技術は何のため?への応援コメント
これは、小説に限った話ではないかもしれませんが。
コミュニケーションとして、相手に自分の考えを伝えるのに、
絶対に間違って欲しくないことと、
どちらでもよいこと、究極言えばこの二つに分けられます。
ポイントを絞りすぎると、その背景や理由が伝わらず、
かえって本題の重要性が理解してもらえないかもしれない。
装飾を施しすぎると、本題が埋もれてしまったり、
そもそも時間と手間の問題で、入力が拒まれるかもしれない。
サジ加減が難しいですね。
作者からの返信
この話を書いた時にはコミュニ―ケーションのことは意識の外にありましたが、確かにそこまで一般化できますね。
聞く(読む)人の興味がどこで離れるかというのも個人差がありますし、どこかで割り切る必要があるのでしょうね。
重要なものに重みをかけていれば最低限は伝わるし、相手の興味が続いてくれれば周辺情報も拾ってもらえて、より深いコミュニケーションが成り立つ、といった寸法でしょうか。
相手の興味を引きつけるのもまた技術の一つですよね。
技術に終わりが見えません><;
音の響きとリズムも意識してみるへの応援コメント
もうこれは、私のための話ですね。
また私の創作法で失礼します。
私の脳内で、まずは映像作品が出来上がるのです。
それはラジオドラマのこともあり、
執筆を具体的に始めると、
それは朗読劇に変換されていきます。
それを文字に起こして作品としていますから、
句読点は、まさに息継ぎのための休符だったり、
次に続く言葉を強調するためのタメであったり。
私の場合は、これが基本のスタイルです。
作者からの返信
いえいえ、他の方の執筆過程を伺う機会は貴重なものです♪
感謝しています。
私はあまり意識したことはありませんでしたが、考えてみると私も同じような書き方をしている気がします。
もっとも、映像などの解像度に結構差がありそうな気もしますが。
朗読ありきで書いてると、一般的な執筆作法からすると変なところに句読点入りますよね。
これを無理に直すと途端に生命力が失われる気がして、私も自身の感じるままに打っています。
ここのスタイルは、ムーゴットさんも私も似ているのかもしれませんね。
同志を見つけた気分です😊
構成はマトリョーシカへの応援コメント
勉強になります。
私の文章を書く学びは、多分中学生ぐらいで終了しています。
後は完全に自己流。
カクヨムで書き始めてもうすぐ2年。
それ以前は40年ぐらい読書から離れていたわけです。
なので、筋金入りの自己流。
私の創作は、まずは描きたいエピソードが先行。
そこに至る前振り、そして後日談、そうして物語が生まれる。
しかもプロットらしきものは脳内だけで、
キャラクターは、勝手にセリフを吐き始める。
一人称作品が多いのもそれが理由かもしれません。
つまり、『勢い』だけです。
良いのか悪いのか、私の考え方として、
文章は情報として正しく伝わっていれば、まずはそれでOK。
映像化など前提の原作のつもりで描いていますから、
余韻とか、プラスアルファの部分は、その時に表現できれば、とか。
兎角身勝手な作品たちを公開しています。
ちょっと反省。
作者からの返信
恐縮です😌
誰かに直接師事して執筆を学ぶというのは、現代では結構珍しいんじゃないかって私は思ってます。
学ぶための本は沢山出てますけどね。
勢いで書かれた文章には往々にしてプロット主導で書かれた文章にはない「生きた」魅力が宿るものですし、やはり理想は両立できることなのでしょうね。
おそらく簡単に出来る方法は無いのでしょう。
各々が得意な二人が組んで書くとかしない限りは。
時々二人で執筆されてる方々は、そんな役割分担をしてるんですかね?真面目に考えたことありませんでした。
>文章は情報として正しく伝わっていれば、まずはそれでOK。
この辺りの考え方は、私も似たようなものですね。
今はメディアミックスの時代ですから。
「文章」のみに固執するのは、悪く言えば古典芸能のようなものかなと。
もっとも、純粋であるがゆえの価値はあるでしょうし、良い面も多々あるとは思いますが。
リズムを支える「こそあど」言葉への応援コメント
学生の頃の国語のテストを思い出しました。
「これ」とは、何を指しているのでしょう? といった設問。
対象が単語ならまだしも、
「そう考えています」の「そう」を問われると、
文章として答えを探すことになり、時に難問です。
カクヨム界隈では得意な方が多いと思われますが、
一般の読者、普段読書などしない方に伝えるには、
どんな表記がベターなのか。
私はそこにこだわっています。
作者からの返信
こそあど言葉って、いわゆる後置修飾だから英語的表現なんですよね。
日本語文章の執筆指針としては、なるべく避けなさいというのはやはり正しいのかもしれません。
「そう考えています」は本文中で何度か使ってますね。
これらは前文にかかってるのでOK、というのが私の基準の一つです。
しかし、後半に出てくる「これ」とか「それ」は文章全体だったり主題を指していたりと、少し厳しい使い方にも見えます。
>一般の読者、普段読書などしない方に伝える
これは難問ですよね。
私も一時期は真面目に考えていましたが、最近はあまり意識してませんでした。
ここでこんな話になったのもいい切欠です。
もう一度考えてみます😊
行頭一字下げについてへの応援コメント
当企画「字下げ・改行のマイルール&美学を語る企画」へのご参加ありがとうございます!
