21話 聖女の提言

 セナの瞳は、暗闇の中の月の明かりを映し込んでいる。ちらちらと光が揺れるのは雲が横切ったせいなのか。ハナの心が迷う様に、うつろに揺れる。

 はああ… ハナは、胸が苦しくなって息を吐く。わずかに、セナの瞳が動いた。

「ひとつ、聞いてもよいでしょうか?」

 ハナは迷いつつ、言葉を紡いだ。

 ああ…

 その答えだけでも、息がかかるほどに顔が近い。しかし、今は背けるべきではないだろう。ハナは覚悟を決めて、セナの目を見つめ返す。

「ガルドは、何と答えたのですか?」

「何?」

 セナは不意を打たれたように、掴んでいた手が震える。

「二人で森を目指した時に。さくらのそばにいなくていいのか…と、あなたが訊いたとき」

 ハナは、静かに言葉をなぞる。セナの指先がまた、小さく震えた。

 …

 セナの瞳の中で、漆黒の闇が、震えている。吐き出される息とともに、セナは瞬きをした。

「…そばにいることが重要じゃない、と言ったんだ」

 セナの声は苦しそうだった。

「その人が幸せであればいい。そばにいて、幸せになるのであればいる。離れていて、幸せでいるなら、離れている」

 あ… ハナは、想像を超えた答えに、息が詰まる。

「それが自分の幸せだ、ともな。…本当だと思うか?」

 納得のいかない様子で、セナは尋ねる。ハナにも、答えがわからない。揺れる瞳を見つめ返そうとして、自分の視線がふらふらと彷徨うのを感じた。

 ダメ… 泣きそうな自分を押しとどめる。

「あなたは… ガルドに幸せになって欲しかったんですね…」

 何とか絞り出した言葉。

「…そうかもな」

 セナの言葉は、淡々として、虚しかった。だとしてどうなる? だからなんだ… そう続いているようにも聞こえる。剣聖は、愛する人のそばには、いられたことがなかった。ただ失って、ひとりで生きてきた… 彼は何も得られなかった。

 …でも、本当だろうか?

 ハナは、目を潤ませながら、ひとり問答をする。その間にも、セナの瞳が容赦なくのぞき込んでくる。すべて、ハナの揺れる心も見抜かれているのだろう。でもそれを、恐れてどうする。

 ハナは、ふううう、と大きく深呼吸した。目じりから少しだけ、涙が滲んだかもしれない。

「あなたが、そばにいました」

 なんとか、ハナは言い切った。あるいは、彼を傷つけるかもしれない、言葉を。

「あなたが… ガルドのそばに、いました」

 セナは、意図を図りかねるように、じっとしている。

「あなたが… だから… 私は… 私が言うのはおこがましいとわかっているんですが」

 声はとぎれとぎれで、聞き苦しい。

「あなたが、彼を… 幸せにしたんだと思います。愛する人のそばにいられたのだから」

 ああ… なんということ。二人のことを知りもしないのに。それでも、自分が言わねば誰が言うのだろう。そして、セナは気が付かないままだ。きっと… セナだって。

「…愛する人」

「そう…です。あなたがガルドを思う様に、ガルドもきっと、あなたを思っていた。だから…」

 ハナは、自分のエゴと知りながら、それでも、セナの手を振り払った。そして、自由になった両手で、彼の頬を包む。セナは、抵抗もせず、さして反応もせず… されるがままにいた。

「ガルドは、あなたが幸せになることを祈っています。あなたはまだまだ、この世界で生きていかなければならない。だから、世界を平和にすることが… 禍から世界を守ることが、彼の望んでいることのような気がします。だって、30年前にも、彼が成し遂げようとしたことですから」

 セナのうつろな目が… じっとハナを見ている。その目が、わずかに濡れたように、映り込む光が、揺らめいていた。

 その夜、遅くまで、二人で運河の明かりを眺めていた。もうそれ以上、多くの言葉は交わさなかった。ハナは、ただ、その夜の残りの時間を、過酷な人生を歩んだ剣聖を偲んで過ごした。

 夜が更けてハナを部屋へ送り届けると、セナは、最後に呟いた。

 …あなたとともに、ヴォルドニアへ行く。

 そのあとすぐに、部屋の扉は閉められた。ハナは、遠のく足音を聞きながら、その場に泣き崩れた。押しとどめていた感情が、溢れかえり、無遠慮に、会ったこともないガルド、その人を思い… 涙を流した。


 一夜明けて、ぼんやりとベッドから窓の外を眺める。昨日、会議が紛糾したんだ。セナが気持ちを変えたとしても、ルシアンは、まだ何も進展していない。しかし、気のすむまで泣いたせいか、ハナの心は落ち着いていた。みんな、幸せを望んでいるだけ。その幸せは、ほんの少し手を伸ばすところにある… 難しくない。

 体の力が抜け落ちて、なぜかそんな根拠のないことに、すとんと気持ちが落ち着く。

 きっと大丈夫…

 誰の声かわからない。いや、自分でそう言っている。ハナは、ゆっくりと体を起こした。

 きっと大丈夫。禍を封じ、七騎士の、この世界の人々の… ほんの少し手を伸ばせば届く幸せに、たどり着く。

 ハナは、ルシアンとも話し合おうと、身支度を整えて部屋を出た。彼のことだ… 朝早くにはまだ寝ているかもしれない。あえて昼近くになってから赴いたが、果たして起きているかどうか。声をかけて返事がなければ、扉の前で待ってもいい。もう、昨日までの鬱屈とした気分には、ならない。つきものが落ちたように、きっとなんとかなる、と思える。

 ルシアンの部屋の前まできて、扉をノックしようと構えた時、部屋の中から話す声が聞こえた。誰か先客が…? しかし、静かな声で、何を言ってるかはわからない。

 どうしよう… また、改めてくるか。

 ハナが戻ろうとしたとき、

「邪魔したな」

 扉が開いた。あ… 目と目が合い、驚いて声が漏れ出る。セナが、そこに立っていた。

「なんだ、ハナもきたのか」

 その声を聴いて、部屋の中からルシアンが笑っている。

「さすが息があっているもんだ。おい、二人して戻ってこい」

 くくくく… からかうようであって、楽しそうでもある。セナは、不思議な顔をしていたが、ハナは、ルシアンの機嫌がいいのを感じ取って、笑った。

「セナ、付き合ってくれますか?」

 ハナが言うと、セナはまだ不思議そうにしていたが、

「別に構わない」

 もう一度、部屋の中へ戻った。

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