第3話 象
司会者は私の心境など露ほども知らないという顔で、朗らかな声で新進画家・本山聡の紹介を始めた。
私はというと――さっきまでレストランで気軽に会話を交わしたあの彼が「画伯」と呼ばれていることに、まだ現実味が追いついていない。
(……うわぁ。私、何やってんだろ)
胸の奥にじわじわと自己嫌悪が広がる。それでも取材の手は止められない。記者として叩き込まれた習性で、反射的にカメラを構え、シャッターを切った。
ピントは合っている。手は震えているのに、画面上の彼を確実に静かにとらえていた。
やがて司会者は、整然と並んだパイプ椅子に目を向け、軽く手を上げた。
「では、取材陣の皆様。左の方から順にご質問をどうぞ」
本山は椅子に腰かけ、控えめながら優しい表情で取材陣を見渡す。その姿は“天才画家”というより、“穏やかな青年”そのものだ。
先に質問した記者たちは、次々と鋭い質問を投げかけていく。本山はどれにもきちんと耳を傾け、言葉を選んで返していた。歯切れよく、嘘をつく気配がまるでない。
(こんなに有名な人なのに……どうしてあんなに自然体なんだろう)
ふと、レストランで笑った彼の顔が思い出される。胸の奥がざわつき、落ち着かない。
そして、ついに私の番が回ってきた。
「……何故、象を描こうと思われたのですか?」
声が少し上ずったが、どうにか前準備した質問を読み上げる。
彼は少し照れたように、頬をかきながら答えた。
「子どもの頃、家に一人でいることが多かったんです。両親は共働きでしたからね。そんなときに、傍にあったのがクレヨンと画用紙で……それと、離れて住んでいる祖父母が気遣って、よく動物園へ連れて行ってくれました。月に何回も」
柔らかく語る声は、どこか懐かしさを混ぜていた。
「数ある動物の中で、象が特に印象に残った……ということでしょうか?」
司会者が促すように尋ねる。
「いやあ、最初から象ってわけじゃないんですよ。僕、子どもの頃はすごく内向的で、友達もほとんどいなくて。いろんな動物の絵を描いていたんです」
本山は言葉を区切り、少しだけ目線を落とした。
「ある日、クラスに転校生が来ましてね。その子はすごく活発で……まっすぐな女の子でした」
取材陣の空気がふっと変わる。司会者がにこやかな声で聞く。
「もしかして、本山画伯の“初恋”のお相手でしょうか?」
「ええ……まあ、そうかもしれません」
苦笑しながらも、どこか否定しない柔らかい声だった。
「その子がね、『本山君の描く象って面白いね』って言ってくれたんです。たった一言。でも……それがすごく嬉しくて。それ以来、象をよく描くようになったんですよ」
その瞬間、会場の空気はどこか温度を帯びた。
本山の目は遠くを見つめ、思い出をそっと撫でるようだった。
「素晴らしいですね。その一言がなければ、今の画伯の作品は生まれなかったというわけですね」
「そう……ですね」
本山は控えめに微笑んだ。その笑顔は、あのレストランで見たものとまったく同じだった。
(そんな大事なきっかけの話を……私は普通の雑談みたいに聞いてたんだ……)
また顔が熱くなるのを感じた。
その後も取材は続いた。
好きな色、好きな食べ物、絵を描く時間、作品のテーマ……記者たちの質問は多岐にわたったが、本山はひとつひとつ丁寧に答えていた。
その声を聞きながら、私は胸の中の“恥ずかしさ”と“興味”と“何か名前のつかない感情”が混じり合い、落ち着かないまま彼を見つめ続けていた。
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