良かれと思って重ねた手法(一字下げ+毎文改行)が、かえって「左側の壁」や「行頭のガタガタ」という自己矛盾を生んでしまう……というロジックを、実際のレイアウト変化で見事に実証されていて深く納得いたしました。
「スマホでの可読性」の本質や、段落構造の視覚効果について深く考えさせられる、まさに美学と理性の詰まった素晴らしい創作論をありがとうございます!
作者からの返信
素適なコメントありがとうございます😊
企画に対応してるのはこの話だけですが、ここはドンピシャでしたので参加しました(笑)
本文を使って実演しつつ論じるというのがここでの取り組みでしたので、そこ褒めて頂けて、とても嬉しいです♪
もともと文字の壁って言われてたのは行頭のことではなく、改行なしで書いた時に生まれる文字の面のことだったんじゃないの? って最近は思ってます。
段落が長いと画面が文字で埋まるので、それが壁のように見えるということでしょうか。
時々見かける行頭一字下げ警察にうんざりして書いたエピソードでした😆
技術は何のため?への応援コメント
ジャパンプリン先生ならどの道でも極められそうです🐤✨
こうやって知識や経験として積み上がるっていきそうな記事を書いておられるし🌈
私のエッセイ、、、
思いついたものを思いついたままに書いているだけだし、、、
犬のフンとか書いてるし、、、(笑)
作者からの返信
これは完全に言い訳になるのですが、この話は昨日眠気と戦いながら書いたからか、後半部が誤解を与えかねない内容になっていますね。
ですので少々長めの補足を入れました。
実は、『誤解を与えない』ことと『想像の余地を残す』というのは相反するものではなく相補的に働くものだから、そこは意識して制御しましょうねっていうお話でした。
その上で、『書いた』部分そのものに関しては『誤解を与えない』というのが理想でしょうか。
もっと内容の整理が必要だったのでしょう。
でも、勢いで書いてるとこういうこともままあります😁
ちなみに、犬のフンのくだりは、私は良かったと思います。
私の脳内にも衝撃の絵が浮かんできました。
そして書かれていない部分に関しては私が自由に想像できる。
そこの切り分けがしっかりされてて良かったなーって。
音の響きとリズムも意識してみるへの応援コメント
私も気にはしているのですが、「多少読みにくくてもこの文でいきたい」となることが多いです(笑)
そこらへんが読者を意識しないダメなところなのでしょうけど(笑)🐤
ジャパンプリン先生の句読点は特に気になったことはないです✨
やはり書き続けているからか、どんどん小説力がレベルアップしているのがわかります❗❗
作者からの返信
お褒め頂き恐縮です。
技術的には四章までは練習で、五章からが本番って感じですもんね。
やまたぬさんの作品は、たしかに音で引っかかる感じはあんまりなかった様な気がします。
これは、一度確認しに行かなくては(笑)
こういうのって、引っかかる時は気になるけどそうじゃないときは気にも止まらないんですよね。
この文章、音読したときのリズムが良いから好き、とはなかなかなりませんもんね。
音の響きとリズムも意識してみるへの応援コメント
成程、「発音重視」の句点ですか。
その発想は無かったですね〜〜
私は「2行以上になる場合は必ず読点を入れる」と「読点は一文に一個以上入れてはならない」という決まりを作って書いていますね。
文の構成上、どうしても二つ以上読点を入れたい場合は分割して書いています。
2行以上あるが読点を入れられない場合は、書き方を見直します。
しかし、この「書き直し」が難しいんですよ……
場合によっては表現を1から書き直します。
私自身、書く時の優先度は
[面白さ]<[読み易さ]<[書きたい]
という「読み易さ」を重視した書き方ですので、厳しい自己審査の上やっと「1話」が書き終え更に公開前にも自己審査をします。
この時に「表現を変える」という行為を何度も繰り返すので私の様に気にし過ぎるのはいけないと思います。
