10話
崩落の音が、ようやく遠ざかる。
粉塵の中で、七二一の呼吸だけが荒く響いていた。
首筋の痕が、まだ微かに熱を持っている。
――壊せ。
思考に混ざる異物の残響。自分の意志か、それとも刻まれた本能か。
「七二一」
一二七が慎重に近づく。手を伸ばしかけて、止めた。
さっきの「触るな」という、地を這うような声がまだ耳に残っている。
「……戻ってる?」
問いは静かだ。七二一は数秒、何も言わない。
視界の端で、赤い残像がちらつく。地下深部へ逃げたβ。そしてその周囲に集まり始めている、自分と同一の波形を持つ複数の反応。
「……ああ」
低く返すが、完全ではない。拳を握れば、皮膚の下から黒い紋様が薄く浮き上がる。
一二七は距離を詰めた。半歩。さっきより、ずっと近い。
「聞いたよね。“戦闘用選別個体”」
七二一の喉が、わずかに鳴る。
「俺は……」
言葉が続かない。選ばれたわけじゃない。残されただけだ。「使える」という、ただそれだけの理由で。
地下のどこかで金属が軋み、βの赤がゆっくりと移動を開始した。深部へ。
「追う?」
一二七が問う。任務としては正解だ。だが七二一は動かない。
視界が、また一瞬だけ揺らぐ。
――段階二は想定内だ。
フラッシュバックする前司令の横顔。つまり、この覚醒さえも計算の内。
「……罠だ」
七二一が呟く。
「俺が、あれを追うことも。“統合”に傾くことも」
地下全体がわずかに振動する。βは逃げているのではない。誘っているのだ。より深い場所へ。より完全な同期へ。
一二七は数秒、沈黙した。そして、赤い瞳を鋭く光らせる。
「じゃあ、逆に行こう」
七二一が顔を上げる。
「上。管理者のとこ」
前司令。
「使われる側が、黙って従う理由ないでしょ」
空気が一変した。
それは任務の遂行ではなく、明確な「反逆」の空気だった。
遠くでβの鼓動が強まり、複数の赤が重なり合って巨大な波形を形成し始めている。時間はない。だが、今追えば七二一は取り込まれる。
七二一はゆっくりと立ち上がった。首筋の痕はまだ熱い。
だがその目は、赤ではなく一二七を真っ直ぐに捉えている。
「……合わせろ」
一二七の口元が、わずかに上がった。
「最初から、そのつもり」
二人は、甘美に誘う地下を背にした。
管理者の元へ。
その選択が、前司令の緻密な想定を、初めて外した。
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