第7話 学園生活一年目 ⑤
* * *
薄緑色の髪を持つアスラム伯爵令嬢―――リリアーヌ・アスラムはひとりガーデンチェアに座り、ほんの数分前のことを思い出していた。
リリアーヌはユリウス・エルヴァレンのことが心の底から好きだった。そして同時に、アスラム伯爵家に生まれたことに対して強い誇りを抱いていた。
だからこそ、彼女はアスラム伯爵家が以前と異なり、没落しかけている自体を何とかしたいと考えていた。没落しかけていると言っても、まだ他の貴族に勘繰られるほどではない。
昨年度ほど領地で栽培される作物が収穫されず、結果として領地経営が上手くいっていないのが現状というだけだ。しかし、あくまでそれは昨年度と比べればの話だ。
そういう年もあるとリリアーヌも家族も分かってはいる。けれど、今年や来年度がどうなるか分からない。領地の人たちに聞けば、今年の収穫も期待できるかどうか分からないとのことだ。
何が原因かと調べてみれば、領地の天候の悪さが一例として挙げられた。確かに、昨年度は天候に恵まれず、太陽の光も雨の恵も十分ではなかった。その影響により、土地に栄養が行き渡らず、今年も不作となる可能性が高いという。
だからリリアーヌはユリウスと婚約を結び、アスラム伯爵家の危機を救いたかった。
公爵家と縁を結べば、領地の耕作に必要な人手も不足している穀物も供給してもらえるようになるかもしれない。それに公爵家には優秀な魔法使いが多いため、地属性の魔法使いの手により、土地を耕す手伝いをしてもらえるかもしれない。
それにこのままではアスラム伯爵家の状況を知る貴族は現れる。そのとき、エルヴァレン公爵家と婚約を結んでいると言うだけで、大きな後ろ盾を得ることができると考えた。
希望的観測が否めないながらも、リリアーヌはアスラム伯爵家の人間として、領地の人を、そして家族を救いたいと思っていた。
それにリリアーヌはユリウスのことを心の底から慕っていた。好きな人の隣に立てて、アスラム伯爵家を救えることにもなる。
恋と貴族としての義務が叶う唯一の道だと思っていた。
(……いえ、これは言い訳に過ぎないわ)
リリアーヌは内心自嘲しながら、本当のことを思った。
慕っていたユリウスの隣に立つセレナ・エルシアが羨ましかったのだ。
ユリウスの隣の席で、ユリウスと並び立つほどの学力を有し、数少ない水属性の上位属性である氷まで使うことのできる少女。
茶髪というありふれた色合いながらも、セレナの有する水色の瞳と合わされば、不思議なことに目が離せない雰囲気を醸し出していた。
平民ながらも美しい顔立ちと引き寄せられるような雰囲気を持ち、ユリウスと対等に話している姿を見て、リリアーヌは何度羨ましいと思ったのか分からない。
自分はそこまで勉強が得意という訳ではなくて、魔法だって風属性だけれど、魔力量は平均的。セレナのように目を引く容姿をしている訳でもない。
羨ましくて、同時に平民のくせにユリウスに近づけるセレナが憎かった。けれど、そんなセレナをリリアーヌは尊敬もしていた。
だからリリアーヌはこの行き場のない感情をどうすることも出来ず、誰にも相談することもできず、とうとう、それらが溢れ出してしまった。その結果が、今日のこれだった。
セレナの頬を叩いたあと、ユリウスに諭されて遅いながらも自分がしてしまったことの愚かさに気づいた。
きっと今頃、自分がしてしまったことが噂として広がっているんだろう。そう思うと、この場所から離れたくないと思ってしまう。
けれど、全ては自分の愚かさのせい。
10歳だとしても、貴族として、一人の学園の生徒として入学してきたのだから、それ相応の責任は当然のようにある。そして、ユリウスの言う通り、リリアーヌは一時の感情に左右され、セレナに手を上げてしまった。
自分が大好きな人の名前を盾に、セレナを傷つけたのだ。
その事実が重くのしかかる。そしてアスラム伯爵家を救うどころか、自分が迷惑をかけてしまったと思い、リリアーヌは自分の浅はかな行いを悔やむ。
そのとき、サクッサクッとこちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。こんな人気のないところにわざわざ来るなんて一体誰なのかと、リリアーヌは俯いていた顔を億劫そうに上げた。