国語が苦手なので、「修飾」「被修飾」の様な事は考えず。
「違和感」や「読みにくさ」「読者と筆者の受け取り方の違い」を排除する為の、「句点」として活用しています。
まあ、それ以外に「句点」の使い道はほとんど無いのですがね。()
作者からの返信
>私は「2行以上になる場合は必ず読点を入れる」と「読点は一文に一個以上入れてはならない」という決まりを作って書いていますね。
なかなか厳しい縛りを設けていらっしゃるのですね。
エッセイや創作論だと私は自由に描いてるので読点の数はまちまちですが、小説の場合は結果的に本の虫さんに近い状況になってますね。
ただ、それはなるべく一文を短くしようとした結果そうなってるって感じでしょうか。
むかーし聞いた、文章構成論という講義では読点の数は可能な限り減らせと言っていましたね。
減らせないなら構造が悪いから書き直せ、と。
対称的に、私の師は結構入れて超長い文を作る人でした。
今の私は減らす派ですね。
この『構造が悪いから書き直せ』ですが、まともにやろうとすると上流にまで波及するんですよね。
これは前話で述べた『段落ごと書き直し』にも通じる面があると思います。
大変ですが、これが出来るかどうかで推敲の能力はかなり変わると思うので、頑張って下さい😊
とても良い取り組みだと思います。
句点の扱いは、私は基本的には文法重視で時々リズム優先の文法崩しって感じですね。
こっちは実は、普段はあんまり意識してない気がします。
それ、必要ですか?への応援コメント
ご紹介に与りました真野魚尾です! 不快どころか有り難いです!
文章量の削減や描写の取捨選択はどこまでもついて回るテーマですよね。私の創作論はほぼほぼ自分の経験から導き出した持論にすぎませんが、ジャパンプリン様の創作論は理路整然としてとてもわかり易いです! 真面目に勉強させていただきます!
作者からの返信
こちらこそありがとうございます。
それはここで必要なのか、という問いは私の修行時代にそれはもううんざりするほど叩き込まれた執筆の原則でしたので、この話を書けたことに満足しています😊
この問いが物書きとしての私を支えてくれたといっても過言ではないでしょう。
それだけに、奇しくも真野さんも同じことを述べておられて、私は深く感銘を受けました。
短文タイトルの付け方(実践編)への応援コメント
タイトルって本当に難しいですよね、
名は体を表す。
その様なタイトルばかりを考えてつけるので皆、ああ言うあらすじの様なタイトルになってしまうんですね。
名は体を表すを体現した様な、美しいタイトルをつけられる様になりたいですよね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
あらすじ系のタイトルは、あれはあれで高度な分析の結果生まれてきた背景があるようですので、その努力を否定するつもりはないのですが、私の考えではタイトル=名前ですので、なるべく短く美しく、象徴的な名前を付けてあげたいなと常々考えています。
WEB小説において、短文タイトルというのは一種の縛りプレイになるわけですが、立場上私はそれでも構わないというスタンスですね。
PV増加のための合理性という観点からは、短文タイトルのメリットは皆無と言っていいでしょう。
ただし、象徴的なタイトル付けは構成力の基礎にもつながるので、その意味では習慣化した方が良い。
私の考えはそんなところです😊
短文タイトルの付け方(実践編)への応援コメント
今日はたくさんコメントをしてしまっていますね🐤💦
私も短文タイトルが好きです✨
ただ、タイトルはてきと、、、フィーリングで決めます(笑)
作者からの返信
いえいえ、私はコメント大好物です😋
フィーリングで決めるのもアリだと私は思います。
私はその辺が少々弱いのでこのような方法を取っていますが。
長々と書きましたけど、これも所詮、沢山ある選択肢の一つに過ぎないかと考えています。
