第三十七話
先日、詩乃がインタビューをした橘の営業の案件が社内でそれなりに広まったらしく、営業企画部と若手コンサル社員で、事例共有のミーティングが開かれることになった。
端的に言うと、成功した案件の内容と進め方を社内全体に共有するべく、他の課の数人が集まり、話をする場だ。
十名ほどが入る中規模の部屋に入ると、橘と男性が席について雑談をしているようだった。男性は営業企画部の近藤さんという名前だった気がする、と詩乃は会釈をした。
「すみません、ギリギリになりました」
詩乃が席につくと、若い女性が慌てて会議室に入ってきた。
顔に見覚えはないが、きっとコンサル部の人だろう。若手コンサルが、参考のためにこういう場に代表で来ることはよくある。
「じゃあ、揃ったので始めましょうか」
「はい」
「営業企画の近藤です。今日は、営業部の橘さんのアパレルトランスDX案件の共有です。売上改善も出てるし、営業的にもいい事例かなと思って。ゴールは橘さんの案件を横展開して、他案件での提案の型を作ることにあります。みなさん軽く自己紹介お願いします」
「広報の新田です。記事の参考に参加させていただきます」
「コンサル部の山内です。部内の共有用に参加させていただきます」
「営業の橘です、よろしくお願いします」
詩乃はノートパソコンを開いたまま、姿勢を正す。
四角い長いテーブルの向かいに橘がいて、その横に営業企画。斜め向かいには緊張した顔の若い女性が、すでにノートとペンを構えていた。詩乃もパソコンを開いて姿勢を正した。
「じゃあ橘さん、最初の相談から簡単にお願いできます?」
「はい、クライアントは中堅のアパレル企業で、店舗数が三百くらい。最初の相談は、DXっていうより、在庫どうにかならないかっていう話でした」
橘は椅子の背に少し寄りかかりながら口を開く。
コンサルの山内がすぐに顔を上げる。
「在庫管理の精度ってことですか?」
「そう、店長ごとに発注してて、余る店と足りない店が極端でした」
「最初はデータ分析だけの予定だったんですよ。売れ筋と店舗傾向を出して、発注精度を上げるっていう」
「それがAI発注に変わったんですか?」
「途中で気づいて。分析しても、店長判断のままだと結局ブレるなと」
「ああ…」
「だから提案を変えた。本部一括発注+AI予測」
詩乃は会話には参加せず、基本的にはキーボードを打ち込みながら聞く。
先日と同じようにボイスレコーダーは起動済みだ。
こないだの録音は、再生すると口元が緩んでしまいそうで、でも削除する気にもなれずにいた。
橘の声は、会議室の空調の音の中でも妙に聞き取りやすい。
話はどんどん進んでいき、コンサルの山内は積極的に質問をしていた。若手でここに来させられるだけあって、それなりに熱心だなという印象を持つ。
「まあ現場、というか店長は最初かなり反発してましたが」
「自分たちの経験を無碍にされたって感じですかね」
「はい、なんで本部が決めるんだっていう声が上がったらしく」
コンサル部と営業企画は事例の数字や内容を重要視しているが、詩乃が書く記事は外部向けなので、それなりのストーリーがいる。心情などを詳しく聞きたく、詩乃も声を上げた。
「それ、どうやって納得してもらったんですか?」
「各店舗の在庫ロス。売れ残り。機会損失の数字を見せた」
橘はほんの一瞬だけ、少し楽しそうに詩乃を見た。
同期だからここで敬語を使っても変なのは分かっているが、わざとらしく自分の質問の時だけ敬語を外されると、それはそれで目立つというか。
付き合っていることを公にするのは、もう少し後がいいと言った詩乃に、詩乃の心の準備ができたらいいよ、と橘は言った。
ただ、橘の性格上、それを大人しく待つだろうか?
何かの拍子に、偶然バレてしまうという、それが狙いなのではないかという深読みさえさせてしまう。
明らかにこちらを見て、にやりと口角を上げた橘から、詩乃は急いで視線を逸らした。
橘の視線を振り切るように、キーボードを叩く指に力が入る。カタカタと無機質に響く音が、心なしかいつもより速く、尖っている気がした。
他のメンバーはパソコンのモニターに目線がいっていて、幸い気づかれてはいなさそうだった。
その後も積極的に言葉が飛び交い、詩乃は必要最低限の発言に留めた。
そうして会議が終わり、営業企画の近藤は次があるのでと急いで挨拶をして退出していった。詩乃も最後の文章を打ち終わり、タブを閉じようとしていたところだった。
若手コンサルの山内が、橘に言った。
「すごく勉強になりました、橘さんありがとうございました」
「いえいえ」
詩乃がちらりと視線を上げると、山内が橘を見つめる視線は、まっすぐ、少し尊敬したような視線に感じた。
「最初の相談ってDXじゃなかったんですよね」
「そうですね」
「そこからAIまで持っていくのって、営業としてすごいと思います」
「ありがとうございますー」
橘の口調は何気なく、顔には愛想笑いが張り付いていたが、山内は身を乗り出して橘に話しかけていた。
詩乃はこの場にいてはいけないような気がして、パソコンを畳んで席を立ち上がった。
「営業さんなのに、課題定義して、業務設計まで踏み込んで、チェンジマネジメントまで踏み込んでいるって、私たちの仕事無くなっちゃいますよ」
「はは、すみません」
会議室を閉めておきますね、と近藤に橘が言っていた手前、一人で会議室を出ることはできないのだろう。
別に今までもこんな場面は山ほど見てきたし、橘の口調もいつものそれで、これくらいで嫉妬という感情は湧かない。
「お疲れ様でした」
「あっ、お疲れ様でした」
「…お疲れー」
橘は、きっと気にしているんだろう。
詩乃も逆の立場だったら、早く何か相手に弁解したいと思っていただろう。
山内の立場を考えると、自分は早く立ち去った方がいいだろうし、何も気にしていないので橘は気にしなくていいのに。
視界の端で、橘の整った横顔が、山内さんに向けて柔らかく動くのを捉えてしまう。
「え、お知り合いですか?」
「同期なんですよ」
「そうなんですね!」
そんな会話が聞こえる中、会議室の扉を閉めた。パタン、と重いドアが閉まり、二人の声が遮断される。
静まり返った廊下の空気は、先ほどまでの熱を帯びた会議室とは対照的に、ひどく冷たく感じられた。
いつか一緒に案件ご一緒したいです、という山内の言葉が、扉を閉める直前に聞こえてきた。それがしばらく耳に張り付いていた気がするが、すぐに頭の中を仕事で埋める。
付き合うことを公表しないということは、こういう場面で橘が彼女の存在を口に出せるということでもあるのか。
言えない不自由さを選んだのは私なのに。
否定してきたのに今更、バレたくない、そんな自分の保身だけ考えていた数日前を、少しだけ後悔した。
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