EP.4 “死の王”の影


「跳ぶ前に、決めたいことがあります」

 

 俺はそう言って後ろを振り返る。


 エリセア・モンロー博士が、タブレットを軽く叩きながら近づいてくる。白髪まじりの金髪は低い位置でひとつにまとめられ、前髪は少し短めだ。


「銀座の映像を見定めて——必ず持ち帰らなければならない情報を絞りたいです」


「そうね」


 口元だけで笑みをつくりながら、彼女はタブレットを指で弾いた。こんなに暑くても、白衣はいつものまま。眼鏡を指で直す仕草に、癖のような慎重さがにじんでいた。


玻璃はりちゃん。ちょっと、熱高めね」


 半年前、玻璃は怪物に噛まれた。

 これでも、まだマシな未来だった。玻璃を救うために二回飛んだ。最初にいた世界でも、二番目の世界でも、玻璃は死んだ。

 三番目のこの世界では、運よく、噛みついた勢いのまま怪物が建物から落ちた。

 俺の血液を輸血したことで、何とか玻璃は助かった。けれど、噛まれた痕は今も足から消えていない。


 怪物に噛まれたやつは、たいてい死ぬか、怪物になる。

 博士は玻璃を見下ろした。皮膚が割れ、骨が歪み、声があの咆哮に変わる——その途中で踏みとどまった者だけが、力を宿す。


異能フリークス。目覚めるといいんだけど……」


 断言じゃない。頭の中にある仮説。ただ、俺たちはその仮説を前提として話を進めている。


「まだ綱渡りなの」


 博士がそう言いながら、その視線が俺の左手首に落ちる。薄い皮膚の下で、黒い「Ⅻ」の刻印からじわじわと何かを感じる。

 自分の左腕を少し持ち上げた。


 俺たちは、玻璃の容態を確認しながら、別の部屋に移動した。


「最初は一日分、二十四時間くらい戻れたのが、今は半分ももたないです」


 博士は、興味深そうに目を細めて続けた。


「いわゆるタイムリープね。過去をいじれるなら、世界を変えることができる。もしくは、新しい世界線を生み出せる……ね」


 理論上ではそうだ。実際には、俺はまだほとんど何も変えられていない。

 ただ、一つ成功したとすれば、元・国際感染症研究機構 主任研究員であるモンロー博士を救ったことだ。


「わかってると思うけど、気を付けてね。どこの“コミュニティ”でも、能力持ちは便利な道具よ」


 道具にしてはずいぶん壊れやすくできていますね。そう、喉まで出かかって飲み込んだ。実際に飲み込まれた人間の顔が何人も浮かんだからだ。

 博士は、胸ポケットからタバコの箱を取り出した。一本を咥え、火をつけずにすぐ戻す。ここでは火を使わない。


「ここを含めてね」


「ええ」


 この施設のことも、妹のことも、モンロー博士のことも、“コミュニティ”には話していない。バレそうになったら、居場所を変えるしかない。

 今のコミュニティは、世界が終わってから十個目。あの中学校に来てまだ三ヶ月しか経っていない。


「回数制限があるんでしょ」


「僕はそう考えています。おおよそですが一回の跳躍ジャンプで、一時間ずつくらい時間が減ってるので」


 博士は、モニターのスイッチを入れた。


「じゃあ“あの日”を思い出すしかないわ。そこに全部つながってるはず」


 さいの河原の石積みのように、何度見たか分からない。

 モニターに、乱れた映像が浮かぶ。二〇二六年三月一日。日テレのロゴ。東京銀座の四丁目交差点の歩行者天国。

 昼間の街。人の波。突然の悲鳴。カメラが地面を打つ。視界の端を、四足の何かがかすめていく。

 その中心に立っている、青い髪の少女。


「なんで、こいつだけ襲われてないんでしょうね」


 俺がそう言うと、博士が、画面を指でなぞる。


「理由は分からないけど、いくつか仮説はあるわ」


 タバコを咥えたまま、彼女はそう言った。仮説の中身は口にしない。煙の代わりに、息だけが吐き出される。

 モニターの光が、青い髪を照らす。俺は、その顔を凝視した。瞳の色、頬の線、口元の角度。


 鈍い頭痛が、脳みその奥からざわざわとこみ上げてくる。


 ――自分も、あの場にいた。


 逃げ惑う人の波に押され、転んで、頭を打った。そこで意識が落ちた。あの時の痛みは鮮明に残っている。気が付けば、無人の病院のベッドにいた。

 そして、ジャンプを繰り返すうちに、断片が少しずつ繋がってきた。


 残り十二回。

 左手首を見下ろす。


「情報を集めて、しっかりと計画を組みましょう。そのうえで跳躍ジャンプをする。あなたが世界を救う鍵なのだから」


 博士は淡々と言いながら、指先が、無意識に白衣の裾をつまんでいるのが見えた。言葉だけではないとおもった。彼女も本気で賭けているのだ。この狭い地下室で、俺の異能フリークスに。


