第2話 村のぬくもり
「……で、なんで村に来たの」
セリスは腕を組み、横目でルシエルを見る。
「挨拶は大事ですよ」
「昨日も来たでしょ」
「ちゃんとしたやつ!」
雪はやわらいでいる。山を下った先、このユノハ村は、昨日来た時よりも少し近く感じた。小さな集落。煙突から立つ白い煙と干された布が風に揺れている。見慣れない二人に、村人たちの視線が集まる。
「おや」
昨日の猟師、ガルドが顎を上げた。
「湯のとこの」
「はい!」
ルシエルは深々と頭を下げる。
「ガルドさん、昨日はありがとうございました!」
「何もしてねえぞ」
「来てくれました!」
セリスが小さくため息をつく。
「……湯の囲い、少し直しました」
彼女が静かに言う。
「でも薪が足りなくて」
「薪?」
「山から集めてはいますが、乾燥が追いつかない」
現実的な話をするのはセリスの役目だ。村人たちは顔を見合わせる。
「商売か?」
「え?」
「湯だよ」
ルシエルは、ぱっと笑った。
「一応、もらってます。でも高くないです!」
「いくらだ」
「気持ち分くらい!」
「ざっくりだな」
笑いが起きる。ルシエルはまっすぐ言う。
「でも、あったかいです」
それだけは自信がある。少し沈黙。やがて、老女が口を開いた。
「孫がな」
昨日の子どもが、後ろから顔を出す。
「“また行きたい”って言ってた」
ルシエルの目が輝く。
「ハナエさん、それほんと!?」
「ほんと」
ガルドが顎で森を指す。
「乾いた枝なら、あっちに積んである。好きに持ってけ」
「え、いいんですか!?」
「その代わり」
にやり、と笑う。
「春になったら屋根直し、手伝え」
「やります!」
「即答かよ」
セリスは小さく息を吐く。
「……ありがとうございます」
村人たちは肩をすくめる。
「別に、恩を売る気はねえ」
「湯がなくなったら困るのはこっちだ」
ルシエルは、少し驚いた顔をした。
「困る?」
「ああ」
ハナエが言う。
「あそこ、静かでいい」
その一言が、胸に落ちる。“静かでいい”。特別じゃない。奇跡でもない。でも、必要とされている。セリスは視線を逸らした。ほんの少し、耳が赤い。
「……ほら」
彼女が小声で言う。
「薪、運ぶわよ」
「はい!」
ルシエルは大きな枝を抱えようとして、ぐらつく。
「重っ」
「見栄張るから」
村人たちの笑い声。雪の上に、足跡が増える。まだ小さな湯屋。まだ名も知られていない。でも少しだけ、この村と繋がった。
薪を抱えて山道を戻るころには、ルシエルの腕はぷるぷるしていた。
「お、もい……」
「だから言ったでしょ、見栄張るなって」
セリスは軽々と束を担いでいる。
「なんでそんな平然としてるの……」
「悪魔なめないで」
「天使だって力はあるんだけどなあ……」
足を滑らせ、雪に尻もち。
「痛っ!」
「ほら」
セリスが呆れつつ手を差し出す。
「ありがと」
その手を掴んだ瞬間、少しだけ照れくさくなる。雪道を笑いながら戻った。囲いの中に薪を積み、湯に火を入れる。すると、湯気がふわりと立ちのぼる。
「やっぱり、いい湯だな」
背後から声がした。振り返ると、ガルドと、あの子どもが立っている。
「もう来たの?」
セリスが眉を上げる。
「薪代の前払いだ」
「湯で?」
「湯で」
ルシエルは満面の笑みを浮かべる。
「どうぞ!」
ガルドは囲いを眺め、頷いた。
「昨日よりマシだな」
「マシ止まり?」
「褒めてる」
子どもは脱衣所へ駆けていく。セリスが慌てて追う。
「走るな! 転ぶ!」
「セリスお姉ちゃんこわーい」
「誰がお姉ちゃんよ」
でも手はしっかり支えている。湯に浸かった子どもが、ぱあっと顔を明るくする。
「あったかい!」
ガルドも静かに湯に沈む。湯面が、ゆらりと揺れる。ルシエルはその様子を、少し離れたところから見つめる。
「……なんかさ」
「なに」
セリスが隣に立つ。
「昨日より、揺れがやわらかい気がする」
湯は、ほんのり光っている。人が入ると、揺れが増す。怒りも、疲れも、少しだけ丸くなる。
