平均を上回る握力を記録——驚異の子供たち」。キャスターは明るい声で伝えていた。「子供たちの体力が向上しています。専門家は栄養状態の改善と運動環境の充実が寄与していると——」
栄養状態の改善。
運動環境の充実。
テレビの専門家はその二つを繰り返していた。画面の下にテロップが流れる。「子どもの体力、過去最高を更新中」。スタジオのコメンテーターが「素晴らしいことですね」と頷く。誰も疑問を持たない。疑問を持つ理由がないのだ。子供が健康なのは良いことだ。良いことの原因をわざわざ疑う人間は少ない。
それで七歳児が大人の握力を超えるのか。
俺だけが理由を知っている。知っていて、テレビの電源を切った。ミラが隣で「すごいね、あの子」と画面を指差していた。お前もだよ。お前も同じだ。言えなかった。
ハンスが夕食に招いてくれた。
ミラが七歳になってから、月に一度はハンスの部屋で食事をするようになっていた。ハンスの料理はうまい。教師を退職した後、料理が趣味になったらしい。野菜の切り方一つにも丁寧さがあり、味付けは薄味だが素材の旨みを引き出している。俺の舌は相変わらず塩分の濃度まで測ってしまうが、ハンスの料理に関してはいつも適正値だった。
ミラはハンスを「ハンスおじいちゃん」と呼んでいた。ハンスはそう呼ばれるたびに嬉しそうに目を細めた。実の孫のように可愛がっている。七年間の付き合いは、隣人を家族に変えていた。
「最近体調がいいんだ」
ハンスが味噌汁を運びながら言った。和食を覚えたのは俺の影響だ。
「膝の痛みが消えた。もう三年くらい前からかな。あの頃は階段を上るのも辛かったのに、今は毎朝散歩しても平気だ」
「……いいことですね」
「本当にね。歳を取るのが怖くなくなったよ。友人にも同じことを言う人間が多くてね。みんな元気になってる」
ハンスは笑った。善良で、穏やかで、何の疑いもない笑顔だった。
俺は箸を止めた。
ハンスの身体にも、あれが入っている。六十代後半の男の膝関節を修復し、筋肉を維持し、免疫を強化している。ハンスの「体調がいい」の正体を、俺は知っている。食事から、水から、空気から、何年もかけてハンスの身体に入り込んだナノマシンが、静かに働いている。
ハンスは何も知らない。知らないまま恩恵を受けている。知らないまま、自分の身体が変わっていることに気づかない。あるいは気づいていても、それを「健康になった」と解釈して受け入れている。
「カイくん? 箸が止まってるよ」
「……すみません。考え事を」
「仕事のことかい。無理しちゃいけないよ」
ハンスの善意が、いつものように胸に刺さった。この人は何も悪くない。この人は何も知らない。そして俺は、知っていて何も言わない。言ったところで何になる。ハンスの膝が治った理由を説明して、それでハンスが幸せになるか。知らないほうが幸せなことがある。だがそれを判断しているのは俺だ。また俺だ。誰かの代わりに知り、誰かの代わりに黙る。施術台の上で始まった役割が、まだ続いている。
ミラがハンスの作った卵焼きを頬張りながら「おいしい!」と声を上げた。ハンスが笑った。俺も笑おうとした。
ミラの学校から電話があったのは、体力テストの翌週だった。
担任の教師は若い女性で、声に困惑が混じっていた。
「お父さん、ミラちゃんの体力テストの結果なんですが、少しお話ししたいことがありまして」
学校に呼ばれた。職員室の隅の面談用スペース。担任は紙を一枚見せた。ミラの体力テストの結果表だ。
全項目で学年トップ。それだけなら問題ない。問題は数値だった。五十メートル走のタイムは七歳女子の全国平均を大幅に上回り、握力は同学年の男子の平均の二倍近い。反復横跳びの回数は中学生の水準だ。
「お父さん、ミラちゃんに何か特別なトレーニングをさせていますか?」
「いえ、何も」
嘘ではない。俺はミラに何も教えていない。走り方も、飛び方も、握力の鍛え方も。ミラの身体が勝手にそうなっている。だが「何もしていない」は「理由がない」とは違う。理由はある。俺がその理由を知っていて、言わないだけだ。
「そうですか……。実はミラちゃんだけではないんです。今年の一年生全体が、去年の一年生より平均値が高くて。特にミラちゃんが突出しているんですが」
