第10話
土曜日、午前九時五十五分。
待ち合わせ場所の駅は、休日だからか家族や友人同士、恋人で溢れていた。その喧騒の中に身を置きながら、今日何度目かわからないくらいの手鏡でのチェックを終え小さく息を吐く。
どう思われるかな。
昨夜悩み抜いて選んだ、桜色のブラウスに柔らかな白のフレアスカートを身に纏った鏡に映る自分を見てそう思う。髪にはお気に入りのリボンを添えて、私らしさ全開で今日を迎えた。
けれどいざこうして外に出てみると、紗和さんの隣に立つには自分の格好は幼くて浮いてしまうんじゃないかって不安が尽きない。
だってこれからくるのはあの紗和さんなんだもの。
仕事ができて、かっこよくて。会社ではいつもカチッと決めてくる。そんなスタイリッシュな彼女の隣に、こんな私が並んでいいんだろうか。
不安に駆られてスカートの裾を整えたその時だった。
「……あ」
人で溢れているというのに、私の瞳は磁石に吸い寄せられるようにただ一人を捉え固定される。
一際凛とした空気を纏った女性が私に向かってかつかつと歩いてくるのが見えた。
黒のタイトなサマーニットに、ストンと落ちるシルエットの白のパンツ。
仕事の時のカチッとしたブラウスとは違う、身体のラインを微かに拾う柔らかな素材感。
耳元にはシルバーの控えめなイヤリングが、彼女が歩くたびに朝の光を反射して静かに揺れている。
……すごく綺麗で、かっこいい。
なんて語彙力もなくて、バリエーションのない感想なんだろうと自分でも思う。でもそうやって言葉にするよりも見ていたい、と思うほどに美しく輝いて見えるからそれでいい気がした。
彼女は周囲の視線を無自覚にも集めながら真っ直ぐに私を見つけると、ふわっと表情を和らげた。
「……みおちゃん」
名前を呼ばれて少し心臓が跳ねる。
彼女は私の目の前で足を止めると、一瞬呆然としたように目を見開いた。
かと思うと今度は頭からつま先まで、私のことをなぞるように見つめてきた。
「………………」
「……あの、紗和さん?」
あまりにも紗和さんが黙ったままだから気になって声をかけると、彼女はハッとしたように視線を泳がせもう一度私のことを見てはすっと視線を逸らして呟いた。
「……やばい。想像してたよりも数倍可愛いんだけど……」
「……え」
紗和さんはそのあともぶつぶつ、可愛いや困るだなんて言葉を口にする。
そこまで真正面から褒められると思っていなかったから恥ずかしさで熱が込み上げてくる。
「……本当に可愛いよ。すっごく似合ってる」
「……紗和さんこそ。すごく……格好良くて、素敵です。正直見惚れちゃうくらい」
紗和さんはびっくりした様子で耳元の髪を触りながら、視線を泳がせながら答えた。
「……ありがと。そのさ……なんだろ、恥ずかしいね」
「そう……ですね。あ、それじゃあ行きましょうか」
「そうだね」
そう声をかけて並んで歩き出す。
紗和さんと私にはそれなりに身長差があるから、隣に顔を向けると彼女の肩が見える。だから彼女の顔を見ようとすると必然的に見上げる形になってしまう。
「……みおちゃん、今日なんかいつもよりも小さく見える」
「えっ。……紗和さんのヒールが高いからです」
「ごめんごめん。今日はいつもよりもお姉さんでいたくて」
そう言いながら私の頭を優しく撫でる紗和さんの瞳は、まるで小さな子供を見るような目でちょっと恥ずかしい。
「……紗和さんはいつだって頼りになるお姉さんに見えてます」
「えっ……そ、そうなの?」
「はい。……だから、今日だけじゃなくていつも憧れてるんです」
私が迷いなくそう告げると、紗和さんは繋ごうとしていた言葉を飲み込んだようにあからさまに視線を斜め上へと逃した。
彼女のお姉さんぶっていた余裕が、内側から静かに崩れていく音が聞こえた気がした。
「……みおちゃんはさ、時々そうやって無自覚にすごいこと言うよね」
「えっ、変なこと言いました……?」
「変じゃないけど。……自覚がないのが一番困るというか。……あー、もう」
紗和さんは片手で前髪をぐしゃっと乱すと、観念したようにくしゃっとした顔で笑った。
その顔は、会社で見せる「なんでも完璧にこなす先輩」の顔じゃなくて。きっと私にだけ見せてくれている少しだけ幼い、一人の女性の顔だと思った。
「……みおちゃんには、ほんっと敵わないなぁ。もう今日は思いっきり甘えちゃお」
「……え?」
