12.幼女

 彼女は、日が暮れかけた中を急いで歩いていた。

 アヤカシの残党が残ってるかもしれないから、暗いところに1人で行っちゃ駄目だよ──ふた月ほど前に出会った女の人が言っていた言葉を、彼女は思い出していた。

 あの人は、お友達を殺したアヤカシを、ちゃんと倒せたのだろうか。

 あの人は無事なのだろうか。

 考え始めると止まらなくなって、彼女は更に家に向かう足を早めた。アヤカシが出る前に、ちゃんと家に帰らなければ。そんなことを考えながら、彼女は家までの近道である、薄暗い小道に入った。


 彼女が小道の中ほどに差し掛かった時、前から女性が歩いてくるのが見えた。こんな薄暗い時に、これから町に行くのだろうか?彼女はぺこりと頭を下げて、女性の横を通り抜ける。

 ザァと風が吹いて、木の葉が舞った。

 彼女の姿は、忽然と消えていた。



 彼女はハッと目を開けた。

 見慣れない木々が、薄暗闇の中で不気味に揺れている。

 声を出して助けを求めた方が良いのだろうか。それとも静かに何処かに隠れた方が良いのだろうか。

【こんばんは】

 聞き慣れない声が聞こえた。奇妙なほどに澄んだ声。

「あなた、誰......?」

 冷たい汗が首筋を伝うのが分かった。

【魔魅。穴熊の妖よ】

 その声は、不自然なほどに丁寧に名乗った。

「わたしのこと......食べるの......?」

 声が震えた。

【ええ。でも大丈夫、ちゃんと殺してから食ってあげる、だから痛くないわ】


 身体の中心がかっと熱くなって、手足の先が急激に冷えるのを感じた。


 嫌だ、嫌だ、死にたくない、

 食べられたくない、

 誰か、助けて。お願い、

 わたし、まだ──




 目尻から涙が零れた。

 助けを呼ぼうにも、声が出ない。

 自分で逃げないといけないのに。

 足の力が抜けて、立ち上がれないのだ。

 ただなんとか息をしながら、座ったまま後ずさっていった。

 逃げても無駄よ、という妖の声が、自分の心臓の音の奥に微かに聞こえる。


 妖が彼女の首筋に手を伸ばした。

 彼女はぎゅっと目を瞑った。

 わたしも、食べられちゃうのかな、あの人のお友達と同じで。

 そんな考えが、彼女の心の中にストンと音を立てて落ちてきた。

 そっか。食べられちゃうのか。


 震えた息が、彼女の口から漏れた。



 嗚呼、でも、本音を言えば。

 もうちょっと、生きたかったな。



 彼女の首に、妖の鋭く尖った爪が触れた。彼女は目を瞑ったまま、ぴくりとも動かない。

 その瞬間、びりびりと空気が震えるような音が辺りに響いて、妖の動きが止まった。

 ウオオオオオオオオオオン!

 獣の、力強い、咆哮。

 彼女は目を開けた。

 妖は、それを聞いてたじろいだ。

 彼女の胸に、暖かい光が差した。

 誰の声かは分からない。

 聞いたことがない声だけど、恐怖は感じない。それどころか、どこか安心するような、その歌声は。

 どこまでも気高く、そして、暖かい。

 アオオオオオオオオオン!

 オオオオオオオオオン!

 3種の歌声が、彼女の頬を優しく撫でた。

 妖が後ずさる。何かに怯えたように、彼女から離れていく。

 ザザザ、と木が揺れるような音がした。その直後に、ダン、と大きな音が真ん前でして、彼女は驚いて目を見開いた。

 見覚えのある白縹の羽織が、残光に照らされて目の前で揺れていた。

「千歳!大丈夫、生きてる⁉︎」

 振り返り、大声で彼女に呼びかけたのは、紛れもない、あの人だった。

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