第28話 汽車の窓に映る影
出発の朝、駐屯地の門を出ると、まだ薄い霧が街を覆っていた。
冬の冷気が残り、吐く息が白く漂う。
神崎恒一は、肩に背嚢を担ぎ、最寄りの駅へ向かって歩き出した。
――見送りには行きません。
昨夜の玲子の言葉が、胸の奥で静かに響いていた。
その強さと優しさが、今も足取りに重さを残している。
駅に着くと、始発に近い時間帯にもかかわらず、軍服姿の者がちらほら見えた。
同じ輸送船に乗る部隊なのだろう。
誰もが口数少なく、ただ黙って列車を待っている。
やがて汽車がホームに滑り込み、鉄の車輪が軋む音が霧の中に響いた。
恒一は乗り込み、窓際の席に腰を下ろした。
汽車が動き出すと、駐屯地のある街並みがゆっくりと後ろへ流れていく。
見慣れた建物、訓練の号令が響いた営庭、兵舎の屋根――
それらが遠ざかるたび、胸の奥に小さな痛みが生まれた。
隣の席では、若い兵が帽子を膝に置き、緊張した面持ちで窓の外を見つめていた。
彼はふと恒一に気づき、慌てて姿勢を正した。
「中尉殿、おはようございます!」
「楽にしていろ。まだ長い道のりだ」
兵は照れくさそうに頷き、再び窓へ視線を戻した。
汽車はやがて市街地へ入り、建物が増え、通勤客の姿も見え始めた。
軍服姿の一団は、一般客の中でひときわ目立つ。
だが、誰も声をかけてはこない。
ただ、遠くから静かに見つめるだけだった。
――戦地へ向かう者を見る目。
恒一は、その視線の意味を理解していた。
汽車が東京湾に近づくにつれ、潮の匂いが車内に入り込んできた。
窓の外には倉庫群が並び、やがて港のクレーンが姿を現す。
兵たちがざわめき始めた。
緊張と覚悟が入り混じった、低いざわめき。
恒一は、胸の奥でひとつの名前を呼んだ。
――玲子さん。
彼女の姿はここにはない。
だが、その不在が、かえって強く心に残っていた。
汽車が終点に到着すると、兵たちは荷物を肩に担ぎ、静かにホームへ降り立った。
潮風が頬を刺し、遠くで汽笛が鳴る。
その先には、満州へ向かう輸送船が待っていた。
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