6話 安息地
6話 安息地
高圧的な態度でクズネドを監視する役人たち。その曇った眼差しを浴びつつ、静かに作業を進める。冷たく、耳鳴りがする。穴は深く、暗く、どこまでもこちらを引きずり込むような青黒さを放っていた。
「マフカ、強化スパナ。」
「は、はい。」
生きた心地がしない。もはや、ここは死後の世界ではないかとすら錯覚してしまう。それに、後ろから作業を見られているのも気に食わない。本当に、背中を刺されるかもしれない。
「…。」
「終わりましたよ。」
「よし。上がるぞ。ついてこい。」
しかし予想外なことに、その場は何事もなく終わり、宿に帰された。
「…多分、この後の謁見がやべえ。しかし金を受け取らんとな…。」
それから数時間休憩し、再び女王姉妹の前にて。カルネヴァが満面の笑みで語りかけた。
「では、褒賞として…最上級の『おもてなし』を…。」
「いやあ、すみません。後の仕事がつかえてまして…。金だけもらえたらうれしいんすけど。」
うまいこと抜け出せないか試みる。
「我々の権限で、そこは期限を伸ばしてもらうよう伝えておきますよー?」
「いやあ、人生短い。俺らは行かなけりゃならんのですよ。」
「ええ?いいじゃないですかあ。ここでゆっくりしていっても。」
ユチュナが駄々をこねるようにベッドの上を転がる。しかし、マフカが毅然とした態度で言い放った。
「いえ、私たちは、東の地で朝日を見つけると決めたのです。行かないと。」
「朝日、ねえ。」
カルネヴァの表情がやや曇った。
「別に、帝都にもあるかもしれませんよ?何なら、私たちが連れて行って差し上げましょうか?お前たち?」
不敵な笑み。その瞬間、扉が開けられ、帝国兵士や湯の国の私兵と思しき武装した集団が部屋に雪崩れ込む。
「平和が一番ですわ。」
「改めて、ここに残る気は?」
「…ねえよ。」
クズネドは剣を抜く。
「そう。残念。」
それに応じてマフカも杖刀を抜いた。
「やってしまえー。」
乱戦。
兵隊が入り乱れるが、複数組織の兵が入り乱れており、わずかに統率の乱れが見られた。
「この贅沢ボケしたお抱え共が!」
「黙れ。思考の凝り固まった平民が!」
その隙に窓を叩き割ることを試みる。
「お待ちー。」
カルネヴァは笏を引いた。花柄が刻まれた短剣が姿を現す。
「ほう。マジでやるぜ。鎧着込まなくていいのか?」
無言。しかし、余裕の笑み。
「ユチュナー?」
「はーい。」
瞬間、緑の汁が舞い散る。
「ぐ、げううう…。」
「マフカ!」
「フフフ…植物を育てていると、こういう時に便利ですね。」
瞬時にカルネヴァの剣が防護服を突き刺さんと光る。
「やるな。」
「言ったでしょ?ま、最期に見るのがこの私でよかったですね。」
しかしクズネドの剣は確実にその一撃一撃を防いでいた。しかし、カルネヴァにも隙が無い。ステップを踏むたびに、甘ったるい花の香りが周囲を包む。
「マフカ、お前は窓を割れ。俺が時間を稼ぐ。」
「く…わかった。」
マフカは目を瞑ったまま短剣を抜くと、とにかくガラスを突きまくった。しかし、びくともしない。
「あら、かっこいいこと。興味がわいてきましたわ。あなたの素顔…。」
「へ、高くつくぜ?」
一撃一撃のたびに髪と女体の豊満さが揺れ動き、脇が見え、かなり目のやり場に困る。
「ペペぺ!」
「コペグ…!」
コペグは勢いよく窓へ突進し、体当たりを繰り出した。一瞬でガラスは砕け散り、照明を反射して氷のように飛んだ。
「よ、よし。」
「クズネド!」
「待ってました!」
クズネドはマフカを抱えて、前へ出た。街が見える。
一か八か、窓から飛ぶ。おそらく、さほど高層階ではない。
―『夜』の時間。歓楽街のネオン。喧騒。音楽。
それらを尻目に、隣の建物の屋上に着地した。
「よし。俺かっこいい。マフカ、目は大丈夫か?」
「…わかんない。痛い。」
「了解。」
カルネヴァとユチュナは兵たちを引き連れ、クズネドらを追うべく部屋を出た。
クズネドはマフカを抱えたまま屋上から中へと続くドアを蹴破り、階段を駆け下りる。しかし数階降りたところで警備兵の集団と鉢合わせた。
「あ、待て!」
「うるせえ。これでもくらえ!」
クズネドはスプレー缶に穴を開け、中の粉末を煙幕のように展開した。
