第7話:ホムンクルスの落とし物
====================
玉歴 209年 風玉の一月 十九日 朝
たった二日足らずで、ホムンクルスは人間の赤子と大差ない大きさにまで成長した。
もう実験用の箱には収まらない。今後は人間の赤子と同様の育て方をしていく必要があるかもしれない。
そもそもこのホムンクルスは人間と同じ構造なのだろうか。
その辺りも詳しく調べる必要があるのかもしれない。
====================
「…ねぇ、一度この子うちの病院に連れて行かない?」
布を重ねて作った簡易ベッドにホムンクルスをそっと置いたラスティが、肩をぐるっと回しながらそう提案した。俺は手帳にメモしていた内容を整理するために動かしていたペンを止めて、顔をあげる。
「…できるだけホムンクルスのことは知られたくはないんだが」
「この姿ならホムンクルスだなんて分りゃしないわよ。それにずっと病院で面倒を見るって話じゃない。ここでも軽く診察はしてみたけれど、やっぱり病院で一度ちゃんと診たほうがいいわ。このまま人間と同じような育て方で問題ないのか、人間と構造や機能的に違いはあるのか…今後のことを考えると、それを確かめることが必要だって、あなたも思うでしょう?」
「確かに、それはそうだが…やっぱり、危険じゃないか? 二日足らずでこんなにも成長したんだ。診察の間に大きな変化があったら…」
ラスティの言っていることはもっともではあるが、やはり俺としては少し躊躇ってしまう。外では予想外の出来事が起こってしまえば、対応することも難しい。そしてもしもホムンクルスだと露見してしまえば、研究どころではない騒ぎになりかねない。
とはいえ病院でなら、ここでは調べられないことを調べられるのも確か。
研究を守るためか、それとも研究を進めるためか…
ラスティは迷わず後者を選べる人間——俺は胸の内側にへばりつくような劣等感を無理やり腹の底に押し込み、どちらが最善かを考える。いや、きっと考えるまでもなく正しいのは明らかだ。つまり、必要なのは俺の決断一つだけ。
「その辺りはひとまず大丈夫じゃないかしら。これまでの成長の推移を見るに、一旦この大きさで落ち着いたみたいだし。それに念の為診察も私一人で行うようにするから」
俺はこれまでの観察の記録を見直しながらラスティの説得を聞いた。確かに昨日から一定時間ごとにホムンクルスの大きさを測定し、記録をつけていたが、右肩上がりで成長していたホムンクルスは、今の腕に抱えられるほどの大きさになってからぴたりと成長を止めた。
これが成長限界なのか、それとも一旦成長の波が落ち着いただけなのか、それはまだ分からない。あるいは病院で調べてもらえば、その辺りのことも何か掴める、かもしれない。
そう考えたら、チャンスはむしろ今しかないような気もした。
「分かった。お前の病院に連れて行くことにしよう」
「決まりね! それじゃ、私は先に戻るわ。あんたはせめて身を清めてから来なさい」
ラスティは俺が考えている間にも帰る準備を済ませていたようで、荷物の入った鞄を持ち上げながら、その細い指で小さな鼻の摘んだ。もしかして今の俺って結構臭っているのだろうか。ここ二日はホムンクルスの観察に夢中になっていたし、その前も研究資料をずっとまとめていたいたから…あれ、最後に身を清めたのはいつだったか。
自分では自分の匂いはよく分からないが、言われて思い出したように頭が痒くなってきた。この研究室には、ラスティに勧められて設置した火の魔石を利用した温水シャワーと、ハーブが配合された石鹸がある。それを利用すれば、今になって感じ始めた身体にまとわりつくようなこの不快感もすっきりすることだろう。
俺はラスティを見送った後、静かに呼吸を繰り返しながら眠っているホムンクルスの様子を見る。特に変化する気配はないし、短時間であればシャワーくらい浴びても問題ないだろう。それでもあまり長く目を離したくないから、俺は手短に済ませることにした。
浴室に入り、服を脱ぐ。浴室には、これまたラスティに半強制的に購入させられた半身を写すほどの鏡があり、そこで俺は自分の薄汚れた身体と顔を見る。
「…本当にクマ、消えてるな」
俺はあまり鏡は好きじゃない。見たところで小汚くて、髪もボサボサなおっさんが毎回写り込むのだから、好きになる要素もない。ただラスティには自分の姿としっかり向き合い、体調管理をしろといつも口を酸っぱく言われている。
