第24話 第七の難題・決着(後編)〜無欲の崩壊と、鋼鉄の包容力〜


 最強のバケモノの凄絶な葛藤と陥落が、今まさに、最悪の輪郭を伴って大ホールに顕現しようとしておりましたの。


 「あ、ぁあっ……! 神よ、天よ……! おいどんの罪を、数百万の民を飢えさせようとした傲慢を、お許しくださいませぇッ!」

 西郷隆盛は、大理石の床に四つん這いになりながら、喉が裂けんばかりの悲鳴を上げましたわ。

 『自分一人で世界を救えるという特権意識』をトリガーとして、わたくしの劇薬は西郷の巨体を内側からドロドロに溶かし、急激に作り替えていきますの。

 見上げるほど巨大だった男の骨格が、ミリミリと不気味な軋みを上げて急激に収縮していきますわ。しかし、それは単なる弱体化ではありませんでしたの。丸太のように太かった腕や脚の筋肉が極限まで圧縮され、研ぎ澄まされた鋼のような超高密度の繊維へと変質していくのですわ。

 「あぁっ、一蔵……! おいどんは、どうなってしまうんじゃ……ッ! 身体の奥底が、甘く疼いて……ひぐっ!」

 粗末な木綿の着物がボロボロに弾け飛び、その下から現れたのは、無駄な肉が一切削ぎ落とされた、恐ろしいほどにスタイリッシュで高身長な絶世の美女でしたわ。

 漆黒の修道服(シスター服)が、彼女の洗練されたプロポーションをタイトに包み込んでおりますの。修道服の深いスリットからは、しなやかで美しい太ももが覗き、彼女の細い首には十字架の代わりに『純金の算盤の珠』が、隷属の証として重々しく光っておりましたわ。


 「……ああ、なんと美しい」

 大久保利通が、完全に雌へと変異した西郷を見下ろし、恍惚とした吐息を漏らしましたの。

 「これでやっと、貴女も私と同じ泥に塗れることができますね、吉之助。……ええ、資本という名の泥にまみれた貴女の姿は、あの頃の綺麗なままの貴女よりも、ずっと、ずっと愛おしい」

 大久保は、自らの手で親友を泥に引きずり下ろしたという歪な達成感と、狂気じみた百合的執着に頬を紅潮させておりましたわ。


 「あああっ……! 民を飢えさせようとしたおいどんの大罪は、社長の会社で死ぬまでタダ働きしなければ消えなかッ……! もっと、もっと重い十字架(ノルマ)を背負わせてたもんせぇっ!」

 完全に雌豚へと堕ちた西郷は、わたくしの足元にすがりつき、涙と涎で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫びましたの。

 それは、大久保に突きつけられた罪悪感を雪ぐため、資本主義の歯車として限界まで奉仕し続ける強迫観念――『贖罪のブラックシスター』としての悦びに支配された姿でしたわ。


 「ええ、よろしいですわ。貴女には死ぬまで、わたくしの極上の労働力として――」

 わたくしが究極のドSスマイルで命を下そうとした、その時ですの。


 「よしよし……! 社長は、今日も資本主義を回して偉いでごわす! おいどんのこの腕で、懺悔して甘えんさい……ッ!」

 西郷は突如として立ち上がると、そのスタイリッシュでしなやかな両腕で、わたくしの身体を正面から抱え込みましたわ。


 「……えっ? きゃあっ!?」

 次の瞬間、わたくしは全身の骨が粉砕されるかというほどの、凄まじい激痛に見舞われましたの。


 「ちょ、ちょっと! 苦しいですわ! 腕が、肋骨が折れますわよ!」


 「よかよか……! 日本中の民は、みんなおいどんの子供じゃっど! たっぷり甘えんさい……チュッ、チュゥゥッ!」

 彼女の腕はモデルのように細く美しいというのに、その『握力』と、全身を締め付ける『物理的な包容力』は、まるで巨大な鋼鉄の万力(バイス)そのものでしたわ。

 無欲だった男が、その圧倒的な無償の愛を『すべてを甘やかし、庇護下に置く巨大な独占欲』へと歪曲させた結果。彼女は、わたくしのために限界まで働きつつ、わたくしすらも強制的に抱きすくめて甘やかそうとする、理不尽なまでの腕力を持った『狂気のシスター』と化していたのですの。


