第24話 「死角の盤面と、迎撃の箱庭」

 邪神との暗闇での会合から目覚めた朝。

俺の頭の中は、かつてないほどのフル回転で邪神の加護を破壊するための糸口と、今後の生存戦略を組み上げていた。

 邪神の言葉から推測できる事実は二つ。一つは、邪神は俺の「視覚」と「聴覚」、そして「ステータス」を通じて情報を得ている可能性が高いということ。


 もう一つは、奴の差し金である人間の軍勢やチート能力を持った転生者たちが、いずれ確実にこの大陸へやってくるということだ。


​(……なら、俺が生き延びるために「敵への迎撃準備」をすることは、奴にとって極めて自然な行動として映るはずだ)


​ むしろ、何もしない方が不自然だ。神の言葉に怯え、迫り来る脅威に対抗するために必死で泥水すする姿を見せること。それこそが、邪神という最悪の観客を満足させる最高のエンターテインメントであり――俺の「真の目的」を隠すための完璧なカモフラージュになる。


​ 俺が絶対に邪神から隠し通さなければならないのはただ一点。

 【邪神の加護】を破壊し、奴の監視網そのものを潰すための試みだけだ。


​「イズナ」


​ 俺は、朝食の食器を片付けていたイズナの肩をポンと叩いた。


「ちょっと来てくれ」


 そう言ってイズナを家の外へ連れ出す。


 そして、家の周りを眺めるような自然な素振りを保ったまま、足元の柔らかい土の上に、左腕の《蒼鋼(そうこう)》の指先を突き立てた。


​「どうした、シュウ」


「少し家の周りを片付けて、防衛設備を強化しようと思うんだ。あいつ……邪神が、他の転生者や人間の軍勢を差し向けてくるかもしれないからな。イズナには他のことを頼もうと思うがいいか?」


​ 視線は絶対に下へ向けない。

 だが、俺の《蒼鋼》はデータ学習を経て、空間座標を完璧に把握している。視覚に頼らずとも、脳のイメージ通りに指先を精密に動かすことが可能だった。


​ ガリ、ガリガリッ。


 土を削る微かな音。空を見上げたまま不自然に左手を動かす俺を見て、イズナが怪訝そうな顔をした。だが、足元に刻まれた「文字」を見た瞬間、彼女の涼やかな金色の瞳がハッと見開かれた。


​『邪神は俺の目と耳を通じ監視している。今後は俺が見ない状態で地面に文字を書く。声の会話は軍備拡張の相談だ。返事は会話の流れに合わせて自然に頼む』


​ かつて魔王軍を率いた軍師。彼女がこの状況と俺の意図を理解するのに、一秒もかからなかった。

 イズナは表情をスッと日常の穏やかなものに切り替えると、声のトーンを落とすことなく口を開いた。


​「なるほど、防衛設備の強化か。確かに、人間の軍勢が来るとなれば今の家だけでは心許ないな。それで、私はなにをすればいい?」


​ 完璧な対応だ。俺は心の中で彼女の知力に感謝しながら、空を見上げたまま《蒼鋼》の指先を走らせる。


​『イズナには、邪神の加護(呪法)を破壊するか、無効化する方法を探ってほしい。試してみたい考えがあるから一定時間無効化する方法でも構わない。この会話は聞かれるから、「はい」か「いいえ」のニュアンスを夕食の相談に混ぜて自然に答えてくれ』