構成はマトリョーシカへの応援コメント
なるほど、、、難しい(笑)🐤💦
ものすごく簡単に言うと、大きいところから順に小さいところへであってますか❓️
④までで完成したのがプロットなんでしょうか❓️
カモメはこうやって作られているのですね🐤✨
作者からの返信
そうですね。
仰る通り、大きいところから小さいところで合ってます。
カモメの場合ですと、まずは第一章の主題(出会いから婚約まで)が先にあり、その後は章ごとの主題がストーリーになるよう配置しました。
各章内でのエピソード群、つまり②以下の項目は、章開始時に決めています。
これが章内プロットですね。
ただこれも、書いてるうちにズレるので、そこは適宜調整しながらになります。
クッソ面倒くさかったです(笑)
キャラたちは好き勝手なこと始めるし、その都度修正が入ります。
でもまあ、章の区切りで大部分はリセットできるので大枠のストーリーはそこまで影響は受けないのですが。
行頭一字下げについてへの応援コメント
個人的には横にスペースがあると「文字が沢山詰まってる」って感じがしなくなって「読む気」を少しでも上げれるのかな?とか思ってます。
全ての行頭で空ける必要は無いと思うけど、全く無いよりは良い気もしてる。
【追記】
難しい話しですよね〜〜
作者からの返信
実際、どうなんでしょうね。
私はもう、自分が気にならないから、という理由の一点のみで一字下げは止めました。
ちなみに、私も過去には空白行後の先頭行だけ一字下げをしていた時期もあります。
どちらかというと、その辺りの経験則からくる作法を持ち出して「これが文法だ」などと言い切って、それ以外は間違いだと断罪しする人々への反発が出発点ですね。
正直、作者の好みで決めてもいいし、読者が好むと言われる形に合わせるのも良いかと思います。
ただ、それはどちらが正しいとか間違ってるという話ではなく、あくまで作者の選択だ、というのが私の考えですね。
行頭一字下げについてへの応援コメント
改行とかは好みによるんですかね❓️
WEB小説の読者層に合わせるとやっぱり改行してあるほうが読まれてる気がしますよね。
「文字で埋まってるとそれだけで読まない」という人もいますしね💦
小説然としてるものは読まれにくいというのはありますよね💦
なかなか難しい世界ですよね、WEB小説🐤💦
余談ですが今村翔吾先生は「紙面が黒くなりすぎないようにしてる」と言っていた気がします🐤
漢字とひらがなのバランスのことを指した発言です❗
先生がカモメを完結するころには、創作論がたくさん書けそうですね👍✨
作者からの返信
コメントありがとうございます。
実際、台詞の前とかは改行を入れてくれてると読みやすいな、とかは思いますね。
地の文だけで綴るエッセイなどとは違い、カギ括弧を用いた会話文の入る小説の場合、段落区切りをどう目立たせるかが問題だなと、私も頭を悩ませています。
一時は改行二つで区切ったこともあります。
これも悪くはないけど、そんなに良くも無い。
そう考えて、最近はあまり意識しなくなりました。
WEB小説の記法に関する慣習って、色々な試行錯誤の末に辿り着いたものだということは理解しているのですが、それを翻って「文法」だと言ってしまっている人たちも散見されます。
それはちょっと違うよね、と常々思っていたので、ここで吐き出した。
そんなお話でした。
読みやすさ重視というのは私も意識していて、私の作品では、一般にはタブーと言われる「」内での改行や行頭揃えもやりますし、一文が長い場合は読点での改行もやってますね。
全ては読みやすさのための自己判断です。
それで通じるならそれでいいだろう、と。
誰かがこう言ってるから、とかこれが常識だから、などという尺度で判断するのは、創作者が忌み嫌うべき思考停止だと私は考えています。
文章の記法は作者が目的に応じて選択するものだ、という主張を本文に込めてみました。