体調というのは見た目に如実に現れる。不調も好調も、体の内側から滲み出るように、何かしらのサインを発する。
俺の生活は不摂生極まりない。錬金術師は頭脳労働的な側面も強く、常にアイデアや閃きを待っているせいで、眠る時間もバラバラだし、食事にも気を使わない。
そんな生活をもう何年も続けており、あの目の下に深く刻まれたクマはその結果だった。それが今は綺麗さっぱりなくなっている。ホムンクルスが生まれ、その感動と未知への好奇心のあまり、体調が良くなったという錯覚を起こしていたのだと思っていたが、錯覚で目の下のクマが消えるというのはおかしい。
「そういえば…重い病気で死に瀕した人が、息絶える前日に元気になることがあるなんて聞いたことあるな…」
まさか俺の体にも、絶不調の前の好調が訪れているのだろうか。
服を久しぶりに脱いだせいか、それとも不安に駆られたせいか、背筋を寒気がなぞってブルリと震えた。さっさと温かいシャワーを浴びてしまおう。
温水を頭から浴び、身を清めると、身体だけではなくて、それまで長時間の可動で泥沼が溜まっていた思考の溝もすっかり洗い流された、気がする。まだ漠然とした不安感は腹のあたり残ったままだが。
無意識にお腹に触れていた手を離し、俺は着替えて居間の方へと戻った。ホムンクルスに特に変化は見られない。安堵と少し肩透かしをくらった気分のまま、ふと視線を傍に移動させる。
そこには観察のために使った器具や、筆記用具、そして昨日までホムンクルスが眠っていた飼育用の箱が置いてあった。
ホムンクルスがあのサイズになった以上、もうこの箱もお役御免だろう。病院に行く前に、色々と散らかった部屋を片付けていった方が良いかもしれない。普段の俺なら間違いなくそのまま放置していたのだろうが、これから毎日ラスティが来るかもしれないとなると、この状態を放置しておけば、間違いなくラスティの小言が飛んでくる。
俺は片付けはまとめてできない性質だから、今のうちに少しでも片付けておいた方がいいだろう。
育成箱を手に取る。片手で、箱の枠を掴むように。もうホムンクルスのいないそれを丁寧に持ち上げる必要はなく、持ち上げると同時に箱は縦向きに傾いていく。
その時、俺は傾けた箱の中で、何かが下に移動する感触に気がついた。布じゃない。もっとこう、さらさらとした砂のような気配だ。それなりに年季の入ったものなので、木屑でも溜まっているのだろうか…これはもう捨ててしまった方がいいかもしれない。
木箱に入れていた布類を取り除き、俺は箱の中を確認した。
「これは…」
枠の端に溜まっていた木屑と思っていたそれは、よく見ると部屋の明かりを微かに反射して、金色の輝きを放っていた。
砂金だ。
しかし当然ながら、この実験用の飼育箱に金などあしらわれているわけもなく…つまり、この砂金はどこからともかく現れたということになる。そして俺にはその心当たりはたった一つしかなかった。
人間にあって、ホムンクルスにないもの。人間とホムンクルスの違い。それは身体のどこかに現れるものとばかり思っていた。それこそ先入観だというのに気が付かなかった。注目するべきは既にあるものだけじゃない。排出、あるいは生み落とされるものにこそ、決定的な違いがあったということだ。
「…いや、まだそうと決めつけるのは早計か」
俺の研究では、鉱物類も扱う。その中に金が混じっていたものがあり、その残り滓が何かの拍子であの箱の中に紛れ、そのことに気が付かないまま使っていた可能性も、極小の確率であり得る。
でも、もしもそうじゃなかったら——
ホムンクルスには、金を生み出すことができるのだとしたら。
存在を秘匿する理由が増えることになる。それもとびきりの爆弾だ。この能力が知られれば、最悪戦争にだってなり得る。研究ばかりで政治や商売のことはからきしな俺でも、容易に想像ができてしまう。
いつの間にか額に浮かんでいた汗が頬を伝う冷たい感触で、硬直していた俺は我に返った。見なかったことにはできない。かといって、これを誰かに——ラスティに報告することも危ない気がする。
ホムンクルスから金が生み出される可能性。俺は当分の間は自分の中に留めておくことにして、俺は箱の中にあった砂金を回収し、それを研究室の引き出しの奥深くに隠した。
そして研究手帳には何も記さなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます