第7話 ビギナーズラックだ、奇跡は起きる
──午後7時
「あの落下から『無傷』って、ラッキー過ぎるだろ俺」
どれくらい経っただろうか。
薄暗い岩壁に囲われた中で、男の影が足早に動き回る。
「しかし、謎の怪異現象を経験してしまった不運、いや、圧死を免れた幸運と言えるか」
ひんやりとした岩肌に手を這わし、ぐっと力を込めてみる。
苔の匂いが鼻を突き、
「天井が抜けて、すぐ下の層に落ちたって感じか」
突然の岩盤崩落に巻き込まれて、奇跡的に無事だった自分の身体を見下ろす。
下敷きになって衝撃をもろに受けた。
数分間はもがくように
近くには、少年少女が気絶している。
誘われるようにやってきたこの街で出会った、洞察が鋭い少年──
そして、本人をよそに行動を監視された不運な少女──
奇縁ではあるが、何処か放っておけない……子供達だ。
周囲の様子を確認し終えた蔵人は、夜少年と七巳を横に寝かせ、意識が戻るまで傍で見守った。
やがて、二人が目を覚まし、互いの顔を見合わせ青ざめさせる。
「……落ち着きなさいって」
夜少年が声の方向に振り向くと、影に浮かぶように、すぐ傍に蔵人の背中が見えた。
暗くてよく見えないが、服はボロボロで、ところどころ破れている。
湿った空気に、血の匂いが混じっていた。
痛みに気付かないふりをしているのだろうか。
「私達の下敷きになって──」
「こらこら、嬢ちゃんがそんな責任を抱えるんじゃありません、ってな」
夜少年が周りを見渡し、気づいた。
慎重に、ゆっくり口を開く。
「イブキさんは……?」
声が震えている。
蔵人が声を細めながらも、落ち着いた素振りで天井を指さした。
「あの兄ちゃんなら、少し上のあたりだ。
落ちてる時に見た限りじゃ、崩落には巻き込まれてなかったし、下敷きにもなってないと思う」
安堵のため息をついた二人の少年少女は、しかし冷静になってきたのか、無言になった。
薄暗く、音も静かで、人の気配もない。
つまりは、遭難したのだ。
絶望で意識を保つことに精一杯なのかもしれない。
年長の俺がしっかりしないと……腹をくくった蔵人は、しかし、顔を上げた二人の力強い瞳に苦笑した。
「君らは、強いな」
「助けてくれて、ありがとうございます」
「礼は止めてくれ。……でも、ありがとよ。
早くここを出て、あの兄ちゃんを見つけてやらんとな」
蔵人の初めて見せる落ち着いた雰囲気に、多少驚きながらも、夜少年と七巳は気を取り戻した。
三人は、現在地の推測と、所持品を取り出し、これからどうするか確認することにした。
「先輩、私のスマホも圏外です」
少なくとも、電波の通る所まで移動して、救助を呼びたい。
蔵人は目線で頭上を示した。
見上げれば、幸いにも月明かりが差し込んでいる。
少しだけ垣間見える空に、安堵する。
夜少年が手を伸ばして実感した。そう、深くは落ちてない。
「来たときは、斜面を
だから、この先の道を登っていけば──」
方針が決まると、重い腰を上げて三人は傾斜道を進むことにした。
気持ちが沈まないよう、会話しながら。
「悪いことしたな。宝探しと甘く見てた……。
ここまで巻き込むなんて、こんなつもりじゃなかったんだ」
先を進む蔵人が、背中越しに話しかける。
「いえ……私達も、軽率でした。
古い道だと知りながら、探検気分に浮かれていました」
七巳の
今は何を言っても気落ちするんじゃないだろうか。
だから、瞳の色を交わして、気持ちに触れる。
「良い雰囲気のところ悪いが良いもん見つけたぞ、お二人さん」
少し開けた場所に、壊れた祠が見つかった。
木箱の封が解かれており、納められていたであろう、大きな塊が転がっていた。
中身の正体が気になり、つい近づいてしまう。
「蛇の……鱗?」
「先輩、いくらなんでも大き過ぎますよ。
手のひらの倍ほどもあります」
「いや、合ってるんじゃないか?
