第11話「準国民居住区 ── 法の盾」


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国家債務残高:¥1,532,784,100,000,000

ダンジョン税収:¥0

配信視聴者数:3,200人

カウントダウン:300日

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 法律というものは、紙の上では万能に見える。


 D税法第十五条。「長官は、ダンジョン内の一定区域について調査を行い、知的生命体の定住が確認された場合、当該区域を準国民居住区に指定することができる。指定後は、他省庁の当該区域に関する許認可権限は停止され、ダンジョン資源管理庁との再協議を要する」


 条文としては完璧だ。指定すれば、経産省経由のJADE採掘権申請は即座に無効化される。ゴブリン集落の地下三階から八階は日本国の法的保護下に入り、民間企業が勝手に掘り返すことはできなくなる。


 問題は、条文を動かすのは人間だということだ。



    *



 午前七時。庁舎。健一はマルサと並んで申請書を仕上げていた。


「準国民居住区指定申請書。対象区域:東京新宿ゲート・ダンジョン地下三階から八階。居住知的生命体:ゴブリン種、推定二百三体。定住確認方法:現地調査および資産スキャンによる居住実態の確認。添付資料:翻訳記録、交易記録、集落配置図、経済分析レポート」


 マルサが読み上げる間、健一は最後のページに署名した。


「申請者、ダンジョン資源管理庁徴税課主任徴税官、瀬戸川健一。——長官の決裁をもらう」


 申請書を持って税所の執務室に向かった。雑居ビルの三階、パーティションで仕切っただけの六畳。長官室というには寂しすぎるが、税所美鶴は扇子を畳んで申請書を受け取り、一ページ目から最後まで三十秒で目を通した。


「添付資料の経済分析、ここの上納金のデータソースは」

「マルサの資産スキャンとガルガへのヒアリングです。壁面の線刻記録とも照合済みです」

「裏取りは十分ね」


 税所がペンを取った。だが、署名する前に止まった。


「健一くん。これを出したら、経産省は黙っていないわよ」

「分かっています」

「経産大臣は鬼頭隼人の元上司。JADEの採掘権申請を押し通すために、閣議で反対する。財務大臣が押し切れるかどうかは五分五分」

「五分五分でも出す価値はあります。出さなければゼロです」


 税所が眼鏡の奥で目を細めた。


「……あなた、本当に忖度しないわね」

「それで左遷されたんですから、今さら変えても仕方ない」


 税所が署名した。日付、決裁印。庁の公印を押す音が、安い事務机に小さく響いた。


「申請を受理する。内閣府経由で閣議に上げます。——覚悟しておいて。二十四時間以内に経産省から電話が来る」


 十六時間だった。



    *



 翌朝午前一時。健一の携帯が鳴った。表示は非通知。


「瀬戸川主任徴税官ですか。経済産業省資源エネルギー庁の者です。準国民居住区の指定申請について、事前協議をお願いしたい」

「事前協議。D税法第十五条に事前協議の規定はありませんが」

「省庁間の慣例として」

「慣例は法律に優先しません。申請は長官決裁済みで内閣府に提出されています。ご意見があれば閣議の場でどうぞ」


 電話の向こうが三秒沈黙した。


「……分かりました。閣議で申し上げます」


 切れた。マルサが記録していた。


「通話時間四十二秒。相手の声紋を分析しましたが、資源エネルギー庁の公開データベースに一致する職員は見つかりません」

「つまり経産省の人間じゃない」

「あるいは経産省の中でも公式の立場で電話できない人物です」

「鬼頭の息がかかった奴か」


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▶ LIVE ダンジョン資源管理庁 公式👤2,840


💬 霞が関OB  :深夜1時に省庁間で電話って異常だぞ

💬 名無し   :経産省必死すぎ

💬 法学部2年 :事前協議って法的根拠あるの?→ない

💬 名無し202 :おにぎり公務員vs巨大利権

💬 経済ヲタ  :JADEの採掘権申請額見たことある人いる?→非公開

💬 深夜の税務署:マルサちゃんが声紋分析してるの頼もしい

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 なお、この通話のやり取り自体がライブ配信に載っていた。深夜でも二千八百人が見ている。おにぎり公務員の視聴者は不眠症が多いらしい。



    *



 閣議は三日後だった。


 税所から逐一報告が入る。


 一日目。経産大臣が準国民居住区指定に反対する旨を官房長官に伝達。理由は「民間企業の経済活動の自由を阻害する」。


 二日目。財務大臣が税所のレポートを閣僚に回覧。ゴブリン集落の経済分析とDGP推計。年間十兆から十五兆円の税収ポテンシャル。回覧を読んだ国土交通大臣と厚生労働大臣が「興味深い」と反応。


