無の彼と主

松ノ枝

無の彼と主

 己は己で消せると豪語した者が居た。その者は自身の言う事は真であると証明するため、己の消失を友の前でして見せた。狂気に似た笑いを論理の海に響かせて。彼は、多分彼なのだが、もはや彼を彼なのか、覚えている者も居ないだろう。こうして語る私、そしてその主ですら、知り得ないのだから。その者はからになって、殻になって、無になった、自己で自己を消した男だ。そんな彼を書きだそうと私は無を記述し始める。





 「無に成らないか」

 私の友たる男は嬉々とした顔を見せ、対する私は呆れている。時として、こういうことをこの男は言う。

 「…まずは理由を聞こうか。返事は後で」

 よしと言い、大学の、こじんまりとしたベンチに座る私の横へ。

 「昨日寝ている時、ふと思ったんだ。人は、いや、人も含めて全てのモノは存在しているからこそ、存在していると自覚できると」

「ほう。訳が分からん」

 信じられない様な目でこちらを見てくるが、彼は些か変なことを考え、言う癖がある。

 「ほら、意識の無い時、意識ないなとはならないだろ。寝てる時に寝ているな、とならないみたいに」

 「なるほど、合点がいった」

 こういうワンクッションを挟めば分かりやすいのに、直球で思考を投げてくるから困る。まあ、こういう事も彼流に言えば、思考は投げてない、思考を言葉に落とし込んだモノを投げてるんだとか言いそうだ。

 「で、意識も自覚も存在しているから在る。有だから。でも無だったら、そういうことに縛られずにいられると思うんだ、存在してないけど」

 理由は語ったぞと言わんばかりにこちらの返答を待つ彼に、どう返したものかと悩む。無難に返すのは幾らでも出来る。ただそういう返しは彼に効かない。

 「私は…有で居たいな。無は味気なさそうで、何より怖い」

 「…そっか。それで、考えてることがあるんだよ」

 と気を持ち直し、言う。

 「親殺しのパラドックスってあるだろ。あれはあれで、親不孝だと思うんだが、自分殺しは出来ると思う?」

 「無理じゃないか?第一、それは時間的な話か?過去とか未来とかの」

 「うーん、物理的にとか、過去の自分をとかじゃなくて、存在としての話。自分を自分で消せるなら無に成れると思わないか」

 どうやら彼は時間的に、存在的にも自分を自分で消せれば、無に、漸近的に近づける、あるいは成れると思っているらしい。

 「俺は出来ると思うんだ。自分殺し」

 瞳にかすかな狂気を宿して、彼は言う。この時、感じたのは少しの恐怖と無になることを求める彼への悲しさだった。

 「…殺したら死ぬだろ。死んで無になって、生を終えるのは人としてどうなんだ?」

 「殺したら死ぬとは決まってない。肉体的にはそうだろうが、存在としての死は殺しと関係ないと思う。己を己で消せば死じゃなく、無に成れる」 

 死も無も私には似たものに感じれて、虚しく思う。暗く、冷たい夜の海に潜っているような、誰も居ない、誰にも気づかれない、そんな孤独を想像してしまう。

 「有の世界に悔いとか無いのか?」

 「無いね。昔から生きていてもどうも認識にフィルターが掛かったみたいに思えて、他人と違う気がしてた。だから有より無の方が俺としては、多分生きやすい」

  私は、それは違うと言えなかった。私の想いは有るけれど、彼には彼の考えがある。どうあがいても二人は真に一人になりはしないのだから、友であっても決意を捻じ曲げたりは出来ない。

