第50話 夜の鋼

川の上流へ行く。


行く理由は一つ。


鉈剣を“完成させる”ため。


アウルベアの爪は、芯になる。


芯だけでは刃にならない。


受け止める金属が要る。


受け止める金属は、森の外に寄りやすい。


だから、森の中で採れるものを選ぶ。


夜鋼。


夜に光らない鉄。


魔素を吸って、音を減らす。


――運営の説明は、そうだった。


モリは派手な説明を信用しない。


でも、必要なら取りに行く。


必要な分だけ。


古森工房主になって、炉を置けるようになった。


熱を小さくできる。


煙を小さくできる。


音を小さくできる。


“作れる”は、罠だ。


作れるからといって、作っていいわけじゃない。


だから順番。


素材。


次に加工。


今日は採集。


ユキが先に立つ。


白い狼。


白いのに、森では目立ちすぎない。


半歩前。


近すぎない。


遠すぎない。


アラシは影の縁。


黒い狼。


吠えない。


影に沈んで、影から出る。


喜び方も静かだった。


名前を呼べる。


呼べるなら、戻せる。


川沿いの道は、音がある。


水音。


それに紛れれば、人の気配が薄くなる。


薄くなるぶん、獣の気配が近くなる。


水際の石は丸い。


丸いのに、滑らない。


苔が薄く貼り付いて、踏む音を吸っている。


流れの端に泡が溜まり、白く砕けて、すぐ消える。


その泡の向こうに、小魚の影が走る。


影が走るたび、水面の光が細く切れる。


川の匂いは、冷たい。


冷たいのに、腹が鳴る匂いじゃない。


石の匂い。


湿った木の皮。


遠い鉄の匂い。


夜鋼が近い。


上流。


魔素が渦を巻く採集場所。


水面の霧が、回っている。


霧が回るのに、風はない。


空気が“重い”。


水音が、ここだけ違う。


流れているのに、落ち着かない。


細い滝が何本もあるみたいに、同じ音が重なる。


その重なりが、耳の奥に残る。


残る音は、判断を遅らせる。


だからモリは、目で測る。


黒い石の表面に、薄い渦がある。


水が回した渦じゃない。


魔素が作った渦。


触ると指先が冷える。


冷えが、骨まで行く前に引く。


引くから怖い。


割れ目の奥で、夜鋼が“吸って”いる。


光じゃない。


音。


水音の端が、そこで少し欠ける。


欠けた場所が、夜鋼の場所だ。


石が黒い。


黒いのに、濡れて光らない。


水に沈んだ影みたいな石。


その割れ目に、夜鋼がある。


モリは足を止める。


止めて、聞く。


水の音。


虫。


遠い鳥。


その間に、


“鳴らないもの”がある。


来る。


水面がわずかに盛り上がった。


盛り上がったのに、跳ねる音がない。


黒い影が、川から這い上がる。


ぬめった体。


細い手。


牙。


川の魔物。


一体じゃない。


水面の霧がもう一度揺れて、別の影が遅れて上がってくる。


薄い。


小さい。


けれど速い。


群れると厄介なやつだ。


モリは指を二本。


合図を増やす。


一つ、ユキ。


一つ、アラシ。


言葉は使わない。


モリは指を一本。


合図。


“寄せる”。


茨が、地面を舐めて輪になる。


小さい。


足一つ分。


止めない。


向きだけを変える。


輪は一つじゃない。


もう一つ。


水際の石の影に、細い輪。


逃げる線じゃなく、寄せる線。


“戻す”ための線。


魔物の足が輪に触れた瞬間、動きが一拍ずれる。


ずれた分だけ、ユキが前に出る。


受け止める。


押し返さない。


角度を変える。


遅れて上がった小さい影が、ユキの横腹を狙う。


その線は、白の外側。


受け止める線じゃない。


影が濃くなる。


ユキが半歩、体をずらして影を作る。


作った影に、アラシが沈む。


沈んだと思った瞬間、別の影から黒が跳ねた。


小さい影に、黒が噛みつく。


裂かない。


裂きすぎない。


骨を折らない。


動きだけを止める。


止めたら、すぐ戻す。


その影が濃くなる。


白い体が光を受け、足元の影が大きくなる。


大きくなった影から、アラシが跳んだ。


黒は一撃で裂かない。


裂きすぎない。


噛みつくのは、動きを止める場所。


肩。


首の付け根。


体の線が崩れる場所。


大きい影が暴れ、尾で水面を叩く。


跳ねた水が霧に混じって、目が痛い。


痛いだけ。


泣かない。


泣くと見えなくなる。


ユキが前足を置く。


置くだけ。


押さえない。


重さを“預ける”。


預けた分だけ、相手の勢いが逃げる。


魔物は暴れようとする。


暴れさせない。


暴れると川が荒れる。


川が荒れると匂いが伸びる。


匂いが伸びると、人が来る。


二体目が輪に引っかかったまま、体を捻って抜けようとする。


抜ける前に、アラシが影から出る。


出るのは正面じゃない。


背。


背中の影。


一瞬だけ噛んで、すぐ沈む。


ユキが半歩引く。


引くことで、魔物は前へ出る。


出た先に、茨の輪。


もう一拍、ずれる。


アラシは影へ戻った。


戻す。


戻せるなら使える。


モリは矢を一本だけ使う。


倒す矢じゃない。


逃がす矢。


逃げる線を、川の外へ向ける。


魔物は水へ戻っていった。


戻った音も小さい。


水が吸う。


霧が吸う。


モリは息を吐く。


短く終わった。


それでいい。


採集。


必要な分だけ。


夜鋼は硬い。


硬いが、割れやすい。


割れやすいのに、割れる音が出にくい。


音が出にくいのが、逆に怖い。


割れたことに気づかず、欠けを持ち帰る。


それが一番まずい。


だから掘らない。


剥がす。


割れ目に木の楔を打つ。


打つと言っても、叩かない。


押す。


重さで沈める。


楔を押す手は、息と一緒。


急に力を入れると、石が鳴る。


鳴ると、霧が寄る。


寄ると、また魔物が来る。


だからゆっくり。


ゆっくりで、早い。


古森工房主の手順が、ここでも効く。


楔の木は乾いた芯。


樹脂を薄く。


滑らず、鳴らない。


石が、きしまずに開く。


割れる音が出ない。


割れ目から、夜鋼の筋が見える。


黒い。


濡れても光らない。


触ると冷たい。


冷たいのに、嫌な冷たさじゃない。


モリは布で包む。


一つ包んで、重さを測る。


二つ目。


三つ目。


それ以上は、取らない。


取れるから取る、をやると森が荒れる。


ユキが鼻を鳴らした。


“もういい”の合図。


アラシは影の中で尻尾を一度だけ揺らした。


同意。


白と黒。


呼吸が、少しだけ揃った。


帰る。


来た道を、同じ足で。


速くしない。


静かに戻る。


拠点に着いたら、まず手を洗う。


石の匂い。


川の匂い。


魔素の匂い。


落とせるものは落とす。


落とせないものだけ、残す。


夜鋼の包みを、炉のそばに置く。


置く。


まだ焼かない。


焼くのは次。


鉈剣。


爪の芯。


夜鋼の受け。


揃った。


揃ったら、次は手順。



次回。


クラフト。

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