第11話 我が一生に一片の悔いなし

(望月紬の親友、河原瞳・視点)


 休み時間。私は、窓の外をぼんやりと見つめてニヤニヤしている紬ちゃんに声をかけた。

 誰もが振り返る学校一の美少女にして『氷姫』である紬ちゃんは、私にとって『最推し』の親友だ。


「紬ちゃん、紬ちゃん」

「ん、何?」

「桐島先輩とはうまく行ってるの? この間、わざわざ一年生の教室まで迎えにきてたみたいだけど」


 私が身を乗り出して尋ねると、紬ちゃんはわかりやすく肩をビクッと跳ねさせた。


「う……うん。まあまあ……かな」

「ねぇねぇ、ごまかさないで教えてよ。絶対何かあったでしょ?」

「うん、まあ……。実はこの間の休日、本屋でデートしちゃった……ふふっ」

「えっ、マジで!?」


 頬を染めてはにかむ紬ちゃんからの爆弾発言に、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 紬ちゃんの想い人であるあの先輩は、天然記念物レベルの鈍感男だ。あんなに可愛い紬ちゃんからのアピール(手作り弁当など)を、これまでことごとく完全スルーしてのけていたというのに。


 (まさか、あの先輩相手にそこまで話が進むなんて……!)


 最推しの恋の急展開に、私の胸まで高鳴り始めていた。


「えーとね、その……偶然、大型書店で会っちゃって……。それで、私が誘って一緒に喫茶店に行って、おしゃべりしたの」


 紬ちゃんはすっかり恋する乙女の顔になって、モジモジと頬を赤らめている。尊い。私のテンションは早くもマックスを振り切った。


「すごいよ、紬ちゃん! 完全なデートじゃん! で、先輩は本屋でどんな本を読んでたの?」

「え、ああ。『職場の人間関係の作り方』かな?」

「…………人間関係で悩んでるのかな? っていうか、職場?」


 激甘な空気に似つかわしくない渋すぎる(というか高校生が読むかそれ?)タイトルに、私は思わず首を傾げた。しかし、当の紬ちゃんはまったく気にした様子がない。


「そんなはずないよ。私とはバッチリうまくいってるし! ……あっ、そうだ」

「ん?」

「今度の夏休みね、文芸部の合宿があるんだよ。温泉に泊まるんだぁ……先輩と♡」

「――ええっ!?」


 予想のはるか斜め上を行く特大の爆弾発言に、私は今日一番の声を上げてしまった。


「だ、大丈夫なの!? 文芸部の合宿で温泉に泊まるって……!」


 文芸部に合宿なんて必要あるのだろうか。


 この間、わざわざ教室までやってきた桐島先輩は、いかにも優しそうな草食系の雰囲気を醸し出していた。だが、とんだ皮を被ったオオカミだったようだ。私の最推しである紬ちゃんの貞操が危ない。


「ふ、二人っきりってちょっと危なくない!?」

「大丈夫だよぉ。あー、楽しみだなぁ。私、何着て行こうかなぁ、ふふっ」


 いつものクールで凛とした『氷姫』の紬ちゃんが、完全に頭の中がお花畑のポンコツ乙女とおかしくなっている。これは非常にまずい事態なのではないか。


「せ、先生も引率でついていくんだよね!? 二人きりじゃないよね!? だって学校の部活の合宿なんだもんね!?」


 私がすがるような思いで尋ねると、紬ちゃんはふにゃふにゃとした笑顔のまま首を傾げた。


「うーん、どうかなぁ。先生、今月は金欠でピンチだから行けないかもって言ってたし」


 (――教師失格ゥ!!)


「ちょっと無責任じゃないかな、その先生!」

「ああ、あの保健室の先生だよ」


 (――保健室……もしかして、あの酒カス先生かっ!?)


 以前、私の友達が体育で足を捻って保健室に行ったら、消毒と称して日本酒を霧吹きで吹きかけて治そうとしていた、あのヤバいアラサー女だ。


「ダメだよ、絶対に! 先生抜きで二人きりなんて!」

「あ、そうだ。もしかしたら、もう一人入部するかもしれないんだ」

「えっ、本当!? 誰……?」


 一縷の望みにすがるように尋ねた私に、紬ちゃんはにこやかに答えた。


「うん、先輩の親友で、篠田健一って人。知ってる?」

「……え?」


 (――と、とんでもない!!)


 紬ちゃん一人に対して、男二人だなんて!

 私の脳内に、薄暗い温泉宿で腹を空かせた狼二匹に囲まれ、涙目で悲鳴を上げる可憐な紬ちゃんの姿が鮮明に浮かび上がった。


「ダメーッ! 絶対ダァメーッ!!」


 ガタッ! と勢いよく席を立ち上がって叫んだ私に、クラス中の生徒の視線が一斉に突き刺さる。

 しかし、当の紬ちゃんは「いきなりどうしたの?」とばかりに、きょとんと首を傾げていた。


 私は「あ、あははははっ、なんでもないよ!」と引きつった顔で誤魔化し笑いをしつつ、逃げるように再び椅子に座った。


 (――いけない。このままでは、私の最推しである紬ちゃんが、けだもの達に汚されてしまう……!)


 しかし、当の紬ちゃんは完全に先輩のことを信用しきっている。なんとかしなくちゃ。なんとかして、私が守らなければ。


「え、えーっと……私、急に文芸部に興味が出てきたかなーって! 今日、部活見学に行ってもいい!?」

「え、本当? うーん……でもなー、ちょっと困るかも」

「どうして!?」


 尋ねると、紬ちゃんは少し頬を膨らませて、ジトッとした上目遣いで私を見た。


「だってさー……もし瞳まで、先輩のこと好きになっちゃったらどうしようって」

「いや、それだけは絶対にない(断言)」


 私は食い気味に即答した。私にとっての世界の中心はあくまで紬ちゃんであり、あんな冴えない鈍感男になんて微塵も興味はないのだ。


「むっ。……それって、私の先輩が魅力的じゃないって言いたいの?」


 途端に、紬ちゃんの声のトーンがマイナス五十度くらいまで低くなった。


 (――め、めんどくさい……っ!)


 恋する乙女の地雷原はどこにあるか全くわからない。褒めすぎても嫉妬されるし、けなしても理不尽にキレられるのだ。

 私は額に嫌な汗を浮かべながら、どうやったらこの場を丸く収められるか、必死に頭をフル回転させた。


「そ、そうだ! 私が紬ちゃんの『援護射撃』をするよ! 私が行って紬ちゃんの家庭的な良さとかをアピールできたら、きっと先輩も紬ちゃんにメロメロになって振り向くに違いないよ!」

「えっ、本当!?」


 彼女はまじまじと私の方を見てから、がしっと力強く私の両手を掴んだ。

 先程までの絶対零度のトーンはどこへやら、その顔はパァッと明るく輝いている。


「最高だよ! 流石は私の本当の親友だね! 瞳ちゃん大好きっ♡」


 (――ああ尊い。この時のために、私は生きていたんだ)


 まっすぐな瞳。至近距離から浴びせられる、推しのとびきりの笑顔。

 私は確信した。たとえこの後、文芸部の部室や合宿先で屈強な狼たちに引き裂かれて命を落とすことになろうとも構わない。ああ、最高だ。


 私は薄れゆく意識の中で、推しの圧倒的な尊さに包まれながら、幸せな生涯を終えるのだった……。


 ――我が一生に、一片の悔いなし。

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