 「んんーッ! 離しなさいッ! 誰か、この女の鋼鉄のハグを解きなさいッ!」

 わたくしが西郷の圧倒的な膂力と狂気のバブみにタジタジになりながら抗っていると、カツ、カツ、と冷ややかな足音が近づいてまいりましたの。


 「……少し、強く抱きしめすぎですわよ、吉之助」


 大久保利通が、手にした銀のステッキの先端を、西郷の豊満な胸の谷間に冷酷に押し当てましたわ。


 「私の吉之助が、社長の華奢なお身体を壊してしまったら困りますからね。……それに、社長の隣は私の席です。泥に塗れたばかりの新入りは、少し離れていなさい」

 大久保は、かつての親友への歪んだ愛憎と、わたくしの右腕としてのドス黒い独占欲(マウント)を剥き出しにして、西郷の鋼鉄の腕をステッキで無理やり引き剥がそうとしておりましたの。


 「むっ……! 一蔵、邪魔すんな! おいどんは社長を甘やかすのに忙しいんじゃっど!」


 「離しなさい、この駄犬が」

 冷徹な独裁者と狂気の巨大聖母が、わたくしを挟んで醜い物理的な引っ張り合いを始めた、その時ですわ。


 本社ビル全体を揺るがすような、凄まじい悲鳴の連鎖が響き渡りましたの。


 大義の源泉であった西郷がメス堕ちした瞬間。本社ビル全体を包み込み、わたくしたちの毒を中和していた見えない『大義の波動(アンチウイルス)』が、完全に霧散したのですわ。


 『あ、あぁぁぁぁっ!』

 エントランスで、弥太郎と五代の資本の壁に阻まれていた狂犬――桐野利秋。

 大理石の床で、福沢諭吉に物理的に組み伏せられ、マウントを取られていた法の悪魔――江藤新平。

 ホールの手前で、伊藤博文の泥臭い大衆扇動に圧倒されていた悲しきインテリ――村田新八。

 彼らの肉体に、ギリギリで押し留められていた劇薬が、一気に牙を剥きましたの。


 「西郷、先生の、気配が……あ、あぁっ! 力が、抜けて……」

 「ば、馬鹿な……法が、正義の軸が、折れたというのか……ッ!」

 「ああ、我々の悲劇すらも、資本の喜劇に呑まれるというのか……!」


 アンチウイルスという名の絶対的なストッパーを失った彼らの身体は、次々と不気味な軋みを上げ、瞬く間に豊満な雌の肉体へと変異していきましたわ。


 「ウフフッ! 大義が消えれば、ただの小娘ぜよ! さあ、ワシらと一緒に泥水を啜るきに!」

 「インテリぶったツラが、雌の悦びで歪むのは最高に気持ちいいですわぁっ!」

 「さあ、現実の厳しさと雌の悦びを、たっぷり教えてやるんや!」

 弥太郎、福沢、伊藤ら、わたくしの愛しき配下の雌たちが、抗う力を失った元幹部たちを完全に組み敷き、極上の快感と資本主義の泥沼へと引きずり込んでいく、絶望的かつ官能的な光景が繰り広げられておりましたの。


 桐野の暴力も、江藤の法も、村田の統率も。

 そして何より、西郷隆盛という無欲の巨城も。

 すべてが、わたくしの算盤と欲望の前に、完全に陥落したのですわ。


 「……終わりましたわね、利通ちゃん」

 わたくしは、西郷の鋼鉄の包容力からなんとか抜け出し、乱れた黒髪を整えながら、静かに息を吐きましたの。


 「ええ、社長。……見事な、パーフェクト・ゲームでした」

 大久保が、眼鏡の位置を直し、冷徹な右腕としての顔に戻って深く一礼いたしましたわ。

 わたくしたちの足元には、かつてこの国を動かした英雄たちが、全員艶やかな雌の姿となって、極上の悦びに浸りながら傅(かしず)いておりますの。

 もはや、この国にわたくしの資本に抗える者は、一人として存在いたしませんわ。


 「さあ、総仕上げ(株主総会)とまいりましょうか」

 わたくしは純金の算盤をカチャリと弾き、不敵な笑みを浮かべましたの。

 「株式会社・日本。……この国の心臓を誰が握っているのか、天下に知らしめる時ですわ」


 巨大な本社ビルの最上階へと向かうわたくしたちの背中を、月光が妖しく、そして美しく照らし出しておりましたわ。

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