「ぐ、げえ!」
「がほっ!」
そしてライターに火をつけ、投げ込む。粉塵爆発。ひとまず、薄暗く蒸した廊下を走る。
息が詰まる。肺に水がたまるような感触。
掃除員のような労働者とすれ違い、適当なドアを体当たりでこじ開ける。
―明るい。
「は?」
「ギャーッ!」
「うお…。」
女湯。
「あーごめんなさい!お湯掛けないで!今追われてるの!」
クズネドは情けない声で叫んだ。しかし容赦なく石鹸やらが飛んでくる。
「出てけ、けだもの!」
「すんませんってば!」
一人の女が、石鹸をタオルで包んでぐるぐるとまわしている。地味に痛そうだ。
「で、て、け!」
「ちょっと待て!俺の中身が女の子って可能性も…。」
「だとしても毛皮は脱げや!」
そうこうして、言い合いながらも出口に差し掛かった瞬間、向かいの扉が開く。
「みーつけた。」
そこには、ユチュナが目のやりどころに困っている兵士を数名連れて立っていた。
「げ。」
「…変態。」
「心外だなあ!事後だよ!俺は正攻法で女の裸を見るのに、一度たりとも苦労したことないんだぞ!」
「やっぱエッチだ。妖怪変態毛玉。」
ユチュナはその柔肌には似つかわしくない、黒く重厚な小銃を抱えている。
「ここで撃ち合うってのか?流れ弾が当たったらもったいないぞ!」
「だから撃ち合わないように、私に連行されてくれませんこと?」
「うーん。」
クズネドは振り返った。美女たちが裸で湯につかり、おびえた様子でこちらを見ている。
「しゃーなし。」
「とでも言うと思ったか!バーカ!」
クズネドは再び煙幕を張ると、兵士数名を蹴飛ばして脱衣所を走った。
「あ、待て…うわ!」
音からして、ユチュナが盛大に転んだようである。愉快愉快。
「へへへ!運動不足が出たな!アホ貴族!」
背後から銃弾が飛び交う。
「当たんねえよボケえ!はっはっは!」
脱衣所を抜け、濡れた靴で廊下を走り、薄暗く、妖しい雰囲気の遊興施設を抜け、宴席を荒らし、ロビーを走り抜ける。
そしてそのままの勢いで何とか追手を振り切り、外へと辿り着いた。
―しばらくしてカルネヴァは腰を強打し、屈んでいるユチュナを見つけた。
「何してんのよ。あんた。」
「ごめん。」
「逃げられたなあ。」
「逃げられちゃったねえ。お姉様?」
「まあ…代わりの献上品はあるから、それで許してもらいましょ…。」
―なんとか湯の国を抜けた後。とにかく歩いた。一歩でも、早く、早く前に進む。少し進むと、微かな高さの丘に洞窟があった。
「ここで追手をやり過ごすぞ。入り口をふさごう。」
「…目は、大丈夫か?」
「わかんない。見えなくなったらどうしよう…。」
「俺がお前の目になる。帝都には、義眼の技術もあるし、それを買う。太陽の光は温かいらしいからな。目が見えなくなったって、今までの旅は無駄じゃない。」
「…。」
マフカは静かに身体を寄せてきた。
「…。」
言葉はない。ただ、安らぎだけがあった。
体力を考慮し、次のコロニーを目指す。誰もいない。もう大丈夫だろう。
湯の国からしばらく進んだ小規模コロニー。また偽の身分で潜伏に成功した。設備が古く、全体的に薄汚れてはいるが、この安っぽさが安心感を与える。それに、こういう場所には隠れ家が多い。
宿を取り、その辺の医者にマフカを診せる。
「あー、これね。あなたたち、お貴族相手にやんちゃしたでしょ。若いねえ。」
「俺は治るか聞いている。」
「はいはい。あと半日もすれば薬なしで治りますよ。こすらないように。」
半日も経たないうちに、マフカの目からは痛みが引いてきたようで、しきりに瞬きしている。
「よかったあ…!」
「ま、お疲れさん。」
それから、久々の風呂。
宿はかなりぼろぼろだが、一応水脈コロニーらしく、小さな風呂がついていた。
菌膜がぬめり、壁には垢や汚れがこびり付いている。しかし、これでいい。自分ならなんとかできる。この際病気などどうでもよい。酸素も温度も生命も失った外界は、あまりにも浄かった。辺りを覆うバイオフィルムには、むしろ命の営みに対する安心感さえ覚えてしまう。天国よりも旧く、強固な命がそこには根付いていた。
「ああ…くう。」