あの化石の大蛇くらいのサイズならあり得るかも」
それぞれが大きな鱗を手に取って順番に確認していた、その時だ。
背後の暗闇から突如、黒い霧が噴き出してきたかと思えば、それは蛇のようにとぐろを巻き、夜少年を覆ってしまった。
蔵人が絶叫し、黒い霧に手を突っ込むと、強引に夜少年を引っ張り出す。
夜少年の手には、大蛇の鱗は無く、空になった手の平が指した先には、怪異が姿を現した。
普段は凛とした七巳もさすがに萎縮し、足がもたつく。
蔵人が膝を震わせながら「なんだあれは?!」叫ぶと同時、黒霧の塊が勢いよく岩壁を打ち付け、三人を吹き飛ばした。
大蛇ではないが、大蛇の胴体のように凝縮した霧が、のたうつように暴れまわる。
岩盤と天井が嫌な音を立てて、上から石ころが落ちてくる。
このままでは危ない。避難できそうな場所はないのか。
奥には、地上に向かうように細い道が続いている。
子どもたちだけを行かせて良いのか、だが、後ろの怪異も警戒せねば。
予断なき変化の連続に、脳がショート寸前だ。
だが、身体は自然に動いていた。
震える膝を掴み、つま先は前を向いた。
「……蔵人さん?」
蔵人の足が止まった事に気づいた少年少女が振り返った。
夜少年が焦るように叫ぶ。
「蔵人さんも早く!」
こちらを見る顔は、胡散臭い笑顔が剥がれ、目の光だけはやけに真剣だった。
「昔さ……暴力の塊みたいな奴がいたんだよ」
黒霧の大蛇が暴れる音に、蔵人の声がほとんど遮られる。
「自分では暴力は嫌いだって言って、なのに力ずくで解決していくんだ」
こんな時に何を呑気に思い出話など──!!
落ちてくる礫のカーテンに遮られて、分断されてしまう。
「異端だって言われていて、共感した。
俺を虐めてた連中も、まとめてぶっ飛ばしてくれた。憧れた」
「話はあとで聞きますから、今は一緒に逃げましょう!」
蔵人は背中を向けたまま、片手を振って、夜少年達に先にいけと促した。
「少年、俺を信用するな。
月読峠に来る前に、きな臭い依頼をいくつか知って、金稼ぎのついでに受けてやった。そんな奴なんだ」
黒霧の大蛇は何処から来たのか。
何故、こんな狭い洞窟内で暴れるのか。
まるで、俺が呼び寄せたみたいじゃないか。
「依頼は完遂、
「なにを……言ってるんですか?」
七巳が振り返り、焦りと疑念の視線を向ける。
「蔵人さんは、おそらく
東京での騒動の後、脚光を浴びた月読峠で、
「鋭いね少年。はは……おじさん、ちょっと怖いわ」
夜少年は「いつもの癖でして」と苦笑しつつ、目を凝らす。
凝縮した霧の大蛇の身体をよく見ると、薄っすらではあるが、釘の様なモノが何本も貫通していた。
「苦しんでいる?」
危なくて近づけない。だが、尖った何かを取り除かねばならない気がした。
でも、それが出来そうな人は此処にいない。
「やっぱりダメです!
危ない、避難しましょう蔵人さん!」
蔵人は自分の顔色が悪い事を自覚していた。
己の異能を信じてはいても、恐怖は上回るものだ。
本能が馬鹿になっていない事に感心する。
「さすがにこんな経験、初めてしかないよな?
大丈夫。……大丈夫」
それでも、狂気的な自己信仰がすべてを肯定した。
じり……と、間合いを測るように
運は良い方なんだ。
だから、覚悟を固めて。無理やり笑ってやった。
「ビギナーズラックだ。──奇跡は、起こる……!」
夜少年と七巳をかばうように位置取り、のたうち回る黒霧の大蛇に向かって駆け出した。
何が起こるか予測はつかないが、何が何でも上手くいく。
ぐっ、と足腰に力を溜めて、勢いよく飛び込んだ──その時。
天井から差し込む細筋が割れた。
目を覆うのは──はためく赤。
「なんで急に足場が崩れるんだぁぁあああ?!」
叫び声とともに、力強い気配が落ちてきた。
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