​ 文字を書き終えると、俺は大きな伸びをしながら、声を出して尋ねた。


​「防衛設備は俺が作る。ちょっと大掛かりな罠を仕掛けるから、今日は一日作業にかかりきりになりそうだ。……悪いんだが、今日の夕食はイズナに任せてもいいか?」


​ 声に出しているのは、緊迫感の一切ない、ただの同居人への頼み事だ。

 だが、イズナは足元の文字を一読すると、その文字を自身のブーツの底で踏みにじり、完全に証拠を隠滅しながら、明るく頼もしい声で答えた。


​「ああ、任せてくれ! それでは、さっそく献立を考えるとする。お前は防衛に専念しろ」


​ 夕食作りを承諾した体(てい)で、俺の秘密の作戦立案への「同意」が成立した。

 献立を考える。それはすなわち、魔王軍の知識の底をさらい、神の呪法を解呪するための術式を組み上げるという、彼女からの力強い決意表明だった。

​ 邪神の監視の目を欺きながらの、死角での作戦会議。

 俺たちは、神すらも気づかない水面下で、確かな反逆の契約を交わしたのだった。


​   ────────◇────────


​「よし、見てろよ邪神。お望み通り、最高のエンタメ(殺戮の箱庭)を用意してやるよ」


​ 俺はわざとらしく独り言を呟きながら、ログハウスの周囲で本格的な要塞化の作業を開始した。

 人間の軍勢やチート転生者が来る。ならば、真正面から剣と魔法で打ち合う必要はない。ここは俺の領域だ。《構造理解》と《魔力回路》の技術を総動員し、この美しい森を、一歩踏み入れば命を刈り取られる「地雷原」へと作り変える。


​ まずは「堀」だ。

 俺は洞窟の工房へ行き殻鉄で巨大なシャベルを作り《蒼鋼》の圧倒的なトルクを使い、ログハウスを囲むように幅二メートル、深さ三メートルのすり鉢状の空堀を掘り進めた。


 だが、ただの穴ではない。底には、狩りで得た魔物の硬い骨を限界まで鋭く削り出した「乱杭(パニジ)」を無数に埋め込んでいる。杭の先端には、イズナが森の植物から採取してくれた麻痺毒をたっぷりと塗りたくった。

 上から薄い木の皮と落ち葉で精巧なカモフラージュを施せば、見た目はただの平坦な地面にしか見えない。


​「シュウ、またえげつないものを作っているな」


​ 森から野草を抱えて戻ってきたイズナが、完成した落とし穴を見て呆れたように息を吐いた。


​「これくらいやらないと、チート持ちの転生者には対抗できないからな。……それに、本命はこっちだ」


​ 俺は《蒼鋼》の指先で、魔鉱石の端材と小型の魔石を組み合わせた、手のひらサイズの奇妙な金属の塊を弄っていた。

 中に複雑な《魔力回路》を刻み込んだそれは、元の世界でいうところの「対人地雷(バウンディング・マイン)」の劣化版だ。


​「なんだそれは? 何か細工をしているようだが」


「『感知式・魔力破片地雷』だ。この上に一定以上の重量が乗るか、魔力を帯びた生物が近づくと、回路がショートして中の魔石が暴走・爆発する。その爆発のエネルギーで、外殻に仕込んだ硬い魔物の骨の破片が全方位に散弾のように飛び散る仕組みさ。もちろん、安全対策はするぞ。俺とイズナの魔力を認識している間は機能を停止する。さぁ、魔力を登録するからここに手をかざしてくれ」


「……」


​ イズナは絶句しながら言われるがままに手をかざし魔力を登録した。

 剣と魔法が支配するこの世界において、「踏んだら自動で爆発して散弾をばら撒く石」という概念は存在しない。魔法使いが詠唱して火球を放つのが常識の世界で、無人の森が突然爆発して牙を剥くのだ。


​「これを、拠点に続く獣道や、死角になりやすい茂みに数十個埋めておく。さらに、『暴食蜘蛛(アラクネ・スパイダー)』の糸をワイヤー代わりに使った連動式のトラップも仕掛ける。糸に引っかかれば、木の上に吊るした数百キロの岩石が振り子のように落ちてくる仕組みだ」


「……お前は、神よりもよほど恐ろしいな。魔王軍の防衛網でも、ここまで陰湿で致死性の高い罠は敷いていなかったぞ」


​ イズナは引きつった笑いを浮かべながら、俺の作った地雷を慎重に避けて歩いた。


 安全対策はしたから踏んでもいいのに。


 俺は意地悪く笑いながら、わざと空に向かって声を張った。


​「転生者だろうが軍隊だろうが、俺達に近づく奴は全員このトラップでスクラップにしてやる。どうだ、邪神! 見てるか!」


​ 虚空に向かって挑発する俺の姿は、神の目には「未知の脅威に怯え、虚勢を張りながら必死に罠を作る滑稽なネズミ」に映っているはずだ。

 だが、それでいい。俺がこうして派手に罠を作り、迎撃の準備を進めている間、イズナは安全圏で「本命の作業」に集中できるのだから。


​ 俺が地雷を埋設している間、イズナはキッチンの竈の前に立ち、鍋をかき混ぜていた。

 彼女の視線は鍋に向けられているが、その金色の瞳の奥には、緻密な魔力演算の光が宿っていた。彼女は料理というカモフラージュの裏で、俺の魂の構造を視界の端で観察し、魔王軍の軍師としての膨大な知識の中から「邪神の呪法を安全に引き剥がす、あるいは通信を偽装する結界術」の理論を黙々と構築し続けていたのだ。


