第11話:ゲリラ豪雨と、逃げ込んだ軒下(中編)

 バチバチバチッ、という暴力的なノイズが、頭上の錆びたトタン屋根を容赦なく打ち据え続けている。

 それはもはや雨音というより、空から無数の石礫が降り注いでいるかのような破壊的な轟音だった。視界の先、わずか数メートル向こうのアスファルトは、叩きつけられた雨粒が白く跳ね返り、厚い霧の壁を作り出している。道路を走る車もなく、遠くの街並みも完全に白い帳の向こう側へと消え去っていた。

 この古びたバス停の小さな待合所だけが、狂暴な濁流の中に取り残されたただ一つの孤島だった。


 大人二人が座ればそれでいっぱいになってしまうような、朽ちかけた木製のベンチ。

 俺と彼女は、そのベンチの端と端に立ち尽くしたまま、荒くなった呼吸を必死に整えていた。

 互いの肩から肩までの距離は、わずか数十センチ。俺が少しでも重心をずらせば、あるいは彼女がわずかに身じろぎをすれば、間違いなく互いの衣服が擦れ合ってしまうほどの至近距離だ。

 夕暮れの土手道で保っていた等間隔の歩幅も、昼休みに俺自身が引いてしまった一メートルの不自然な境界線も、このゲリラ豪雨という圧倒的な自然の暴力の前では、まったく意味を持たなかった。逃げ場のない檻の中に、俺たちは強制的に押し込められている。


 轟音によって外界のあらゆるノイズが遮断されたことで、俺の聴覚は皮肉なことに、すぐ隣にいる彼女の発する微細な音だけを、異常なほどの高解像度で拾い上げ始めていた。

 雨音の隙間を縫うように鼓膜を打つ、らむねの少し不規則で浅い息遣い。

 濡れた衣服が肌に張り付く、水気を帯びた重たい衣擦れの音。

 そして、俺の嗅覚を容赦なく侵略してくるのは、むせ返るような六月の湿気とアスファルトの匂いに混じって漂う、彼女の匂いだった。

 雨に濡れたことで、普段のほんのり甘い制汗剤の香りは洗い流されかけていたが、代わりに彼女の濡れた髪からシャンプーの匂いが強く立ち上り、彼女自身の体温が発する熱気とともに、狭い軒下の空気に濃密に溶け込んでいる。

 肺いっぱいに空気を吸い込むたびに、彼女の存在そのものを体内に取り込んでしまっているような、ひどく生々しい錯覚に陥る。

 逃げ場がないのは、物理的な空間だけではない。俺の五感のすべてが、柚木らむねという存在によって完全に包囲され、占拠されていた。


 俺は視線を逸らそうと、白い雨の壁へと顔を向けた。

 しかし、すぐ隣に存在する圧倒的な熱源を、意識の端から追い出すことなど不可能だった。

 ほんの少し視線を横にずらすだけで、嫌でも彼女の姿が視界の端に飛び込んでくる。

 俺の目は、まるで俺自身の意志を裏切るように、ゆっくりと、抗いがたい引力に引かれるように、彼女の方へと向けられていった。


 らむねは、ベンチの端で自分の両腕を抱え込むようにして立っていた。

 いつものように完璧なカールを描いていたはずの髪は、雨の重みで無残に形を崩し、肌にべったりと張り付いている。

 水滴が、彼女の形の良い耳たぶから顎のラインを伝い、そして制服の襟元へと滑り落ちていく。その水滴の軌跡を、俺の視線は無意識のうちに熱を帯びたまま追従してしまう。

 ほんの数十秒、雨の中を走っただけだというのに、彼女の制服はすでにその本来の機能を失っていた。

 夏服の薄い白いブラウスは、雨水をたっぷりと吸い込み、彼女の華奢な肩から背中にかけてのラインを痛いほどに克明に浮き彫りにしている。生地が肌に張り付いている部分からは、彼女の透き通るような白い肌の色が、うっすらと、しかし確かに透けて見えていた。


