第5話 静寂の守護者と、最悪のコーヒー
幻聴だと思いたかった。
だが、近づいてくる気配は明確だった。
遮音を解除する。
ドタドタという無遠慮な足音。荒い呼吸。そして金属が擦れる音。
俺は反射的にランタンの光を消し、ダッチオーブンの火も止めた。
『隠密』スキルを最大まで引き上げ、さらにテント全体を覆う『結界』の出力を「カモフラージュ重視」に切り替える。
暗闇の中で、俺は息を殺した。
数秒後。
俺が入ってきたのと同じ亀裂から、数人の人間が転がり込んできた。
「ハァ、ハァ……! ここまでくれば……!」
「クソッ、撒いたか!?」
4人組だ。
全身をフルプレートで固めた戦士、聖印を下げた神官、軽装の斥候、そしてローブの魔術師。
装備の質は高い。ミスリルやアダマンタイト級の輝きがある。間違いなくAランク相当の精鋭パーティだ。
だが、その姿はボロボロだった。鎧は凹み、神官は肩から出血し、魔術師は杖を失っている。
「……おい、ここ」
斥候の男が、ヘッドライトで空洞を照らした。乳白色の水晶が輝く、幻想的なドームが浮かび上がる。
「すげえ……なんだここ、隠しエリアか?」
「助かった……これなら追ってこれないわ」
彼らは安堵の声を上げ、その場に座り込んだ。
俺のテントはドームの隅、岩陰の死角にある。さらに結界による認識阻害が効いているため、彼らは俺の存在に気づいていない。
俺は暗闇の中から、冷めた目で彼らを観察していた。
迷惑だ。とにかく迷惑だ。
せっかくのシチューが冷めてしまう。早く出て行ってくれないだろうか。
そう念じた、その時だった。
魔術師の女が、ふと顔を上げた。
「待って。……ここ、魔素(マナ)の密度がおかしくない?」
「あ?」
「濃すぎるのよ。まるで、ここ自体が……巨大な生物の体内みたいな」
彼女の言葉が終わるより早く。
ズズズズズ……ッ!
ドーム全体が悲鳴のような音を立てて震え始めた。
「な、なんだ!?」
天井だ。一面に張り付いていた巨大な水晶クラスターが、一斉に剥離し、落下を始めた。
だが、それは地面に激突することなく、空中で一つに凝集していく。
ガガガガッ! と耳障りな音と共に組み上がり、それは巨大な人型を形成した。
身長10メートル超。全身が輝く水晶でできた巨人。
階層主(エリアボス)、クリスタル・タイタン。
『グオオオオオオオオオオッ!』
巨人の咆哮が、閉鎖空間内の空気をビリビリと震わせた。同時に、入り口だった亀裂が、地面から生えてきた水晶の壁によって塞がれる。
完全な密室。逃げ場なし。
「嘘だろ……ここ、ボス部屋だったのかよ!」
「来るぞ! 構えろッ!」
戦闘は一方的だった。
彼らが万全なら、あるいは勝機はあったかもしれない。だが、今の彼らは消耗しきっている。
巨人が腕を振り下ろすたび、地面が砕け、衝撃波が狭いドーム内を駆け巡る。
ドォォォンッ!
流れ弾のような衝撃波が、俺のいる岩陰にも飛んできた。
バヂィッ!
結界と衝突し、青白い火花が散る。テントが激しく揺れ、テーブルの上のダッチオーブンがガタガタと音を立てた。
「……おい」
俺は咄嗟に鍋の蓋を押さえた。ふざけるな。
このシチューを作るのに、どれだけの手間がかかったと思っている。赤ワインはヴィンテージなんだぞ。
俺の怒りを知る由もなく、戦況は悪化の一途を辿っていた。
戦士が吹き飛ばされ、神官が回復魔法を唱える暇もなく壁に叩きつけられる。斥候がダガーで巨人の足を突くが、硬すぎて刃が通らない。
「杖さえ……私の杖さえあればッ!」
魔術師の女が叫んだ。
俺は思わず、アイテムボックスの中にある「ボロボロの杖」を思い出した。ああ、あれ、アンタのだったのか。すまない、拾得物として確保してしまった。だが今さら「落としましたよ」と渡せる空気ではない。
10分後。あの魔術師の女だけになっていた。
ローブはボロボロに裂け、フードが外れて素顔が晒されている。彼女は既に魔力など残っていないだろうに、震える足で巨人の前に立ちはだかっていた。
足元には、意識を失った戦士や神官たちが重なり合っている。
巨人がゆっくりと右腕を振り上げる。その拳に、眩いばかりの光が集束していく。
魔力砲だ。あれを食らえば、彼女どころか、後ろの仲間も消し飛ぶだろう。
そして、その射線上には――俺のテントもギリギリ入っている。
「……」
俺は手元のコーヒーカップを見た。冷めきったコーヒー。一口飲む。
……苦い。泥水のように不味い。
「はぁ……」
俺は深いため息ついた。
ソロキャンパーの鉄則第一条。『他人のトラブルには関わらない』。
だが、鉄則第二条。『自分のキャンプサイトは死守せよ』。
そして何より。こんな気分の悪いコーヒーを飲んで寝るなんて、俺の美学に反する。
「……今回だけだぞ」
俺はカップを置き、アイテムボックスから球体を取り出した。
出ていってもらうぞ。闖入者ども。
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