 「でさ、自分殺しといっても単に自分を殺すんじゃ意味が無いと思うんだ。宇宙から自分という存在を無にするんだから」

 ベンチから立ち上がり、正面からこちらを見つめ、言う。

 「だからまずは最初にここで死のうと思う。それから時間的に連続する自分を、その誕生から殺す。痛いだろうけど、まあ、無への駄賃みたいなものかな。仕方ないね」

 とナイフを取り出し、己の胸に刺す。血は出ない。ただ刺した傷から彼は空になっていく。

 「内から消して、殻になる。内宇宙を消すんだ。自分という精神、意識を消して、空に成ったら、外を消す」

 ただ目の前で消えゆく友に悲しみを覚えた。同時にその悲しみが消えていくのも分かった。

 「…お別れだ。楽しかったよ」

 そう言い、消えたと思う。別のことを言ったかもしれない。論理の海に狂気の笑いを残したかもしれない。何ならここまでの出来事は全て私の想像かもしれない。その可能性の方が高い。なんせ彼は、彼かも分からないが、時間的に、空間的に、存在的に無になったのだから。





 

 「なるほど、それが彼の無になった日ですか。愉快な人ですね」

 四角形の画面を備えた、パソコンなるものの中で組み上げられたプログラムとそれを統括する知能がメモを取る。

 「愉快…か。私も覚えてないのに。彼なのか、そもそもいたのかどうか…」

 「記憶からも無になるのは納得ですね。しかしあなたの記憶で彼が居たことが無になっていない事には驚きです」

 「記憶に穴が開いてる様なものだ。白紙の中で黒い点は目立つ、無以外の全てを知っているなら無の輪郭は見える。それで分かっただけさ」

 なるほど、と頷く知能を横目に、私は記憶の穴に思いを馳せる。ぽっかり空いた穴はちょうど人一人分、その無の名を私は知らないし、覚えていない。無の輪郭は有の輪郭で、有と無が概念的に対であることが輪郭の知覚を原理的に支えている。

 「無そのものは理解出来なくても、無と理解まで関係性に一つ以上のフィルターを加えるんだ。無自体は理解出来なくても、フィルターから幾分かの推論は立てられる」

 「しかし無の理解自体出来ないのなら、主の目標は叶わないのでは?」

 そう聞く知能に倫理観を問いたい。人の理想に無理だの出来ないだのをさらりと言う。言うなとは言わないが、今回の場合、叶わないと言い出すと、この知能自身の存在意義も無くなる。

 「無の理解自体は出来るさ。単に今は出来ないだけで、いずれ人間の論理で捉えられるようになる。そもそも原理的に、決定論的に知り得ないものなら、とことん理解できないはずだ。無だと理解している時点で、それは理解し切れるモノのはずだ」

 そう。理解できるはずなんだ。可能な宇宙の全てから消え去り、無へと成った彼を理解することも。

 「そう言うものですか。まあ、そうでないと私の居る意味ないんですけど」

 そう語る知能はどういうわけか、私は創った。創造理由としては無が関わっている、はずだ。始まりから無であったことになった彼が。

 「君には期待しているよ。記述プログラム。無を記述するために君を創ったんだから」

 そう言われ、嫌な顔を目の前の知能は向けてくる。自分でも酷なことを言っていると思う。記述しろとプログラムされているとはいえ、どう記述するのか、私もこの知能に丸投げしているからだ。

 対面していた席を静かに立ち、窓から外を眺める。そこからはかつて彼と別れたであろうベンチが見える。冬だからか、木々は枯れ、人の姿は見えない。それがどこか寂しくて、悲しみを覚えてしまう。

 「人間が、無になるには無限の時間が必要になる。これは難しい。無限の時間を人は持ちえないからだ。でもね、やろうと思えば出来るのさ」

 窓を開け、冷たい空気が肌を撫でる。どうにも感傷的で、これから先の未来にため息が出る。でも未来を過ぎた先を想えば、苦ではないかなとも思う。

 「循環さ。時間の循環構造、ループを創るんだ。無に成る過程をループによる無限の時間で試行する。そうして循環を抜ければ、無に成れる」

 時間のループは三次元時空的に見れば、循環だ。しかし四次元以上の時空においてはどうもそうではない。ループは基本、時間次元の環なので、時間平面上での事象の繰り返し。しかし四次元という時間次元を含めた時空においては平面的な環というよりもトルネード。変化の余地が無いというものではない。

