アルバム

のりするめ

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小学2年生の時、僕はうんこを漏らした。



それは盛大に。



それはそれは、見事なくらい盛大に。



その当時、なぜか学校では「うんこをするのは恥ずかしいこと」という共通認識が、子どもたちの間で蔓延していた。



その考えは間違っている。ただ、その当時は子ども社会の中で一種の法律のような力を持っていた。犯したら逮捕!みたいな。



揚げ足取りの達人たちが、うんこをしている子を見つけては、「◯◯くんがうんこしてるでぇ〜!!!」っと叫んで廊下を走る。悪を見つけた正義のヒーローのように。



だから、うんこをすることは悪いこと。そういうふうに子どもたちは思っちゃう。ただ僕自身、その風潮の中で堂々と生きていけるような強さはなかった。だから僕も皆と同じように学校ではうんこをしないように心がけていた。



そんな僕は、うんこをよくするタイプだ。むしろ、うんこをしている時が日常の中でだいぶ上位に来るくらい、心に安寧をもたらす時間だと思っている。



後々、母親から教えてもらったのだが、僕が機嫌がいい時はいつも鼻歌が聴こえてきたと。だから母は鼻歌が聴こえてくると僕の所在がわかるので安心したそうだ。そしてほとんどがトイレにこもっている時だった。



当時は和式。ズボンを下ろし、しゃがみながら、僕は小窓の向こうに広がる青空を見上げて歌う。CMのメロディやアニメの曲などに勝手に簡単な歌詞をつけて。



「せいごっくん、せいごっくん、空にいるからせいごっくん」



兄の友達の名を、突然鼻歌で口ずさみ出したりするような、ちょっと不思議な子供だったらしい。



逮捕ー!



そんな安心と自由に満ちた時間は、学校には存在しなかった。だから毎朝、学校に行く前は、出る出ない関係なくトイレにこもった。



トイレに入りズボンをおろす。ふんばる。出ると安心する。出ないと出るまで、ひたすらふんばる。でも、どうしても出ない時はもちろんあって、そんな日には一気に今日1日が不安から始まる。



その日、うんこは出なかった。



とある授業中。何の前触れもなく、便意は突然やってきた。僕は座り方を変えたり、太ももをもぞもぞしたりして、必死に便意をいなしていた。しかし、だんだんと先生の話が入ってこなくなった。僕の全ての神経が肛門に向かっていた。必死に肛門を閉じようとする。やがて脂汗がにじみ出てきて、意識が遠のいていきそうだった。



「プツン」



と、耳の奥でなにか糸のようなものが切れる音がした。



僕の魂が一瞬、この体を抜け出した。そして遠くへ飛んでいこうとした。しかし途中で、「あ、あかん!」っと思った。そしたら魂は、猛スピードでズバンッと体に戻った。



僕は意識を取り戻す。



周りからは、ざわざわと騒ぐ皆の声がフェードインしてくる。僕は制服の短パンの下でうんこを感じている。それはお尻の下に敷いてあった、仮面ライダーRXの刺繍がしてある、母特製の座布団にまで侵食している。



もうわかっているのに、僕は背筋をぴっと伸ばし、まっすぐ前を見て、先生の授業を受けようとする。この真剣なまなざしと鬼気迫るオーラに、みんながたじろぎ、この場を制圧できないものかと一生懸命に黒板を見る。休み時間になれば、僕は静かにトイレに行くからと。



僕はまっすぐ黒板を見ながら、次第に溢れてくる感情を抑えることができなくなった。僕はただ泣くことしかできなかった。周りの子供たちは逃げまどい、叫び狂っていた。



そこからは断片的な記憶ばかりだ。 



先生に肩をもたれて廊下を寂しそうに歩く僕の後ろ姿。



蛇口で手を洗っている光景。洗いながら、そこで友達が給食のコッペパンを落とした記憶。洗って絞り、満面の笑みで縮んだコッペパンの塊を当たり前のように食べたこと。



保健室で体操着に着替えたこと。保健室の先生が全てを包み込んでくれるような優しい笑顔で迎え入れてくれたこと。



バカでかい紙袋に汚れた制服や下着、靴下を押し込み、ランドセルを背負いながら、重い足取りでとぼとぼ帰る後ろ姿。



いつもはそんなことしないのに、家からちょっと歩いた先まで迎えに来てくれた母の何と言えない表情。 



今ならみなぎる大人のパワーと、全世界のお腹弱い人たちの援助によって、僕は



「お母さ〜ん!僕は、今日うんこを盛大に漏らしてもうた!恥ずかしいし涙は出るし、辛くて辛くてたまらんくて、人生終わったと思った!ほんま堪忍してほしいよな!なんでうんこしたらあかんの?ようわからんよな、ほんま!なぁ、お母さん!めっちゃ疲れた!うん、なんかめっちゃ疲れてん。そんで、めっちゃお腹減った!なぁ、お母さん、夜ご飯なに〜!?」



って笑いながら話して、母と一緒になって笑って、兄と父にも話して、楽しく笑える時間を過ごせた気がする。



次の日、どうやって学校へ行き、教室の扉を開け、友達と接したのかは全く覚えていない。でも今生きてるわけだから、変わらず一生懸命生きたんだと思う。



つい最近、僕はふと、小学校や中学校の時の通信簿を見たくなった。そして今朝、実家から荷物が届いた。



僕は定期的に、実家で採れたお米を送ってもらっている。そして今回、いつものお米に添えられるように昔の通信簿があった。



それは父によって学年順に綺麗にファイリングされていた。僕は順番に見始めた。ちょうど小2を見終えたあたりに、その当時の授業で作ったであろうお手製のアルバムが出てきた。



そこには0歳から8歳の現在に至るまで、1年ごとに写真と簡単な文章が添えられていた。0歳。何年に生まれて、身長体重はどれくらいだったか。両親から聞いた、手書きのちょっとしたエピソード。よく笑い、すぐに寝てくれたので手がかからなかった、とか。



そして、小2のページになった。どこかの遠足での写真らしく、僕は友達と一緒に弁当を食べながら、とても楽しそうに笑っていた。そこにはうんこ事件の陰りが微塵もなかった。



あれ?



あの時のことを思い出すと、僕は人生終わったってくらいの体験をしたと思っていた。



もちろん辛かったんだろうけど、8歳の僕にも明日は当たり前のように来るのであって、実際に来た。僕は当たり前のように学校へ行って、それからも当たり前のように日々を過ごしてきた。



僕はそんな当たり前のことを、そのアルバムを通して知った。心配して損したと思いつつ、背中を押されたような、変な気持ちになった。



なんやねん、めっちゃ楽しそうやん。

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アルバム のりするめ @kadane106

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