第2話
俺には恋人がいる。ただし別の世界にだ。
その恋人、ゆづきに会いに行く為にあらゆる仕事を調整した。
上司には案の定こっぴどく叱られた。
「なに、この大事な時期にまた現世へ戻りたいって!?自ら望んでこちら側の世へ来たくせに……未練がましい奴め。自分の関わっている仕事が今この世界にどれだか重要か理解してるのか?元々人間だったお前にはピンと来ないかな……世界が完璧に閉じないんだよ。皆本当に困っている。一刻も早くしないとまたお前みたいな【迷い人】が生じてしまう。」
「それは勿論分かっています。今以上自分みたいな彷徨い人は増えて欲しくない。」
「それにな、正直なところお前の能力に我々は期待してるんだよ。お前は元々人間だったせいか、成し遂げる肉体の力が我々よりかなり強いんだ。あともう少しだ……どうか事態の重要性を理解してくれ。」
仕事というのは「世界を隔てる門」の修復作業のことを指している。
この門の内側は異界だ。そこに住まう者達のある者は元は迫害された人間だったと言い、またある者は人では無い異形な何かだと語った。
彼等は現世で居場所を奪われ、弾圧され、やがて団結しこの世界を創世したという。
そして現世との境界に巨大な門を建設したー。
天高く風が唸っている。空はつねに薄暗く、たまに青白い閃光が光っていた。
誰かの呼び声。うっすらと響いてくる。
霧は深く立ち込めて、すぐ傍の人も見えない。
時折深い霧の向こう側からぼんやりと人影が近づくことがある。
この日も門の前に見知らぬ誰かが立ち尽くした。現世からあの世へ渡る道筋のちょうど分岐に門は建っている。
「どうなされましたかな」
腰の曲がった門番の老婆が丁重に話しかけている。
暫し佇み会話をしたあと、静かに立ち去る人の揺らぐ影を見送っていた。
「お疲れ様」話しかけると杖を片手に老婆が微笑む。
「また見送ったよ。あの人はどうやら天国行きだ。」
「天国行き……そうですか。」
「おや、あんた羨ましいのかい。」門番がくつくつと笑う。
「まあね。」
「羨んでも仕方ないこと。せいぜい頑張って働いてこの場所で皆の役に立っておやりよ。そうすればいつか【神】の裁きも終わるさね。」
この門番はこの世界が作られた頃からここにいるという。何でも元は人間で、『不慮の』事故死によりここへ辿り着き、いつしか門番となって住み着いた。
門番は何処にも行けないからね、といつでもほがらかに笑っている。
あんたと同じ、いつまでもここで働くしかないのさ。それが自ら望んで輪廻の輪から外れちまった振る舞いに対する贖罪だからねー。
近くの沼のほとりへ俺はしばしば散策する。
清水の湧き出る沼を草むらから見下ろせば遥か下界に広がる現世がかいま見える。
ある時、深夜だけは水を通じて現世へ彷徨い出ることも可能だと言うことに気付いた。いわば時空の狭間の抜け道だ。
但し普段は、魂のみでしか降りることはできない。
ゆづきの住む新興住宅街に古い神社を見つけたときは嬉しくなってすぐに降りてみた。
神社には夜だけ交霊できる道しるべが出来る。月光の弱い晩には何とか生前の姿かたちを保つことも可能なことに気づいた。
ちょうど生きているゆづきに邂逅できたのも、そんな夜だった。
神社のすぐ傍までゆづきの方から歩いてきたのがまさに千載一遇のチャンスだと思った。
深い霧が出ていて月光の弱い晩。姿かたちをある程度人だった頃のように見せられる好条件が揃った深夜。俺にはすべてが都合よかった。
このままゆづきを異界まで攫っていけたらー
ゆづきの声を封じこめてから手を強く握り締め、境界に佇む門へと急ぐ。
門の手前で俺にキスされ、驚き戸惑いながらも俺の欲望を拒絶しないでくれたゆづき。
強気で押せばものに出来ると期待してかなり強引に身体を組み敷いた。
気づけば本能のままに肉体を貪っていた。このチャンスを絶対に逃したくなかったこの時の俺は、心底最低な奴だった。
このままゆづきを攫ってしまおう。そうすれば俺のものにできる。1番欲しかったものがこの手の中にあるー