 三日目朝。閣議前。税所から電話。


「経産大臣が最終抵抗を試みている。『準国民居住区の指定は、ダンジョン開発の民間参入を事実上封じるものであり、自由経済の原則に反する』と主張するらしいわ」

「自由経済の原則を持ち出すなら、住民の権利保護も同じ原則ですが」

「そう返すつもり。——あと一つ。今朝、総理秘書官から個人的に連絡があったの。『総理はダンジョン税収に興味を持っている。閣議では中立だが、妨害はしない』と」

「中立は事実上の容認ですね」

「あなた、政治の読みも悪くないわね」

「税務調査は相手の出方を読むのが九割です」


 閣議。午前十時から十一時半。


 健一はその間、ダンジョンにいた。ゴブリン集落でキノコの生育状況を確認しながら、地上の結果を待っていた。


 種菌ブロックから最初のシイタケが顔を出していた。小さな茶色い傘。ガルガが信じられないという顔で見つめている。


「ケンイチ。本当に生えてきた」

「言っただろう。十日で生える」

「俺は半信半疑だった。石みたいな塊から食べ物が出てくるなんて」


 ガルガが慎重にシイタケをもぎ取った。匂いを嗅ぎ、一口齧る。生のシイタケは人間にとっても生食向きではないが、ゴブリンの消化器官は違うらしい。ガルガの目が見開かれた。


「……おにぎりとは違う。土の味がする。だが、良い土だ」


 周囲のゴブリンが集まってきた。残りのブロックにも白い菌糸が広がっている。数日以内に大量に収穫できるだろう。


 ガルガが健一を見た。


「ケンイチ。お前が来る前、俺たちの食べ物は芋と、上から来る干し肉と、たまに取れる虫だけだった。おにぎりを知って、キノコの育て方を知って——世界が広くなった」

「広くなったのはお前の力だ。俺は種を渡しただけだ」

「種を渡す奴がいなければ、畑は始まらない」


 マルサが〇・三秒。


「業務報告。閣議の結果が衛星回線で通知されました」


 健一が手を止めた。


「結果は」


 マルサがHUDを投影した。


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■ 閣議決定通知


準国民居住区指定(第1号)

対象:東京新宿ゲート・ダンジョン

   地下3階〜8階

告示番号:ダ資管告示第12号

施行日:即日


決定:賛成多数により承認

反対:経産大臣(1名)

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 経産大臣だけが反対。残り全員が賛成か棄権。


 通った。


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▶ LIVE ダンジョン資源管理庁 公式👤3,200


💬 名無し   :きたあああああ

💬 霞が関OB  :経産大臣の単独反対は政治的に苦しいな

💬 法学部2年 :準国民居住区第1号!!

💬 経済ヲタ  :JADE詰んだ。採掘権申請は自動的に無効

💬 名無し315 :ゴブリン集落が法律で守られた日

💬 おにぎり党員:キノコ生えてるシーンと同時に閣議決定とかドラマかよ

💬 元国税   :瀬戸川、よくやった

💬 名無し420 :経産大臣の反対理由が知りたい

💬 深夜の税務署:マルサちゃんがHUD投影する時の指の角度がいつもと違う

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 健一はHUDの文字を見つめていた。


「マルサ。これで何が変わる」

「D税法第十五条の効力により、経産省を含む他省庁の当該区域に関する許認可権限は即日停止されます。JADEコーポレーションの採掘権申請は法的根拠を失い、却下されます」

「つまり」

「ゴブリン集落の地下三階から八階は、ダンジョン資源管理庁の管轄下に入りました。民間企業が勝手に掘ることはできません」


 ガルガが横で聞いていた。翻訳は完全ではないが、「守られた」という言葉は理解した。


「ケンイチ。俺たちの場所が守られたのか」

「ああ。日本の法律で、お前たちの住む場所を守ることにした。今日からここは『準国民居住区第一号』だ」

「準国民居住区。……長い名前だな」

「日本の法律は名前が長いんだ」


 ガルガが笑った。だが次の瞬間、真剣な顔になった。


「法律とは何だ」


 健一は少し考えた。翻訳精度の問題ではない。「法律」をどう説明するかという、本質的な問いだ。


「みんなが守ると約束した決まりごとだ。一人が勝手に決めるんじゃない。みんなで話し合って、みんなが従うと決めたルール。破ったら罰がある。でも大事なのは罰じゃなくて、みんなが約束したという事実の方だ」