「人が増えるほど、性質が混ざるのかもね」
セリスが呟く。
「祝福と制御だけじゃなくて」
「気持ちも?」
「……さあね」
ガルドが湯の中で息を吐く。
「悪くねえ」
短い言葉。でも、それで十分だった。
湯上がり。子どもが囲炉裏の前で丸くなる。
「ここ、好き」
セリスの手が止まる。ルシエルは小さく笑う。
「また来てね」
「うん!」
ガルドが立ち上がる。
「明日、屋根の直し方教えてやる」
「ほんとですか!?」
「その代わり、湯は切らすな」
「任せてください!」
去っていく背中を見送りながら、セリスはぽつりと呟く。
「……変な取引ね」
「いい取引だよ」
ルシエルは囲いに寄りかかる。
「ねえ、セリス」
「なに」
「ちょっとずつさ」
「うん」
「ここ、広がってる気がしない?」
セリスは湯気を見つめる。囲いは狭い。小屋もぼろい。でも、笑い声が増えた。足跡が増えた。
「……まあ」
視線を逸らす。
「悪くはないわね」
その横顔を見て、ルシエルはにやりと笑う。
「よし、明日は屋根強化!」
「その前に休みなさい」
「えー」
囲炉裏の火がぱちりと鳴る。ゆらぎ湯は、今日も静かに揺れている。
屋根の補強は、思った以上に大仕事だった。
「そこ、押さえとけ!」
「はい!」
ガルドが屋根に登り、指示を飛ばす。ルシエルは下で板を支え、セリスは釘を渡す。釘を打つ音が、山に響く。何度も失敗し、何度もやり直す。
「真っ直ぐ!」
「これ以上真っ直ぐにならない!」
「なる!」
どん、と板がはまる。ガルドが頷いた。
「よし」
夕方には、屋根の隙間はほとんど塞がっていた。囲いも少しだけ高くなっている。小屋はまだぼろい。でも、“ちゃんとした場所”に近づいている。
「……やればできるじゃない」
セリスがぽつりと呟く。
「えへへ」
「調子に乗るな」
湯に火を入れる。その日は、村の者が三人来た。ガルド、ハナエ、そして畑仕事帰りの青年。湯気が立ちのぼる。青年は腕を組んだまま、なかなか湯に入らない。
「どうしたの?」
ルシエルが声をかける。
「……別に」
青年は眉をひそめる。
「湯なんて、久しぶりで」
やがて意を決したように足を入れる。小さく息を吐く。
「……ああ」
その声は、どこか震えていた。セリスは黙って見ている。青年の背中には、うっすらと古傷。言葉として何も聞かない。ただ、桶を差し出す。
「肩、流す?」
青年が目を丸くする。
「……いいのか」
「湯屋だから」
ぶっきらぼうに言う。湯面が、やわらかく揺れる。怒りも、焦りも、すぐには消えない。でも少しだけ、息が深くなる。ルシエルは、その様子を見て胸があたたかくなる。
湯上がり。囲炉裏の前で、青年がぽつりと言う。
「……帰るの、惜しいな」
昨日の旅人と同じ言葉。ハナエが笑う。
「ならまた来りゃいいさ、リオン」
「そうだな」
リオンは頷く。それから、小さく続ける。
「泊まれたら、もっといいんだが」
言ったあと、照れくさそうに笑う。
「冗談だ」
ルシエルはセリスを見る。セリスは視線を逸らす。まだ、そこまでには至っていない。今は、まだ。
夜。客が帰ったあと。囲炉裏の火だけが、ぱちぱちと鳴る。
「……増えてきたわね」
セリスが呟く。
「うん」
「薪も、水も、食事も、考えないといけない」
「うん」
少しの沈黙。外では雪がちらついている。
「でもさ」
ルシエルが小さく言う。
「悪くないでしょ?」
セリスは、囲炉裏の火を見つめる。村の子どもが笑った顔。リオンの安堵の息。ハナエの穏やかな目。
「……まあ」
ほんの少し、口元がゆるむ。
「悪くはないわね」
ルシエルは、嬉しそうに笑う。
「でしょ」
囲炉裏の火が、静かに揺れる。ゆらぎ湯も、また揺れる。まだ立ち寄り湯。まだ小さな場所。けれど――“帰るのが惜しい”と、誰かが思う場所になりはじめている。宿という言葉は、まだ遠い。でも、種は、確かに蒔かれた。
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