​   ────────◇────────


​ 夕暮れ。

 拠点周辺の要塞化をあらかた終えた俺は、イズナの待つログハウスへと戻った。

 テーブルの上には、木の実と香草で風味付けされた見事な魔物肉のローストと、澄んだスープが並べられていた。


​「お疲れ、シュウ。防衛網の構築は終わったか?」


「ああ。とりあえず、軍隊の一個小隊くらいなら森ごと消し飛ばせる準備はできた」


「物騒なやつだ。さあ、冷めないうちに食べてくれ。今日の『献立』は、私としてもかなり自信作だぞ」


​ イズナは意味深に微笑みながら、木の皿を俺の前に置いた。

 俺は肉を一口かじり、その完璧な火入れと溢れる肉汁に目を見開いた。美味い。だが、彼女が言いたいのは料理の味の話だけではない。


​「……美味い。完璧だな」


​ 俺は咀嚼しながら、自然な会話のトーンで質問を投げる。


​「で、明日の『献立』はどうなりそうなんだ? この肉、まだ余ってるから明日も同じような味付けになるのか?」


​ 明日の献立。すなわち、解呪に向けた理論構築の進捗はどうだ、という問いかけだ。

 イズナは自身のスープを一口すすると、小さく首を振った。


​「いや、明日は少し趣向を変えるつもりだ。今の調理法(アプローチ)のままでは、どうしてもアクが抜けきらない(解決の糸口が見つからない)。……別の食材(方法)を探す必要があるな」


​ 俺は無言で頷いた。

 今のイズナの知識や魔法だけでは、邪神の加護をどうにかすることはできない、何らかのピースが足りないということだ。

​ ならば、どうするか。


​「……イズナ。それなら、明日は少し遠出をして食材を探しに行かないか?」


「遠出?」


「ああ。この周囲の森の野草や魔物はあらかた採り尽くしたし、新しい食材(知識)が手に入る場所に行ってみたいんだ」


​ 俺はわざとらしく「食材」という言葉を強調した。

 俺の提案の真意を悟ったイズナは、金色の瞳を輝かせ、ゆっくりと頷いた。


​「そうだな。……ならば、この森をずっと北に抜けた先にある、切り立った渓谷を目指すのはどうだ? そこはかつて、我ら魔王軍の『第二砦』があった場所だ。食材もあるだろう。今は廃墟になっているはずだが、強力な魔力溜まりと……放置されたままの貴重な遺物が眠っている可能性が高い」


「魔王軍の砦か。それはいいな。人間の軍勢が攻めてくるなら、防衛の拠点としても地理的な下見をしておきたい」


「うむ。それに、あの場所なら……私のかつての部下や同胞が、獣の姿で封印されたまま彷徨っているかもしれない」


​ 俺たちはテーブル越しに視線を交わした。

 俺が経験値(レベル)を上げずに戦力を拡大し、邪神の軍勢に対抗するためには、イズナに続く「強力な魔族の仲間」を解放することが急務だ。


 さらに、魔王軍の砦という魔法技術の集積地に行けば、加護を無効化するための「足りないピース(遺物や魔導書)」が見つかるかもしれない。


​「決まりだな。明日の朝一番で出発しよう。俺が留守の間のトラップの起爆設定をしておく」


「助かる。……お前のその狂った技術があれば、心強い」


​ イズナは嬉しそうに微笑んだ。

 拠点(ログハウス)の周囲には、俺が張り巡らせた凶悪な物理・魔力トラップの数々が眠っている。数日留守にしても、人間の先遣隊程度なら自動でスクラップにしてくれるだろう。


​(待っていろよ、邪神。お前が俺を極上の餌だと思っている間に、足元からすべて喰い破ってやる)


​ 俺はランタンの火を見つめながら、静かに闘志を燃やしていた。

 神の目を欺く死角の作戦会議と、狂気の要塞化を経て。

 俺とイズナの二人は、新たな仲間と知識を得るため、かつての魔王軍の砦跡地へと向かうことに決めた。

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