 見てはいけない。

 俺の理性が、けたたましい警報を鳴らしている。

 こんな無防備すぎる姿を、直視していいはずがない。俺は慌てて視線を外そうとするが、眼球は膠で固められたように動かない。

 昼休みの踊り場で、彼女の口から他の男の名前が出た時に感じた、あのどす黒く粘り気のある嫉妬。

 それが今、全く別の感情と混ざり合い、暴走を始めようとしていた。

 こんなにも隙だらけで、息を呑むほどに無防備な彼女の姿を、今この瞬間、世界で俺だけが独占している。

 サッカー部の男でも、彼女を取り囲む女子たちでもない。ただの背景でしかない俺だけが、着ぐるみを完全に剥ぎ取られた、彼女の最も無防備な領域に踏み込んでいる。

 その歪な優越感と、目の前に存在する圧倒的な視覚の暴力が、俺の肺の裏側で完全に沈黙していた微炭酸の泡を、再び凶暴な勢いで弾けさせた。


 シュワッという軽やかなものではない。

 それはもはや、沸騰するマグマのように重たく、熱く、そして甘い痺れを伴って全身の血管を焼き尽くそうとする、劇薬そのものだった。

 触れたい。

 あの透けたブラウス越しに、彼女の体温を直接確かめたい。

 俺の内に巣食う泥沼のような独占欲が、明確な渇望となって俺の理性の檻を激しく内側から叩き壊そうとしている。

 右手の指先が、無意識のうちにピクリと動く。あと数十センチ。手を伸ばせば、彼女の震える肩に届いてしまう。


 その時、らむねが不意に顔を上げた。

 視線が、空中で真っ向から衝突する。

 俺は息を呑み、慌てて目を逸らそうとしたが、彼女の潤んだ瞳がそれを許さなかった。

 彼女の顔には、昼休みの気まずさの残滓と、突然の雨に対する戸惑い、そして、この息苦しいほどの密室で俺と二人きりになっていることへの、隠しきれない動揺が浮かんでいた。

 いつもの完璧な笑顔は、そこには一ミリも存在しない。

 ただ、不安げに揺らぐ瞳が、俺の目の奥の、一番見られたくない感情の底まで覗き込もうとしているようだった。


 轟音の中で、永遠にも似た数秒間、俺たちは互いの視線を絡ませたまま動けずにいた。

 彼女の少し開いた薄紅色の唇が、微かに震えている。

 何かを言おうとしているのか、それともただ息を吐いているだけなのか。この雨音の中では、言葉を発したとしても到底届きはしないだろう。


 ブルッ。

 突然、らむねの華奢な肩が、大きく跳ねた。

 それは俺の視線に対する反応ではなく、明確な生理現象だった。

 生温かかった風は、激しい雨によって急速に冷やされ、今は氷のような冷たさを孕んで軒下に吹き込んできている。

 ただでさえ体温の低い彼女が、濡れたブラウス一枚でこの冷風に晒され続ければどうなるか。

 彼女は両腕をさらに強く抱きしめ、自分の体温を逃がすまいと身体を小さく丸めた。顔色は目に見えて青白くなり、唇は小刻みに震え始めている。


 その痛々しいほどの震えを見た瞬間、俺の中で暴走しかけていた熱狂的な渇望に、冷や水がぶっかけられたような気がした。

 俺は何を馬鹿なことを考えているんだ。

 彼女は今、単純に寒さに凍えている。そして、濡れた衣服が張り付く不快感と、昼休みの気まずさを引きずったまま、こんな狭い軒下に俺と一緒に閉じ込められているのだ。

 俺の独占欲など、今の彼女にとってはただの暴力でしかない。


 俺は奥歯を強く噛み締め、理性の総力を挙げて自らの内に渦巻く熱を強引に押さえ込んだ。

 俺は彼女の休憩所だ。

 無害な背景であり続けなければならない。彼女に干渉することも、俺の勝手な熱を押し付けることも、絶対に許されない。


 だが。

 目の前で寒さに震える彼女を、これ以上ただの背景として放置しておくことは、俺の理性が、いや、俺の隠れ世話焼きという最低な本質が、もはや限界を超えて拒絶していた。

 ルールを破ることになる。

 この奇跡のような均衡を、自らの手で崩すことになる。

 そんなことは、とうの昔に理解している。

 雨音の狂乱の中で、俺はゆっくりと、自分の着ていた制服のブレザーのボタンに手をかけた。

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