「紙面が黒くなりすぎないようにしてる」というのも目的を持った心がけですよね。
そういう意識の持ち方はとても健全で良いと思います。
私も視覚的な柔らかさを意識して、漢字と平仮名のバランスを調整してます😊
描写の精度と摂動法への応援コメント
面白い視点だなと思いながら拝読しました。
何が0次項に相当するかは読む側の読み方にも依存しそうな気はします。
私の理解では「0次項」とは、「その一文の意図や印象の大部分を形成するもの」と捉えていまして、そういう意味では「第一印象」に相当するものなのかなと。第一印象が悪ければその後どれだけPRを重ねても印象は覆らない、というのは1次項以下を書き足しても精度が上がらないという話と合致しそうです。
んで。
>”微かに聞こえる波の音は、一定のリズムを奏で、心をより落ち着かせる。”
この例文を読んで、私がイメージしたものの大部分を形成したものは何だったか。それは、まず「波の音」でした。「波の音」を形容する句に①「微かに聞こえる」、②「一定のリズムを奏で」、③「心をより落ち着かせる」の3つがありますが、番号順に波の音の精度が上がっていきました。
「波の音」それ自体を0次項と呼ぶかどうかは諸説ありそうですが、一応この場では除外するものとすると、私のなかでは①「微かに聞こえる」が0次項に相当するように思います。
理由は単純で、文章とは縦書きなら上から下に、横書きなら左から右に読むものだからです。読み手視点、読む前の脳内は情報ゼロの真っ白なキャンバスの状態で、そこに見えた文字を配置してイメージを組み立てていきます。だから白地に最初に置いた言葉が0次項になる、という理屈です。私は見えた言葉を見えた順番に脳内キャンバスに重ねていく読み方をしている気がします。
しかしもしかしたら人によっては、一度文章を最初から最後まで通読して、それから振り返って解釈をするという読み方もあり得て、その場合には各句が持つ情報量の比較によって0次項が決定されるのかなと。
私には、【「一定のリズム」が港の特徴的な音】という知識がなかったので、「一定のリズム」はそれ以上でも以下でもない情報量だったのですが、港という文脈と結びつけば「微かに聞こえる」を上書きするインパクトになることもさもありなん。
(突然来てつらつら語ってスミマセン……面白かったもので、つい)
作者からの返信
とても為になるコメントを頂きまして、感謝しております😊
確かに「波の音」はあの一文が表す場面を最も支配している単語なので、土台とも言えますし、その意味では「波の音」が0次項だと見做すのが最も妥当だと私も思います。
そして、これの良し悪しは文の中では決まらず、前後を含む文章——おそらく段落——との兼ね合いで決まるのでしょう。
やっぱり0次項の選定が実は一番重要だし難しいということなのでしょうね。
その上で、その土台をどう修飾するか、ですね。
ここも、仰る通り①微かに聞こえる②一定のリズムを奏での順に1→2次と捉えるのが妥当だなと、私も考えを改めました。
③心をより落ち着かせる、の解釈は難しいですね。
これは述語ですし、主語+述語の「波の音が心を落ち着かせる」が0次項と捉える方が良いのかもしれません。
そうすると、「心を『より』落ち着かせる」の「より」は述語にかかる1次項でしょうか。
でも、白縫いさやさんの仰る上から下、左から右の順に解像度を上げてゆくというのは、説得力のあるお考えです。
確かにその順で読みますもんね。
こう眺めた時に、上の例文は
①聞く②詳細に気付く③感じる
の順になっていて、人の身体感覚として自然に思えます。
書いた時には、こんな事など微塵も考えていませんでしたが、振り返ってみると案外整っていて、ちょっと意外でした。
そして、良いことを教えてもらいました。
ありがとうございます😊
正直、こんな話はどうなんだろうという気持ちもありましたので、面白みを感じて頂けたなら、とても嬉しいです。
素晴らしいコメントを頂けて、🍮は幸せです♪