第13話 潮風と異国の香り

 馬車を降りた瞬間――ふわりと潮の香りが私を取り巻いた。

 吹き抜ける風が、とても心地よく、書物でしか見たことのなかったきらきらと光を反射して輝く海が、そこにあった。


 「海は、初めてか?」

 

 アウレリオ様の言葉に私はこくりと頷く。それを見て彼が優しげに目を細め、話す。

 

 「この港は――、異国の船も入ってくる。海の国境だ」


 青く光る海の上に大小さまざまな船が浮かんでいる。

 坂を降りて港へ向かうと、異国の言葉や、見たことのない装飾の船、異国の人々が目に入ってきた。


 「海は……書物でしか見たことがありません。とても、広いのですね!」

 「ああ。どこへでも繋がっている」


 ザザ……と波が打ち付ける音とともに船がゆらりと揺れる。

 空には白いカモメが「クゥー、クゥー」「キュッキュッ!」と鳴きながら飛び回っており、空はどこまでも広く、まるで海と溶け合うかのように青かった。


 港では漁師や商人らしき人々が忙しなく動き回っている。

 漁師が運ぶ箱の中には今まで見たことのない魚がぴちぴちと元気よく跳ねていた。

 私は、また目を見開き、周囲を見渡す。


 「またアリーチェ様、きょろきょろしてる。……可愛い」


 エルミラがにやりと笑う。


 「……や、違うってば! 珍しくて、つい」


 私は顔に熱を持ち、俯くのを見て、エルミラとアウレリオ様がくすりと笑う。


 「領主様ー!」


 大きめの漁船から、恰幅のいい男性が駆け寄ってくる。


 「フィデル、久しぶりだな」

 「漁から帰ってきて、領主様が奥方様を迎えられたって、皆驚いてますよ!」


 フィデルと呼ばれたその男性は、私の方を見て会釈をした。


 「妻の……アリーチェだ」

 「綺麗な奥方様を迎えられて、ファルネーゼ領も安泰ですね! おかげさまで今回の漁も、大漁です!」


 「ほら!」とフィデルが箱の中を見せてくる。きらきらした大量の魚がところ狭しと跳ねている。

 それを見て、アウレリオ様も微笑む。


 「今年の祭りも、盛り上がりそうだな」

 「祭り……?」

 「秋になると、ファルネーゼ領では収穫祭をやる。朝から晩まで――賑やかになる。海と大地の恵みに感謝を捧げる祭りだ」


 それを聞いて、私の心に何かが躍る。

 アウレリオ様は、私とエルミラに「ここで待っていてくれ」と言い、港の中心部へ向かい、船から降りてきた人々と話している。それはどこか「領主」の真剣な瞳をしていた。そして、時々笑う。私はそれを見て、安堵のようなあたたかいものがこみ上げてきた。


 戻ってきた彼と、今度は一緒に港の中心部に足を進める。人の声で一層賑やかになったそこには沢山の箱に詰められた魚や、異国の食料が集められている。

 聞いたことのない異国の言葉も飛び交い、ふわりと異国の香りも潮風に混ざる。


 ウィンドミルには、こんな景色もあったんだ。

 ファルネーゼ侯爵領での日々は、書物でしか知らなかった景色や風を運んできて、私の世界を彩っていく。

 港の魚市場や石造りの波止場を見渡していると、アウレリオ様がぽつりと声を落とす。


 「アリーチェには、まだ見せたい場所がたくさんある。農場も、ファルネーゼ領の文化も」

 「楽しみにしていますね」


 私は、彼と同じ方向を見ながら、答える。

 彼の手が、自然と私の手に重なり、私は彼をちらりと見て、頷いて頬をゆるめた。

 この方と出会ってから、真っ白だった私の世界に、少しずつ色が増えていく。それが何より嬉しい。


 海を見ると、船が汽笛を鳴らし、行き交い、波の音が静かに響く。

 町や市場とはまた違った種類のざわめきと、人の賑わいが、妙に新鮮だった。


 「アリーチェ様が楽しそうで、私、嬉しいです」


 エルミラが微笑みながら呟く。

 私が首を傾げると、エルミラが続ける。


 「王都で初めてお会いした時の表情と、全然違います。心から楽しそうで――私、嬉しくて」


 少し目を潤ませて微笑むエルミラのその言葉に、胸が熱くなる。


 「アウレリオ様と、エルミラ――皆のおかげ」


 私は顔を上げて、呟く。

 この町に来て、私は少しずつ顔を上げられるようになった。

『忌むべき色』の私の瞳も、この町では当然のように馴染んでいる。瞳を隠さなくても、この町では誰も咎めない。

 

 港から少し離れた場所に立つと、海や港が一層よく見えた。

 風に、私の水色の髪がなびいている。

 それを、隣でアウレリオ様が優しい瞳で見ている視線に気づき、私もふっと笑う。

 ふわりと近くに肩を抱き寄せられ、胸の鼓動が少し早くなる。

 そのまま、彼に寄り添って、どこまでも広い空と、海を見つめていた。


 その日の夕食は、香辛料で味付けされた魚料理。

 料理長のアルヴィンが「異国の香辛料と魚を使った」と得意そうな顔をしていて、少し微笑ましい。


 「奥方様、これ、俺の自信作です! 食べてくださいね!」


 調子よくアルヴィンが話していると、ぎろりとアウレリオ様が鋭い視線を送る。

 それが、食事の時のお約束のような光景になっていることに気がついた時、私の心はふっと緩み始める。


 その光景を見ていると、とても温かくて毎日少しずつ心が緩んでいく。

 

 「――まったく。アルヴィンの軽さにも困ったものだ」

 

 アウレリオ様が眉間に少しシワを寄せて声を落とす。


 「やきもちですか? ご主人様?」


 からかうようにエルミラがにやりと笑う。


 「いや……その……」


 アウレリオ様が言い淀み、しぼんだようになっていく。

 それを「可愛い」と私は思ってしまった。

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