まじめに頑張れば報われる。正しいことをしていれば、いつか誰かが救ってくれる。
そんな「正義の味方」への素朴な信頼が、少しずつ揺らぎはじめた時代を、作者自身の経験の手触りとともに記憶し直すような作品です。
この作品を読み進めていると、作者が、これまでの一つひとつの経験を、その時の空気感ごと残そうとしているように感じられます。
その空気感には、単なる思い出や出来事の筋だけでなく、その時代背景、当時の自分には十分に理解できなかった社会の不安、その出来事が起こった風景や場所、そこに流れていた音楽、街のざわめき、空気の肌ざわりのようなものまで含まれています。
もしそれらをきれいに整理された文章で表現してしまえば、一番大切な「その経験が起こった瞬間の光景」は、単なる経験の要約や説明に変わってしまうのかもしれません。だからこそ作者は、過剰な整理に抵抗しながら、自分の記憶のあり方に近い文体を探しているように思えます。
そのため、この作品は一見すると読みにくく感じるかもしれません。けれど、その読みにくさは単なる未整理ではなく、「その経験が起こった瞬間の光景」をできるだけ損なわずに残そうとした結果なのだと思います。
この文体によって表現されているのは、劇的な事件や分かりやすい転機ではなく、自分にとって意味のある大切な経験が、どのような細部によって支えられているのか、ということです。
ラジオから流れてきたニュースや歌、友人との何気ない会話、職場での小さな失敗や戸惑い、街角で見た風景。そうした一つひとつの小さな経験が、その人にとってかけがえのない記憶の輪郭をつくっている。
この作品では、そのような「生きられた時間」が、整理に抵抗する文章の隙間から立ち現れてきます。
そして、この作品が残そうとしている空気感の中には、懐かしさだけでなく、当時の若者が感じていた不安や心細さも含まれているように思います。
世界は少しずつ複雑になり、経済も、進路も、国際情勢も、自分の力ではどうにもならないものとして押し寄せてくる。けれど、そこに分かりやすく救ってくれる「正義の味方」は現れない。
その感覚が、作品全体の底を静かに流れています。だからこの作品は、昭和の思い出をたどるだけでなく、現代の複雑化した社会で私たちが感じる生きがたさの、ひとつの源流をたどっているようにも読めます。
昭和を説明するのではなく、昭和の空気を帯びた風景を、経験の手触りごと再表現しようとしている作品です。
最初は少し戸惑うかもしれません。けれど、プロローグと第2話をじっくり読んでみてください。そうすると、この文体がただの読みにくさではなく、作者が一つひとつの経験を大切に扱おうとする中で生まれた方法なのだと感じられてきます。
まあ、ほとんどがスーパーロボットゲームから入った知識ではありますが、本当によく祈ります。
マジンガーZとか、魔神のくせに「平和の祈り、空飛ぶスーパーロボット」とか「争い絶えないこの世の中に幸せ求めて悪を討つ」と挿入歌から、悲しい諦観で溢れています。作者は、倒しても倒しても悪は沸き、平和は来ないーーと知っていたのでしょう。
サイボーグの009と002が流星になって、それを見た姉弟が「戦争がなくなりますように」と祈ってから何年経っているのか。戦争はなくなるどころか、かつては悪の組織がやっていた武器輸出を、日本までがやっている世界線が今。
寄付しても寄付しても、アフリカは豊かにならないーー富裕層の資産は凄いけれど。
祈っても祈っても、平和は来なかった。
だから、その無念さは、誰かに引き継いで欲しい。
作者の叫びは、無念の叫びであり、魂に響く。