 ガルガが黙って聞いていた。


「俺たちにも掟がある。集落会議で決める。全員が声を出す。破ったら族長が裁く。——同じか」

「同じだ。規模が違うだけで、やっていることは同じだ」


 ガルガが拳を差し出した。


「約束を守る奴は信用できる。お前は守るか」

「守る。それが俺の仕事だ」


 拳を合わせた。


 マルサがこのやりとりを録画していた。〇・三秒の遅延。業務記録としてではなく、何か別の基準でこの映像を保存したかのような、微かなログの異常値。


 国分博士が後にこのログを見て、何も言わずにエナジードリンクを飲み干す。



    *



 その夜。鬼頭隼人の港区のオフィス。


 閣議決定の報を受けた鬼頭は、デスクの書類を床に叩きつけた。秘書が怯える。


「準国民居住区だと。——たかが雑居ビルの役人風情が」


 電話を取った。国会議員の事務所。


「先生。民営化法案の準備を前倒しにしてください。ダンジョン資源管理庁そのものを潰す法案を。D税法ごと廃止する」

「鬼頭くん、それは——」

「先生の選挙区への寄付金は、来月の分も含めて前払いできます」


 三秒の沈黙。


「……検討する」


 鬼頭が電話を切り、窓の外の夜景を見た。東京タワーの赤い光。その地下に、自分の利権を阻む公務員がいる。


「ダンジョン民営化法案。——あの男の仕事ごと消してやる」



    *



 翌朝。庁舎。


 健一はいつものデスクで帳簿を開いていた。


 ──準国民居住区第一号指定。告示番号ダ資管告示第十二号。対象:地下三階〜八階。施行日:即日。


 備考欄にこう書いた。


 ──ガルガに法律の話をした。「約束を守る奴は信用できる」と言われた。守る。


 マルサが覗き込んだ。


「業務帳簿に個人的所感を記載するのは——」

「備考欄だ」

「了解しました。なお、JADEコーポレーション代表取締役・鬼頭隼人が昨夜、国会議員三名と通話しています。通話内容は不明ですが、通話先はいずれもダンジョン政策に関与する議員です」

「監視してるのか」

「公開情報の収集です。携帯電話の基地局接続データは通信事業者の公開レポートから推定可能です」

「……それは公開情報と呼んでいいのか」

「法令データベースを参照しました。違法ではありません」

「違法じゃないことと適切なことは別だぞ」

「記録しました。『違法ではないが適切でないことがある』。人間の倫理は複雑です」


 税所から電話。


「お疲れさま。準国民居住区第一号、正式に告示されたわ。ニュースサイトが取り上げ始めてる。『日本初、ゴブリン集落を法的保護区域に指定』——見出しとしては悪くないでしょう」

「税収はまだゼロです」

「分かってるわよ。でもね、ゼロでも法的基盤ができた。基盤がなければ税収もない。順番通り」

「次は合意書の締結です。ゴブリン集落との正式な課税合意を——」

「急ぎなさい。鬼頭が動いてる。民営化法案を国会に出す準備をしているらしいわ。法案が通ったらD税法ごと消される」

「消される前に、実績を積むしかない」

「その通り。——おにぎり、いくつ握った?」

「今朝は五十個です」

「足りないわね。百個にしなさい。友好関係は量よ」

「経費を出してくれるなら」

「検討する」


 電話が切れた。「検討する」は税所語で「出さない」だ。もう学習済みである。


 健一は帳簿を閉じ、リュックを背負った。中身はおにぎり五十個とカラーセロファン(赤)十枚。昨日の続きの農業改良と、準国民居住区指定の正式な告知をゴブリン集落に届ける。


「マルサ、行くぞ」

「了解。本日の配信視聴者数は起動時点で三千二百名です。準国民居住区のニュースで流入が増加しています」

「三千二百人に、法律の退屈な手続きを見せるのか」

「退屈ではありません。三千二百人はこの手続きを見たくてアクセスしています」


 新宿ゲート。降りる。地下三階。地下五階。


 集落の入口に、ガルガが待っていた。いつものように。


 だが今日は、隣に老ゴブリンの長老が立っていた。杖を突き、首の装飾品を揺らしながら。


 長老が健一を見た。そして初めて、健一に向かって両手を合わせた。


 マルサが翻訳した。


「『地上の法が我らを守ると聞いた。約束を果たした者に、長老の礼を贈る』」


 健一は頭を下げた。安いスーツのまま、地下五階の苔の光の中で。


「まだ始まったばかりです。これから先も約束を守ります」


 税収は依然ゼロだ。国の借金は一千五百三十二兆円。一円も減っていない。


 だがゴブリン集落は法の保護下に入った。JADEの手は届かない。


 法は盾だ。だが健一にとって、それは始まりに過ぎない。


 盾の後ろで、次の一手を準備する。合意書の締結。初めての税収。ゼロを一にする日が近い。


 キノコが生え、法が守り、約束が繋ぐ。


 あと三百日。



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第11話「準国民居住区 ── 法の盾」了

次回──第12話「初めての納税 ── ¥8,064,000の重み」

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