ゆっくりと湯船に浸かる。思えば、マスクを完全に外したのは久々だった。結局、湯の国の風呂には入らずじまいだったが、別に風呂の良し悪しなどあまりわからない。ここで十分だ。
滑りのある菌膜が指に触れる。帝都の連中が見れば悲鳴を上げるだろうが、クズネドにはそれが生命の必死の産声に聞こえた。
外界では、菌の一つすら生きられない。あらゆる生が拒絶されている。この薄汚れた湯船だけが、飼いならされていない生を許容しているようにも感じられた。
一方、マフカは宿のサービスから飲み物を買って部屋に戻っていた。
「へえ、レモンジュースか。」
思えば、彼は時折この手の酒を飲んでいた。クズネドは自分のことをよく運んでくれている。酒の類はなかったので、彼の好きそうなジュースを奢るのもいいかもしれない。
「1本330ね。私も飲んじゃお!」
計算し、1大ルブリタ幣6枚と10小ルブリタ硬貨6枚を受付に差し出す。
「レモンジュース2本!」
「あいよ。」
初老の女性が無愛想に返事をした。
それから、マフカは冷えた缶を両手に持ち、廊下を軽やかに歩いた。
「ふんふん!」
だが彼女が部屋に入った瞬間。そこにいたのは見慣れた毛玉ではなかった。
「あ。」
「お…。」
鍛え抜かれた身体。所々に傷がある。腕は太く、大きくて角張った手。無造作に伸びた髪から覗く鋭い眼光。無精髭を伸ばしてはいるが、若々しい男の身体だった。
布一枚を纏って部屋を歩き回り、水を一気に飲み干した。太い首筋が嚥下とともに猛々しく揺れ動いている。
胸元に滴る雫。
「ご、ごめん…。」
「あ?」
「いや、ちゃんと人間なんだなって…。」
「んだよひっでえな。市民権はねえが…。」
「えと、ごめん。いや、なんか…妖怪?とか動物みたいだと…。」
「うわ、そういうこと言う?それ、帝国のお上が夷狄やら諸々の蛮族を呼ぶのと同じだぜ。」
「あ、あの、変な意味じゃなく!」
「冗談冗談…。」
沈黙。
「あれ、何歳?」
「えーっと…。多分18か19だな。」
「え、私とほぼ同じじゃん!」
「ああ、そうなのか。お前童顔だから気付かなかった。」
「てかお前は風呂入んないのかよ。さっさとしないと貴重な熱が逃げるぞ。」
「あ、ごめん。」
「…。」
「えっと、更衣室とかって…。」
「ねえな。」
「…。」
「…あ?」
「んだよ、別に今更なんでもねえだろ。検疫とかで…。」
「それと、これとは…違うじゃん。」
「んだよ。」
「そう…そうだよ!だってあなた、私のことエッチな目で見てた!」
「あれは冗談だってば。鳥さんジョーク…。」
「む…初対面のアレは?」
「厄介な女はアレで追い払うのが定石だ。仮に同意されてもそれはそれで美味しいしな。」
「…。」
「最低!屑!あほ!色狂い!節操無し!」
「出てって!部屋から!早く!私が!いいって!言うまで!」
「えーやだよ。あぶねえじゃん。防護服有なら病気も身元バレも敵襲も大丈夫だけどさ…。流石に、ねえ?」
「じゃあ早く着て!」
「めんどい。」
「うー…あーあーあー!もう!」
「わーったようるせえな。あっち向いてっから。さっさと風呂入れ。」
「いい?上がるまで反対向いて正座!」
風呂の中。マフカは顎まで浸かって思考を巡らせていた。今までも、彼のことをかっこいいと思うことはあった。しかし、あれは、異性としてあまりにも完成されていた。
心臓が高鳴る。
風呂を出たとき、彼はこちらを振り向くのだろうか。彼は、自分のことをどう思っているだろうか。
のぼせてきた。とりあえず、風呂から上がり、腕を荷物に伸ばしてタオルを取り、中で体を拭く。落ち着きはなかったが、かなり心地のいい時間だった。
風呂から出た瞬間、そこに石鹸を置き忘れていた。
「あ。」
盛大な転倒。
「っ!」
「う。」
しかし、顔面を床にぶつけるということはなかった。
「お前、よく転ぶな。」
クズネドの逞しい腕が、しっかりと腹を支えていた。
「あ、ありが…。」
マフカはその感触が、やけに生々しく感じた。布の感触がない。目の前に落ちている。それも、2枚。
「あ、えと、あとえとえと…!」
「あ、す、すまん。つい。」
「え、え、あ、だ、いじょぶ…。」
―見てしまったし、見られてしまった。
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