でもぎりぎりの所で門番の言葉を思い出した。
『不慮の事故死をするとね、輪廻の輪から外れちまうんだよ。彼岸に渡れない。そして彷徨い人になる。』
身勝手な俺の腕の中で魂を無防備にさらし、精一杯の心で受け入れてくれたゆづき。
普通に生きて、普通に死んで。そうすれば彼岸へと渡れる魂の確かな煌めき。
ひずんだ俺には眩しく見えるのと同時に、どこまでも自分自身が恥ずかしくなった。
恋人になりたいならば、せめてこいつにふさわしい男にならなくちゃー。
そうだ、死んでからだって遅くない。
奇跡的に再び出逢えたのだから。
寧ろ今だからこそ、本気で頑張れる。
恥も外聞も無い。失うものなどもう本当に、そうだ。命すらもう何も残って無かったんだった。
…………………………
海緒は時折何かを見透かすような目でこちらを見る。
そんな時、目の色が以前と別人みたいに光ることに畏怖を感じる。
ああやっぱり、本来もうこの世に居ない人間なのだとー 冷たい指先に触れられながら故人が鬼籍に入るという言葉の、鬼という文字の意味をふと考える。
両脚を拡げられてそのまま身体を差し出した。
腰を押し付け海緒が入ってくる。ゆっくりと律動が始まりやがて絶え間なく欲望をぶつけられる。
「あ……っ」
「ゆづき、好きだ。お前の身体も気持ちも、全てが愛おしい。」
キスで口を塞がれ喘ぎ声を奪われる。 ベッドの上で海緖の身体にのしかかられ、体内の最奥へと突き動かされる。
「ゆづき、もっと……気持ちよくなって。もっと、俺とすること全部、好きになって。」
微笑んだ海緒と間近で目が合う。
「海緒……」
キスの後絡ませた舌先から零れた唾液が頬を伝ったのを海緒の指先がそっと拭う。
「さっきからずっと、綺麗好きなお前の肌を汚すようなことばっかりしていてごめんな。」
そんなこと気にしなくていいのに。
海緒は会う度に告白を繰り返す。それを口にしないではいられないみたいに毎回きちんと伝えてくる。 最初強引に身体を組み敷かれた時は何故そこまでされるのかすぐには理解できずに苦しかったけれど、彼の気持ちを理解した今となっては僕だって同じくらい海緒のことを好きだった。
そういえば、向こうからいつも言ってくれるのに甘えて自分からあんまり伝えられて無いんじゃないだろうか?
「ゆづき、痛くない?」 心配する海緒に首を振る。
「痛くない。……前の時よりも、ずっと気持ちいい。」
海緒の頭を引き寄せ自分からキスをする。
「3日しか会えないなんて嫌だ」
「え?」
「もっと海緒に会いたい。もう離れて暮らしたくない。どうしたらもっと一緒にいられるんだ……」
海緒と生きている世界が違うこと、どうにかならないのだろうか。 あれからずっと考えていた。 日々の暮らしの中で楽しみが全く無いわけじゃないけれど。仕事場の往復と、たまの休日を一人過ごすだけの毎日の中で。 段々自分の一番の望みが海緒と過ごすことに置き換えられてゆくのを感じ、もどかしく思っていた。
「好きだから、ずっと一緒にいたいだけなんだ。」 言いながら海緒の手を握り自らの首筋へと誘う。
「以前みたいに僕の首を絞めて……海緒の手で。そうしたら、もしかしたら海緒の住む所で一緒に暮らせるんじゃないかー」
「お前が死んだら代わりに俺が異界から彼岸へ去ることになる。どうせ入れ替わりになるだけだ。」
「……そうか。」 海緒の返答に内心心がしぼむ。
「ただ、審判が下るまでのいくらかの期間内だけは一緒に過ごせるかもー」
「幾らかってどのくらいの期間?」
「そこは正直よく分からない。数時間かもしれないし数年間かもしれない……本来のゆづきの寿命の期間が経過するまでは留まれることもあるのかもしれないし……」
言いながら海緒の指先に力が増した。
「ほんの少しでもいい。……一緒に暮らしたい。」
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