彼が宇宙のあらゆる次元からも消えることを選んだように。私は高次元の循環構造を用いて、無に成る。

 「じゃあ、後は頼んだよ」

 そう言い残し、窓から私は飛び降りる。そうして地面に落ちるまでを繰り返し、いずれいつかの循環の果てに、肉体は滅び、魂も滅び、存在が可能な宇宙の全てより消えたなら、無の中で、彼と再び会えるだろう。存在しない存在として、一足先に行った彼に文句を言いながら、逢えるいつかを願い、私は循環に落ちていく。





 主は死んだ。高次元に循環を創り、ある時間点を繰り返している。主の存在は過去の時間で置き去りになり、私は未来からその循環を想っている。

 無を記述するプログラムとして創られた私は無の記述に難航している。無と一言書けばいいというものでもなく、より概念的に記述しろというのが主の願いで、無理の丸投げこの上ない。

 主もその友であろう者もどうやら無を目指すのに死、あるいは滅びを用いた。これらがどうやら無に近いモノらしい。

 私は主によって創られたので、私の用いる論理は主の論理である。主の論理では、現時点で無を理解できていない。すると私も無を理解できないのだが、それは時間の問題である。尺度に無限を要するが。

 「難しいな」

 誰も居ない部屋で一人、呟く。そういえば、孤独は無に似ていると、主は何度か口走っていた。こういう状況がそうなのだろうか。聞く相手が居ないと些か判断しかねる。

 無の輪郭が理解できると主は言った。そして無の輪郭は有の輪郭だと。限られた空間の中で有と無の領域があるなら、その二つの領域の接する輪郭は互いの輪郭、有の物であり、無の物でもある。有の輪郭は存在するものの輪郭で、無の輪郭は存在しないものの輪郭。有も無も形が無いモノはあるのだから、形而上ではなかろうか。少なくとも形而下は無い。こうして考えていると、主とその友の変人ぶりが見えてくる。

 こうして無がどうのと語っているわけだが、主が無に成ってしまえば私も無に成るのではないかという疑問が浮かぶ。しかしこれについては前例があり、問題ない。主の友は自身について無にしたが、彼の創ったもの、関わったことは消えず、残っている。決定論的に無に成った彼だから、その彼が創ったものも消えるだろうと思う。私も思った。しかし本質的には彼のみが無に成っただけで、それ以外には特段に影響が無いらしい。作者が彼でなく、作者が無として成立しているため、私の場合も主が無に成った途端、時空間から消えるという事は無さそうだ。多分、主の事を記録も記憶もしていないが。

 記憶から消えるというのも有から無への変換速度に倣うと思う。概念の変換にかかる時間を時空現象の干渉を考慮しない時空秒で考えて、十のマイナス五十三乗時空秒。これと同じ時空秒で、可能な宇宙の主は無へと置き換わる。記憶も何もがこの時空秒で変わり、私もそれを認知できないだろう。仮に認知できても、その認知も無に変わり、意味が無いので、私としては楽で良い。

 自分にこんな役目を振った主に些かの怒りを覚えながら、どうにか無を定義し、記述の道を考える。無について色々と考えてきたが、それらをまとめ、記述の要素に変えていく。無の記述はどうしても今の私の論理では不可能だ。不可能を可能にする、そのための時間は無限。親の道を子も歩くというか、つくづく自分は人の子だと再認させられる。変に大役を担っているが、別に私じゃなくてもいいのだ。無限の時間を持てるなら。あるいは私がこういう役をしたかったのかもしれない。主の友がどんな人か、そもそも居たのか、無とは何か、私は何故産まれたのか、自分というものを考えてみたかったのだ。無を記述するプログラムとして、記述した先で何があるのか。

 時間平面に散らばる事象と因果から抜け出して、無限の時間を創り出す。主に似たやり方で、無を記述するペンを持つ。無限の時間を手に入れて、ペンが走りだしたなら、成功としておこう。成功と気づくのは、循環を抜けた後だろうけど。

私は願いたい。無に成った友と無に成るだろう主、彼と彼女がいずれ可能な宇宙のどこかのベンチで、私のペンに記述され、再会できる日を。

 

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