「今日は私の服を選んでもらう約束でしょ? 頼りにしてるからね、みおプロデューサー。私の知らない私のこと教えて」
背の低い私の目線に合わせて少し屈んだ紗和さんは優しい笑顔でそう言った。
真正面からそう言われた言葉に私の心臓は大きく波打つ。
『私の知らない私』
それは、彼女が私にだけ心を開いてくれているような気がして。少しだけその特別感がくすぐったいような。
「……任せてください。絶対に私が見つけてみせます」
「あはは、頼もしいなぁ。……じゃあ、まずはあのお店なんてどうでしょう?」
紗和さんは、少し乗り気で柔らかい色で溢れるセレクトショップを指差した。私はそれに笑顔で頷く。
二人並んで歩くその距離が、駅にいたときよりもほんの数センチ近いような気がした。
♦︎
「……ど、どうかな。変じゃない?」
試着室のカーテンを開けて、私の選んだ服に身を包んだ紗和さんが出てきた。
彼女が着替えている間の衣擦れの音。少し不安そうな声。そしてその間には一枚の布だけといった状況。そういったことが私を妙に恥ずかしくさせるものだから、彼女がそのカーテンを開けてくれて良かったと思った。
でもそう思ったのも束の間で。
今私の目の前には、いつもの「紗和さん」の面影を残しながらも柔らかい印象を与えた一人の女性としての彼女が立っていた。
「…………っ」
あまりの綺麗さに、息をするのも忘れる。その美しさに目の前がチリチリとする。……火花が散っているんじゃないか、てぐらいには。
「み、みおちゃん。その……なんか言ってよ」
会社での服、ついさっきまで着ていた服よりも少しだけ開いた鎖骨のラインや、柔らかな生地が描く肩の曲線。
「似合わないかも」と不安げにこぼして裾をいじるその仕草でさえも、私の身体の底から愛おしさが込み上げてくるような気がする。……それに、そんな私のまだ知らない彼女をもっと見たいって思う気持ちが芽生えてきているような。それがこんな様子でもいいかも、なんて思い始めているものだから少し趣味が悪いかもしれない。
「や、やっぱり変……?」
今にも試着室へと逃げ帰ってしまいそうな紗和さんの裾を、私は無意識に掴んでいた。
「……違います。あまりに綺麗で、似合ってて、美しくて。その、えっと」
語彙力がなくてこんな薄っぺらい表現しかできない自分がもどかしくて。
あーもういいや! の精神でもう一度言葉を紡ぐ。
「誰にも見せたくないなって……思っちゃいました。紗和さん、ただでさえ周りの視線集めるのに……もっとなんて嫌だな、って。……ご、ごめんなさい、私ごときが」
「…………っ」
紗和さんは、目を見開いたまま石像のように固まった。
流れる沈黙が怖くて彼女に繋がっていた視線という糸を解いて落としてしまう。自分の口から溢れ出た「独占欲」の重さが信じられなくて、心臓の音が頭の中をうるさいくらいに反響する。……今もその事実を認められずにいるけれど。
「……みおちゃん」
掠れた声で名前を呼ばれる。自分の顔が、今どうなっているか想像もつかないから見せたくない。だけど恐る恐る顔を上げる。
そこには、耳の先まで林檎のように真っ赤に染まって、視線を私から逸らし続ける紗和さんがいた。仕事をしてる時のお姉さんなんて微塵もなくて。私にとっては、ただただ可愛らしく照れている一人の女性として映っていた。
「……そんなこと言われたら、みおちゃんにしか見せたくなくなっちゃうじゃん」
「本当に私をどうする気なのよ……」と言葉を溢す紗和さんは困ったように、でもどこか嬉しそうに眉を下げて笑った。
「それじゃあこれ買ってこようかな。……本当、今日の私はみおちゃんにやられっぱなしだなぁ。というかさ、みおちゃん」
「な、なんですか……?」
紗和さんが少しニヤッとした顔を浮かべながら呼ぶから、嫌な予感が頭をよぎる。
少し身構えていると、彼女は少し屈み顔が目の前にやってくる。と思っていたら耳元が柔らかい吐息で包まれる。
「みおちゃんの可愛いお顔が真っ赤になってもっと可愛くなっちゃったね」
リアクションをとる間もなく、気づいた時には紗和さんは試着室の中に姿をくらましていた。
私は試着室の前で静かに瞬きをする。
数拍遅れて心臓の脈打つスピードが増える。服を突き破ってしまうんじゃないか、疑ってしまうくらいには激しくて。
心臓が痛いよ。
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