第2話 二日目
朝。目が覚めると普段の天井ではなく、寝具も寝心地が良いものだった。隣にはカズキがまだ眠っている。
自然人だった和樹はこんな寝顔だっただろうか。あまり寝顔の記憶が無いのは、いつも和樹のほうが先に起きていたからだ。少し見慣れない気がするのはそのせいかもしれない。目の前のカズキの寝顔は、好ましいものであるような気はする。
演算人には不要としても良いはずの睡眠が設定されているのは、精神構造が再現されているということよりも、演算のリソースを省略するためだろう。
リエが眺めているうちに、カズキは目を覚ました。
「おはよう、リエ」
「おはよう、カズキ。一緒に眠るのいつぶりだっけ」
「そういえば、演算人になってひと月目くらいだったかな、やめたの」
演算人には、精神構造はコピーされても、バイオリズムや内分泌系の働きまではコピーされなかった。
機能も記憶も残っているのに、三大欲求のうち抗えないものとして残っているのは睡眠だけだった。理恵と和樹だった頃は、こうなるなんて思わなかったのに。演算人になったあと、記憶をなぞって触れ合いを再現しても、虚しさがあった。
「なんかさ、人間って、脳だけで人間やってるわけじゃなかったね」
「そう、だね」
「あと六日かあ」
「今日は、どうしようか」
カズキは、あくまでもリエに合わせるつもりのようだった。
「なら、いくつか、質問してもいい?」
「いいよ」
「私のこと、どこが好きだった?」
「自然人の理恵?」
「私だってリエだよ」
「そうだな、よく泣くところが良かった」
理恵は実によく泣いた。映画を観ては泣き、いい話を聞いては泣き、プレゼントを受け取っては泣き、和樹が受けた理不尽に憤って泣いた。泣くだけでは終わらないのが良いところだとは、和樹も言っていた。いつも理恵が泣くぶん、和樹が冷静になったものだった。
「泣けなくなってから言わないでよ」
「でも、本当に好きだったんだよ」
「泣くところ以外だと?」
「うーん、そっちはどうなの?」
「私?」
「僕のどこが良かった?」
「食べ方が綺麗なところかな」
和樹が食べたあとの魚の骨は標本のようだった。コツを見て盗もうとして、結局一度もあそこまで綺麗に食べられないまま、こんなことになった。
「食べられなくなってから言うんだもんな」
「お互いさまだね」
「やめようか、この話」
「そうだね」
結局のところ、自分たちと同じ顔をした、もうどこにもいない人たちの話だ。愛していた記憶も、愛された記憶もあるのに、思い出としてしか話すことができない。
自分は、同じ顔で同じ記憶もあり同じ精神構造を持つカズキのなかに、和樹の面影以外を見つけようとしただろうか。
「カズキ、そういえば、泳げる?」
「和樹だったころはカナヅチだったよ」
「そうなの?」
「小さい頃に海で溺れてね。それきり」
「あ、海のステージ、嫌だった?」
「嫌じゃない。もともと見るのは好きだったし」
「今なら溺れないだろうし、ちょっと入ってみようか」
「わかった」
「水着、着てみせようか?」
「着てどうするの?」
カズキは、本当にわからない、という顔をした。
「可愛い水着、見たくない?」
「水着着なくても可愛いから別に良いんじゃない?」
「実績解除はあんまり興味ないタイプ?」
「中身にしか興味ないタイプ」
「もしかして、ぜんぶ、脱いだほうがいい?」
「水着の中身の話じゃなくて、ココの中身の話」
カズキは、両手でリエの頭に触れて、地肌に指を這わせる。演算人になったあとに触れられたどこよりも、『触れられた』ような気がした。
「あ、いま、凄いよかった」
「そりゃ何より。じゃあ、海、入ろうか」
カズキの指が離れてしまうことが、とてもさみしい。もっと撫でて、と、言えなかった。
結局、ふたりとも服を着たまま海に入った。魚も貝もクラゲすらいない、どこまでも透明な海。顔をつけて目を開けると、波にあわせて揺らぐ光は本物としか思えなかった。
自然人だったころ、透明な海には生き物がいないと聞いたことがあった。正確には、リエもカズキも生き物ですらない。
物理演算は動いているので、沈みもするし、もちろん泳げるようになっていたりもしなかったが、想像通り、窒息もせず溺れもしなかった。服が張り付いて動きにくい。
「溺れないからといって、泳げるってわけでもなかったね」
「リエ、服、透けてる」
「これは演算されるんだね。ねえ、どう?」
腕を広げてみせる。
「どう、って?」
「うーん、和樹は、こういうの結構好きそうだったと思うんだけど」
「まあ、ただでさえ好きな相手の、ヘキに刺さる格好だからね」
「あら、初耳」
「当時、言えば良かったんだろうな」
カズキは、水底に足をつけ、胸まで浸かったまま、眩しそうにリエを眺める。風が髪を少しずつ乾かしていく。
「今は、どう?」
「綺麗だな、って思うだけだよ。変に興奮しなくなって、今のほうが、綺麗なひとだってよくわかる。和樹が理恵のことをそう思っていたより、ずっと」
「それって、喜んでいいの?」
「僕は、喜んでほしいな」
キスして、と言えば、そのまましてくれた。和樹がいつもしていた触れ方とは、少し違う気がした。
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