「―――少し、話をしない?」
視界に映った茶髪と澄んだ水色の瞳。
それを目にした時、リリアーヌは大きく目を見開かせた。
セレナ・エルシア。リリアーヌが先程まで考えて、羨ましいと思い、憎いと感じ、そして、尊敬を抱いていた本人が目の前にいたのだ。
* * *
私は俯いているアスラム伯爵令嬢に近づいた。そして、顔を上げた彼女にこう言った。
「―――少し、話をしない?」
驚いたように目を丸くしたアスラム伯爵令嬢は掠れた声で呟く。
「……なんで、ここに。だって、私、あなたのこと叩いたのに」
動揺しているんだろう。声が震え、私を見る瞳にも揺れが生じている。
それを見て、私は彼女が何か抱え込んでいることに気づいた。だから私は彼女の問いかけに短く答え、空いているガーデンチェアを指さして言った。
「話したかったからだよ。隣、座ってもいい? せっかくだし、これでも食べながら話をしようよ。お昼ご飯、食べてないでしょ?」
私は買ってきたノクティベリーのジャムが使われたパンを見せる。彼女は動転しているのか、カチンと固まったあと、私の問いかけに頷いた。
それを確認すると、私はアスラム伯爵令嬢の隣に腰掛ける。パンは二つにちぎって、片方をアスラム伯爵令嬢に渡した。
「どうぞ。食べたことないけど、たぶん美味しいと思うよ」
アスラム伯爵令嬢は差し出されたパンを恐る恐る見やる。私はと言うと、すでにもう半分のパンを口に含んでいた。だって、お腹すいていたし。
ノクティベリーのジャム美味しいと思いながら、パンを食べているが、アスラム伯爵令嬢はなかなかパンを受け取ろうとしない。だから私はえいっとアスラム伯爵令嬢の口にパンを押し込んだ。
「むが……っ!?」
「大丈夫、美味しいよ」
一瞬非難の目を向けてきたアスラム伯爵令嬢だったが、パンを噛んだ瞬間、今度は違う意味で目を丸くし、そのまま美味しそうにパンを飲み込んだ。それを見て、私は得意げに笑う。
「ね、言ったでしょ?」
アスラム伯爵令嬢は少し恥ずかしそうにしながらも、こくんと頷き、パンを両手で持って体を私の方に向けてきた。
「ありがとう、ございます。確かに、美味しいです」
「だよね。私さ、ノクティベリーが好きなんだ。だからノクティベリーのジャムを使ったパンなら絶対美味しいと思ったんだよね」
「……そんなに好きなら、一人で食べてしまえば良かったのに。自分を叩いた相手にわざわざあげるなんて」
少し気まづそうに話すアスラム伯爵令嬢に私は首を傾げる。
「なんで? 美味しいなら、一緒に食べたほうがもっと美味しいよ。人間の一生なんてさ、あっという間なんだから。美味しいものたくさん食べた方がお得じゃない?」
本気でそう言う私にアスラム伯爵令嬢は意表をつかれたような顔をしたかと思うと、呆れたように少し肩の力を抜いて、独り言のように小さく呟いた。
「―――眩しい人ですね、あなたは」
お腹がすいていた私はあっという間にパンを食べ終わると、まだパンを食べているアスラム伯爵令嬢に話しかけた。
「ここには話をしに来たって言ったでしょ。そのためには、お互いのことを知らないといけないと思うんだよね。だからさ、自己紹介しようよ。クラスが違うから、申し訳ないけどアスラム伯爵令嬢のことをよく知らないし」
私は雲ひとつない空を見上げる。そしてゆっくりと目を閉じたかと思うと、再び目を開けて、アスラム伯爵令嬢の瞳を真っ直ぐ見た。
「だから、アスラム伯爵令嬢のことを教えて。私も教えるから」
パンを食べ終えたアスラム伯爵令嬢は私の瞳を見つめ返し、静かに頷いた。それを見ると、私は笑みを浮かべて早速自己紹介をした。
「なら私からね。私はセレナ・エルシア。知っての通り、平民出身だよ。学園に来た理由はそんな大それたことじゃなくて、学ぶことが好きなのと、楽しいことが好きだから。得意属性は水で、氷も使えるよ。ちなみにエルヴァレンのことは勉強で負けたくない相手だと思っている。でも、それ以上でもそれ以下でもないよ」
既に知っているだろうことも含めて、私はアスラム伯爵令嬢に自分のことを知って欲しくて自己紹介した。だって、知らないよりは知ってもらった方が嬉しいじゃん。