「もうすぐ日が暮れるので、次に来た時にその仮説を教えてください」


 俺はそう言って、施設を出る前に、備蓄してある乾パンと衣服を少しだけ分けてもらう。ここに来るときは、コミュニティには物資調達と言い訳をしている。博士は何も言わない。ただ、顎をわずかに動かした。


 次飛ぶとしたら、間違いなくあの青髪の少女だ。だけど、手がかりを掴む前に意識が落ちてしまう。何度か、やり直した。でも、あの青髪の少女の近くで意識が落ちるのが、今のところ一番マシな未来に繋がる。


 中学校に戻ると、校庭の隅で若い男二人が訓練をしていた。

 一人は、視線だけで小石を浮かせている。空中で小さな石ころがふらりと揺れ、彼の眉間に皺が寄る。石は持ち上がってはすぐ落ちる。それでも何度も繰り返していた。


 もう一人は、目を閉じて耳を澄ませている。遠くの音を拾えると本人は言っていた。あの時、試しに誰かが体育館の裏で鉄管を小さく叩くと、その男は顔をしかめ、「やめろ」と呟いていた。


 リーダーは校門のところで、別の男と話していた。

 見知らぬ顔だ。服は泥に汚れ、肩から掛けた袋はぺたんと凹んでいる。


「東京に治癒持ちの異能フリークスがいるらしい。なんでも治しちまうんだとよ」


 俺は動きを止めた。――治癒の異能フリークス? 

 その言葉を聞いた瞬間、玻璃の足に残った噛み跡を思い出した。


「向こうの“支配者”は、能力持ちを全部まとめて囲い込んでるらしい」


 風に乗って、その言葉が耳に届く。


「……壁を作って、井戸を押さえて、異能フリークスを自分の周りに寄せ集める」


 知らない男は、感情が滲むような声で言った。


「役に立たねえ力のやつは、外に回される。盾か、調達の道具かだ」


 リーダーが冷静にその言葉に返す。冷静というか、どこか諦めているような口調だった。


「どこもそうだろ。弱い異能フリークスは道具扱いだ」


 距離を取りながら、その会話を聞く。

 過去に戻る力は、壁も作らないし、怪物を殴り飛ばすこともできない。今ここで怪物が来たら、俺はただの餌。跳んでやり直せたとしても、そのたびに残りの回数が減るだけだ。


 それよりも、治癒の異能フリークスの話を聞きたかったが、男もリーダーもどこかへ行ってしまっていた。


 数日後、新しい一団が校門を叩いた。

 名古屋のほうから逃げてきたと名乗る数人。その中のリーダー格の男を体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下のベンチに座らせた。水と少しの乾パンを渡す。


 残りは体育館に通す。その中に子供が一人混じっていた。目だけが妙に大きく、何も映していないように見える。


 水を飲み干したあと、その中の一人が震える声で話し始めた。


「……怪物じゃない」


 リーダーが黙って続きを促す。


「俺たちのとこをやったのは、人間だった。笑いながら、遊びみたいに殺して歩く異能フリークス……」


 そいつは手を震わせながら、その手のひらで顔を覆った。


「子どもも、寝てるやつも関係なく。怪物を呼び込んで……なぜか、あいつは襲われない。誰かをさがしてやがった」


 そして、その男は小さく呟いた。


「……“死の王”だ」


 その名前は、別の場所でも聞いたことがあった。ただ各地のコミュニティを壊し、燃やし、そこにいる人を殺す異能フリークス持ち。

 リーダーは顔を曇らせ、男に距離と方角を何度も確認していた。


「ここに来るかどうかは分からない。ただ、人殺しを楽しんでる。強い異能フリークスでな。いや、心底喜んでる。おっ立ってやがったんだよ……股間が」


 そう結んだとき、校庭の空気が少し重くなった気がした。


 その夜、俺は見張りの番に当たっていた。

 校舎の屋上。向こうに見える月明かりに照らされた街は、少し橙色が揺らめいているくらいで灯りはほとんどない。


 怪物の鳴き声も聞こえない。


 怪物、異能フリークス。そして、「死の王」。

 怪物は、世界が壊れたきっかけの一部だ。“死の王”は、その終わりを押し広げる邪悪。どちらも、俺たちの延命をあざ笑う。

 ゆっくり腐っていく世界。このままでは玻璃は怪物になるか、誰かに殺されるかだ。


 左腕の「Ⅻ」の刻印が、闇の中でじわりと熱を持つ。

 選べる時間は、もう多くない。

 俺は、この十二回を延命に切るつもりはない。世界を……玻璃を救うために使うつもりだ。


 ただ――もし、目の前でこのコミュニティが襲われたら。そのときも同じことが言えるかどうかは分からない。


 そのときだ。

 校門のほうから、鋭い叫び声が夜を裂いた。怪物とは違う、人間の声だった。

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