担任は首を傾げていた。理由がわからないのだ。この若い教師には、何が起きているのかを説明するフレームがない。「子供が丈夫になった」以上の解釈ができない。
「健康な証拠だと思います。ミラは外で遊ぶのが好きなので」
「ああ、そうですよね。活発なお子さんですものね。すみません、心配しすぎました」
担任は笑って、紙をファイルに戻した。俺も笑顔を作った。
嘘ではない。だが真実でもない。ミラの身体能力が高い理由を、俺は知っている。だが説明できない。説明する言葉を持っていない。「娘の身体にはナノマシンが入っています」と言って、この教師に何が伝わるだろう。何も伝わらない。むしろ俺が異常者として扱われるだけだ。
帰り道、ミラが手を繋いできた。
「お父さん、先生と何の話したの?」
「体力テストの話だ。ミラはよくできたって」
「ほんと? やった!」
ミラが跳ねるように歩いた。七歳の足が、アスファルトを力強く蹴る。その一歩一歩の着地の衝撃が、繋いだ手を通して俺に伝わってくる。この子の足が蹴る力は、七歳にしては強すぎる。だがミラはそれが自分の「普通」だと思っている。他と比べることを知らない。
帰り道、商店街を通った。肉屋のショーケースに並んだ鶏肉が、やけに色艶が良かった。八百屋のトマトは握り拳より大きい。どの食材も、以前より立派になっている。魚だけではない。家畜も、農作物も。ナノマシンは食物連鎖の全てに入り込んでいる。
「お父さん、あのトマト大きいね」
「ああ」
「トマト好き。買って」
買った。ナノマシンを含んだトマトを、買い物袋に入れた。選択肢がないのだ。この世界のどこに行っても、ナノマシンを含まない食材はもう存在しない。
夜、ミラが寝た後。
ミラの部屋のドアを少し開けて、寝顔を見た。七歳のミラは、生まれた時より遥かに大きくなっている。当然だ。だがこの七年間で、ミラの身体の中のナノマシン濃度は上がっているのか、下がっているのか。わからない。計測する手段がない。俺に感じ取れるのは、ミラの身体が健康であること、心拍が安定していること、呼吸が穏やかであること。それだけだ。
ミラの寝息を聞いていた。深い睡眠の呼吸。七歳の娘の身体を、軍のデータの基準で測ろうとしている自分がおかしかった。
ミラの部屋を出て、台所の椅子に座った。
自分の腕を見た。施術台で変わった腕。筋繊維が再構築され、骨が強化された腕。十五年前の痛みが刻まれた腕。そしてミラの腕を思い浮かべた。七歳の、細い腕。日焼けして、少し傷がある。公園で遊んだ傷だ。すぐに治る傷。
同じものが流れている。俺の腕にも、ミラの腕にも。
違いは一つだけだ。
俺は選んだ。施術台に横たわり、痛みに耐え、身体を作り替えることを自分の意志で選んだ。あの日、紙に名前を書いた。痛みを受け入れた。対価として妹の治療を得た。取引だった。
ミラは選んでいない。生まれた時から、そこにあった。選択の余地なく、身体に刻まれていた。取引も合意もない。ただ与えられた——いや、与えられたのか、それとも汚染されたのか、その区別さえつかない。
エマの治療のために俺が差し出したものが、巡り巡って、俺の娘の身体に入っている。それがどういう意味を持つのか、まだ答えが出ない。答えが出ないまま、ミラは明日も走り、跳び、笑うだろう。何も知らないまま。
窓の外で、遠くの犬が吠えた。二キロ先。この耳にはそこまで聞こえる。風の匂いに混じる微かな化学物質の残香。雨の中のナノマシンの気配。俺にだけわかる世界の体温。世界は静かに変わり続けている。子供たちは丈夫になり、老人は若返り、魚は大きくなり、平均寿命は伸び続けている。誰もその理由を正確には知らない。
俺が知っていることは二つだ。一つ。世界中にナノマシンが拡散している。排水から海へ、海から食物連鎖へ、食物から人体へ。十五年かけて、ゆっくりと、確実に。二つ。それは止められない。止める方法を誰も知らない。俺が施術台の上で流した汗と涙が、巡り巡って、世界中の子供たちの身体を作り替えている。
だがそれに気づいている人間が、俺の他にもいるはずだった。この変化を数字で捉え、原因を突き止めようとしている人間が。俺の感覚ではなく、科学で。
その人間がいつか俺の前に現れる。そういう予感が、夜の静まった空気の中に微かにあった。
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