第4話 ないない

 教室では既に大多数のクラスメイトが、机を合わせていくつかの島を作っていた。きっと体育の授業が早めに終わったのだろう。一人だけ青いジャージのままな僕は、机の上の制服をがっと掴み、逃げるようにトイレへと駆け込む。


「はぁ……」


 みんなが楽しそうにお昼ごはんを食べている中で、着替えなんてとてもできない。そしてうちの高校はなぜか男女平等に更衣室がないので、仕方なくここに来たのだ。


 個室の鍵をかけ、さっさと制服へと着替えていく。着替え自体はものの十数秒で完了したが、その間疎外感やみじめさといった、無数の負の感情が僕を襲った。

 外から笑い声が聞こえないことを確認し、僕はそっとトイレを後にする。


 扉をがらがらと開けて教室に戻っても、みんなからの視線を二秒ほど受けるのみ。言葉をかけられることはもちろん、不審がられることすらない。

 ただ音に反応して、その先に注視するほどでもない情報あっ立っていただけだ。


「――いただきます」


 孤立した小さな島で、僕は遅めのお昼ごはんをいただく。

 僕はこの一年一組に在籍こそしているが、実質的な居場所はない。初日の自己紹介で失敗して以降、クラスメイトと業務連絡以外で話したこともない。


 そんなだらけのモブな僕だが、いじめられていというポジティブな『ない』も存在している。正確には『いじめる必要もない』なのだが。

 いじめというものは、強者が強者の位置に居座り続けるために、邪魔者を敵とみなして攻撃する行為――と、僕は思っている。


 つまり邪魔者にすらなり得ないモブは、強者からの理不尽な攻撃は一切ナシ。仮にクラス内で問題が起こっても、全ての外側から低みの見物ができるというわけだ。


「ごちそうさまでした」


 教室内の上下以外の全方位から楽しそうな会話が聞こえる中、僕は黙々と弁当の中身を空にする。その後はトイレに行くなどして昼休みを潰し、五限目に備える。

 授業中は全生徒が平等に行動を制限されるため、モブの僕からすれば意外と居心地が良かったりする。まあ、面倒ではあるのだが。


「では、今日はこれで終わりだ。それと西羽にしば、放課後に着替えて校庭に来るように。五十メートル走とハンドボール投げの記録をやるそうだ」


 最後の最後に担任から名指しで指示され、僕は悪い意味で注目を浴びる……こともなく、ただ帰りの会の時間が十秒延びるのみ。ひそひそ声すらも上がらなかった。

 モブという立場に救われ、同時にどうしようもないむさしさが胸に残るのだった。


「西羽です! 放課後にわざわざすみません!」


「問題ない。準備運動をして、まずは五十メートル走からやるぞ」


 青ジャージに着替え、体育教師の待つ校庭へ駆け足で向かう。意外にも僕に雷は降ってこず、淡々と準備するよう促された。ここまで穏やかだと逆に怖いまである。

 軽く屈伸、そして足首をほぐして、消えかけのスタートラインに足をかける。


「位置について……行け!」


 体育教師の芯の通った声とともに、スタートの合図である右手が振り下ろされた。

 それを確認するのと同時に、僕はビートほどではないものの、そこそこガチ走りでゴールへと走り切る。果たして記録は……?


「――七秒九。記録して、次はハンドボール投げだ」


「はぁ……はい……」


 呼吸を整えつつ、持参した記録用紙に速いのか遅いのか微妙な『7.9』を記入。

 そしてすぐさまハンドボール投げの計測場所へ向かう。ギリギリ片手で保持できないボールを構え、何度か振りかぶる練習をやってみる。ちなみに意味は全くない。


「よし、投げていいぞ!」


 ついに教師から投球の許可が下り、僕は半身になりながら白線ギリギリまでスキップする。それと同時に、両手でボールを頭の上へ持ってくる。

 次に左膝でぐっと踏ん張り、腰をひねりつつ添えていた左手を外す。そして残った右手で、ボールを押し出すように投球する。


「よいしょおおおおっ!」


 張り上げた声とは裏腹に、思うように飛距離は伸びず。メジャーを片手にこちらへと駆け寄ってくる体育教師の姿に、僕は本当に申し訳なさしか感じなかった。


「十メートルだな。それじゃ記録しろ。用紙はなくさないようこちらで回収する」


 ハンドボール投げの欄に不名誉の『10』を記し、記録用紙を差し出す。教師は見るからに落ち込んでいる僕を見て軽くうなずき、そのまま職員室へと戻っていった。


「ありがとうございました!」


 こちらを見もしない教師に向かって深々と礼し、僕は一度教室へ戻る。

 各々部活動に行ったり下校をして、もう誰もいない一年一組の教室。ちょうどいいので躊躇なく制服に着替え、一日に二度も使った青ジャージをバッグへ押し込む。


 ――誰もいない。何をしたってリアクションは返ってこない。

 いやまあ、モブの僕が有人で何かやっても無視されるだけなんだけども。


「ないない、僕にはな〜んにもない。やっぱビートとは違うんだよねぇ……」


 誰もいないのをいいことに、湧き上がってくる負の感情を口に出して軽減する。

 僕は今日、五十分だけモブではなくなった。あの時確かに、僕には友達がいた。


 今はどうだ、一人みじめに泣き言を垂れ流している。せっかく自分から変わろうと思えたのに、ビートがいないと前にも後ろにも進展しない。

 しかし、それはただの結果にすぎない。前進しようともがく過程が無視されているだけで、僕の動きそのものは止まっていない。やれることを、ただやるだけだ。


「……ビートも言ってたな、水曜までモブ頑張ってこうぜって」


 ――詳しい意味もまだ分からぬまま、僕は天井へ静かに銃を突き立てた。

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