次はアスラム伯爵令嬢の番だよと言って、私はそのままバントタッチする。
すると、アスラム伯爵令嬢はそれを受け取り、姿勢を正しくして自己紹介をした。
「私はリリアーヌ・アスラムと言います。アスラム伯爵を父に持ち、アスラム伯爵家の一人娘です。学園に入学した理由はアスラム伯爵家の力になりたいから。魔力量はあまり多くありませんでしたが、得意属性は風属性でした。そして、私はユリウスさまのことが好きです。けれど、ユリウスさまに好意を抱いているかどうか関係なく、あなたを叩いたことは申し訳ないと思っています。すみませんでした」
アスラム伯爵令嬢ってリリアーヌっていう名前なんだ、可愛いねなんて思っていたところにいきなり謝罪をされて私は思わず動転してしまう。
「だ、大丈夫だから! それはもう終わったこと! 気にしなくていいから!」
頭を上げてよ、とアスラム伯爵令嬢にお願いし、私は頭を上げてもらう。仲良くなれれば仲良くしたいと思っているのだ。頭を下げてもらってばかりでは仲良くなれない。
私はコホンと咳払いをし、動転してしまったことを流す。そして、話を変えるようにアスラム伯爵令嬢に問いかけた。
「ところでさ、アスラム伯爵令嬢はなんでこんなことをしたの?」
「そ、それは……」
「あ、別に責めてるとかじゃないよ。いやでも、こんな聞き方したら責めてるように聞こえちゃうのかな。難しいな」
責めてるつもりはもちろんない。私はアスラム伯爵令嬢が抱えているであろう問題を知りたいだけなのだ。まあ、話したくないのならそれまでだけど、アスラム伯爵令嬢が話してもいいと思ってくれるのなら、聞きたいと思っている。
だから私はうーん、と悩みながらも言葉を探して告げた。
「なんかね、ここに来る前、たまたま学園の窓からアスラム伯爵令嬢が見えたんだ。初めはなんか放っておけないというか、お節介だと分かっているんだけど、一人にはしたくないと思って。だからアスラム伯爵令嬢に話しかけようと思って、ここに来たの」
そこで私は一度言葉を区切り、一拍の間を置いてから、再度口を開いた。
「そして、アスラム伯爵令嬢と顔を合わせた時に、アスラム伯爵令嬢って何か抱え込んでいることあるんじゃないかなって気づいたの。それが原因でアスラム伯爵令嬢はこんなことしちゃったのかなって」
違う? と首を傾げながら問いかけると、アスラム伯爵令嬢は分かりやすく息を呑んだ。言葉なくとも、私の言葉を肯定していると雄弁に語っていた。
それにより、私はさらに彼女が1人では解決できない悩みを抱えていることに気づいた。
だから、私は口を開いた。
「私に相談してみない? 誰かに話すだけでも、気持ちが楽になることはあるみたいだし。あっ、もちろん、言えないというか、言いたくない事だったら言わなくていいよ! これは提案に過ぎないし」
話してほしいけど、無理に話して欲しい訳でもない。そう慌てて弁解していると、アスラム伯爵令嬢は私の言葉を受けて、静かに涙を流した。
「え、えっ!? 大丈夫!? あ、待って、これハンカチ!」
私はその涙を見て思わず驚いてしまった。泣かせてしまったと思った。とにかく涙を拭くためにハンカチを出して、私は謝る。
「ご、ごめん! これ私のせいだよね!? ごめん! 泣かせるつもりはなかったというか……ああでも、こんな状況じゃ言い訳に過ぎないし……!」
その間にもアスラム伯爵令嬢は涙を流し続ける。これじゃあ、完全に加害者だ。どうしたらいいんだろうと狼狽えていると、彼女は涙を流しながらもゆっくりと首を振った。
「ちが、違います。嬉しくて、泣いてしまったんです」
「嬉しくて? 私が傷つけたんじゃなくて?」
「はい。こんなこと、誰にも言われなかったから」
アスラム伯爵令嬢はハンカチで目元を拭うと、僅かに目尻を赤くして、私を見つめた。
「こんな私を、気にかけてくれて、ありがとうございます。私の話、聞いてくれますか?」
その言葉に私は嬉しくて、優しく微笑んだ。
「もちろん!」
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