第28話 【仕様確認】
聖女に「生存可能領域は半径数キロメートル」と言われた翌日、俺は検証に出た。
仕様は、数字で確定させないと運用できない。
曖昧なまま走り出して、現場で死ぬのが一番コストが高い。リスクヘッジは、平時のうちに済ませておくのが鉄則だ。
俺はダンジョンを出て、東の岩場を抜け、乾いた草原を歩いた。
背後には、俺の唯一の城がある。
一キロ。問題なし。回線は良好だ。
二キロ。勇者が掘った落とし穴があるエリア。問題なし。
三キロ。体が軽い。散歩には丁度いい。
四キロ。……少し、違和感が出た。
手足の先が、痺れるような、あるいは感覚が遠くなるような。ワイヤレスイヤホンの接続が不安定になった時の、あのザラついたノイズのような不快感だ。
四・五キロ。
明確に、体が重い。
鎧の重さではない。魂を肉体(骨)に定着させている磁力が、急速に弱まっている感覚だ。
バッテリー残量が残り10%を切ったスマホのように、視界の端が警告色で明滅し始める。低電力モードへの強制移行。
そして、五キロ。
俺は、草原の中に咲く一本の青い花の前で、足を止めた。
これ以上、先へ進めない。
あと一歩を踏み出そうとすると、見えないゴム紐で心臓(コア)を後ろへ引っ張られる。物理的な壁はないのに、概念的なリードが首輪を締め上げる。
「……ここまでか」
俺はその場に膝をついた。
目の前の花は、風に揺れている。その向こうには、どこまでも続く地平線がある。
だが、あの地平線に俺がたどり着くことは、永遠にない。
これが「鎖」か。
半径五キロ。ダンジョンコアの受信範囲。俺の自由は、正確に五キロで切り取られている。在宅勤務(リモートワーク)のWi-Fiエリアだ。
俺は手を伸ばし、境界線のすぐ外側に咲いている花に触れようとした。
指先が空を切る。届かない。
あと数センチ。その距離が、俺と世界との断絶だった。
俺は、乾いた笑いを漏らした。
いいじゃないか。
広すぎる世界は、どうせ疲れるだけだ。
俺の領分は、この半径五キロで十分だ。ここには手のかかるトマト畑も、安眠できる寝室も、俺を待っている聖女もいる。
俺は立ち上がり、背中の鎖に引かれるように、黙ってダンジョンへ引き返した。
足取りは重い。だが、帰る場所があるという事実は、悪くなかった。
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